染め織りペディア22

「輪奈ビロード」の甘いワナ

 南蛮渡りの豪奢なマント。すべらかなビロードはことに珍しく、戦に明け暮れる武将の荒ぶる身体を優美に包んだ。

 ビロードは、13世紀のイタリアが起源(中国説も)の絹織物で、14世紀には皇帝装束としてトルコでも製造が始まった。16世紀になると西欧各国にも技法が広まり、贅沢な衣装や調度を彩っていく。

 日本への伝来は16世紀中頃、大航海時代のポルトガル船による。木箱に納めた鉄砲の内包みとして、また、宣教師から信長たち武将へ贈られたマントとして。

 美しいものを真似したくなるのは世の常だが、なんと「オランダ交易のビロードに偶然銅の針金が残っていて、これをヒントに、江戸初期から京都の西陣で製造が始まりました」とは、滋賀県の長浜に百年続くビロードの織元「タケツネ」の武田規与枝さん。針金を使うビロードは輪奈ビロードと呼ばれる紋織物で、タテ糸のループ(輪奈)が文様を構成。このループの芯材に針金が必要なのだ。

 江戸中期、輪奈ビロードの技術は長浜へと伝わり、江戸末期には彦根藩の庇護のもと繁栄したという。明治維新後は、着物のコート地、ショール、鼻緒など、その瀟洒な風合いは女性の和装用として歓迎された。大正8年創業の「タケツネ」も、コート地を主に発展してきた。

「コート地にある色の濃い部分、これは紋切りにより生まれます」。織り上げた反物を芯材が入ったまま広げ、文様を際立たせたい部分のみ、輪奈の糸を小刀で一本一本カット。「輪奈の真ん中を正確に切って毛先を揃えるのが職人技です」。

この後、芯材をすべて抜くことで白生地は完成。「これを染めると、紋切りした毛羽部分に染料が多く入るので、輪奈部分との濃淡が生まれるんです」

 工場では背の高いジャカード織機が盛んに音を立てている。が、針金は見当たらない。かつて一本一本手で入れていた針金は糸状のポリエチレンの芯材に代わり、杼を用いてヨコ糸同様の動きを見せる。「先代の工夫です。最盛期には約九百軒あった織元が70年代に激減、職人も減る中、作業効率を考えた策でした」

 新製品開発にも積極的な先代だったが、惜しくも急逝。2019年9月、武田さんは六代目を継いだ。しかし、間もなく世はコロナ禍に。「今や輪奈ビロードのコート地を手がける唯一の織元となり、技術継承のためにもビロードの魅力を身近なもので伝えたいと考えました。時流もありビロードマスクを返礼品にクラウドファンディングをしよう、と」。これが予想以上の反響で、武田さんは六代目として一歩踏み出す力を得た。

 輪奈ビロードの従事者は長く女性が中心だった。今も武田さんの祖母・幸子さん(御年98歳!)を筆頭に、ウーマンパワーは健在で、ショールームには女性目線の色出しによるビロードがずらりと並ぶ。羽織ってみれば軽やかでエレガント。どんな文様で、何色に染めよう。ああ、輪奈ビロードが誘惑する。

文=田中敦子 イラスト=なかむらるみ

たなか・あつこ手仕事の分野で書き手、伝え手として活躍。工芸展のプロデュースも。ただ今、2023年春に出版予定の「器」をテーマにした書籍の準備中。〝器は料理の着物〞(by魯山人)ですし、どうぞよろしく。

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