辛酸なめ子の着物のけはひ 『黒蜥蜴(とかげ)』江戸川乱歩

『黒蜥蜴』江戸川乱歩 「エジプトの星」と呼ばれる秘宝を手に入れようと企(たくら) み、大阪の宝石商の娘の誘拐を予告する怪文書が届く。身辺を警護する名探偵・明智小五郎と女賊「黒蜥蜴」の壮絶な戦い……。

 夜の街で女王として君臨する謎の美女が暗躍し、明智小五郎と対決する探偵小説『黒蜥蜴』。三島由紀夫が脚色した舞台で美輪明宏が演じていて有名ですが、原作は江戸川乱歩でした。「通俗もの」と江戸川乱歩は謙遜していたようですが、官能的な文学表現は何年経(た)っても色あせません。

 冒頭は狂気めいたパーティのシーン。ひとりの美女が、宝石の首飾りや翡翠(ひすい)の耳飾り、ダイヤの腕環(うでわ)と指環だけをまとい、黒蜥蜴の入墨(いれずみ)が刻まれた裸体で踊るという異様な情景から始まります。宝石狂の緑川夫人は「エジプトの星」と呼ばれる三十幾カラットのダイヤモンドを手に入れたくて、宝石商の岩瀬氏の令嬢、早苗を誘拐することを思い付きます。それを阻止しようとする明智小五郎とのだまし合いから目が離せません。

 緑川夫人の得意技は変装による替え玉テクニックです。ホテルに滞在していた早苗と仲良くなり、彼女を部屋におびき寄せると、同じ背格好だったのを幸いに同じ着物や羽織、眼鏡を身に着けて、化粧と髪形を似せて早苗の父親までだましてしまいます。しかも5分間の早着替えで。また、別の場面では、通天閣に岩瀬を呼びつけて宝石を持って来させた後、売店の店番のおかみさんに頼んで着物を取り替えて変装し、立ち去った緑川夫人。

「髪の形をくずし、そのへんのほこりを手の平になすりつけて」「縞(しま)の和服に、袖つきの薄よごれたエプロン、継ぎのあたった紺足袋」で「下級商人のおかみさん」になりすましてしまいます。偶然年頃や髪形が同じだったそうですが……。いっぽう明智小五郎の方も後半に替え玉テクニックを駆使。違う人になったら気付くのでは? と一瞬突っ込みたくもなりますが、乱歩の筆力で疑念が封じ込められます。

 乱歩ファンとしては、フラグが立ちまくるのが「長椅子」のシーン。部屋でふさぎ込む早苗をなぐさめるため、父親は買ったばかりの長椅子を娘に見せます。乱歩といえば『人間椅子』。早苗はフラグ通り、椅子の中に閉じ込められ運び出されてしまうのでした。美しいお嬢さんがたびたび麻酔で失神させられ、縛られたり閉じ込められるというシーンにゾクゾクします。

 露出癖がある緑川夫人もたびたび物語の中で脱いでいますが、あまりエロスを感じさせないのが不思議です。ヤバすぎるキャラのせいでしょうか。全裸になってトランクに自ら入り「これがボクの手品の種あかしなんだよ」と急に男言葉で言い出したり、窮地に立たされても「フフフフ」とか「ホホホホ」と笑ってばかりで、稀代(きたい)の女盗賊のサイコパスぶりに戦慄(せんりつ)します。人を殺して剝製人形を展示したり、水槽の中で溺れてもがく人の姿を「命と引替えの芸術」と呼んで観賞したりと、後半、黒蜥蜴の異常な性癖が露(あら)わに……。彼女自身もいわくつきの宝石を集めすぎて、呪いでおかしくなっていたのかもしれません。欲望はとめどなく人を狂わせます。エログロに見えて、人間の煩悩を戒める道徳的な要素もある小説です。

 

(イラスト・文)辛酸なめ子
 
 

しんさん・なめこ

漫画家、コラムニスト。武蔵野美術大学短期大学部デザイン科グラフィックデザイン専攻卒業。恋愛、スピリチュアルなど多彩なジャンルを幅広く取材し、独自の目線で描く。新刊は『ヌルラン』(太田出版)。

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