辛酸なめ子の着物のけはひ 『金色夜叉』尾崎紅葉

『金色夜叉』尾崎紅葉 一高の学生、間(はざま)貫一とお宮は許婚(いいなずけ)であったが、銀行家の御曹司に見初められた彼女は親によって無理やり別れさせられてしまう。貫一は復讐のため高利貸となるが……。

『金色夜叉』は雅俗折衷文という現代人には難易度の高い文体で書かれていますが、読み進めてみると、大富豪に女を取られた学生が、その後ダークサイドに堕(お)ちて高利貸になる、というえげつない展開から目が離せません。文章の格調と、ストーリーのギャップが渾然(こんぜん)一体となって、読者を翻弄(ほんろう)します。

 美しきヒロイン、鴫沢(しぎさわ)宮が登場するのは、冒頭の歌留多(かるた)会のシーン。当時のパリピは歌留多遊びでテンションを上げていたのです。「不器量を極めて」いる貴族院議員の令嬢などが着飾っている中、「小豆鼠(ねず)の縮緬(ちりめん)の羽織」という地味目な着物姿の宮は、その美しさで際立っていました。巨大な金剛石(ダイヤモンド)の指輪をつけた大富豪、富山唯継に見初められます。ダイヤは人を狂わせます。宮は、間 貫一という将来の約束をしていた男子学生(孤児〈みなしご〉で鴫沢家に引き取られ、東大を目指して勉学中)がいたのですが、気もそぞろになってしまいます。かねてから貫一は宮のことを「水臭い」と思っていました。宮とその両親は、あっさりと大富豪、富山氏に心移りしてしまいます。貫一に何も言わず熱海に行き、富山氏と顔合わせした宮と母親。富山氏は熱海の梅林をディスり出したり人格的に問題がありそうですが、お金に目がくらんだ母娘はそんなことに気付きません。そこに乗り込んできた貫一。動転し「人心地を失ひぬ」母娘。富山氏が去ったあと、宮との間に修羅場が繰り広げられます。激昂(げきこう)して「姦婦!!」となじる貫一。有名な、浜辺で宮を蹴り飛ばす場面も。将来有望に見えて女性に暴力を振るうとは、貫一も付き合ったらダメな男子かもしれません。それまで貫一にさほど愛情を抱いていなかった宮ですが、まじめな彼のワイルドな一面を見てしまって気持ちが変化したのでしょうか。そして女性にありがちですが、別れた後、どんなに彼に愛されていたか、そして自分も彼のことを愛していたかがわかって、取り返しのつかない思いにかられたのです。ダイヤモンドよりも愛の方が尊い宝石でした。

 失恋した貫一は、苦しみのあまり学業を中断し、高利貸で悪名を轟(とどろ)かせる鰐淵(わにぶち)直行(ただゆき)のもとで働くように。美人高利貸からの誘惑にものらず、冷徹に借金を取り立てる貫一。宮は愛のない結婚をして、息子を死産。精気を失い、虚しく生きています。恋しく思い出されるのは、かつての恋人、貫一のこと。ある時、ついに二人は道端で遭遇。宮は動揺し唇を噛(か)みすぎて流血。いっぽう貫一は心の中で「姦婦」「肉蒲団(ぶとん)」と罵詈(ばり)雑言を浴びせます。宮の方は一目遭ったことで恋心が募り、手紙を書いたり貫一の友人に働きかけたり、なんとかよりを戻そうとするのですが……。マイナス思考の貫一は、路上で殴られたり、鰐淵氏の家が放火されたりと、不幸を引き寄せます。今さら結ばれても幸せになる要素が一切ないですが、読むのが怖いと思っていたら、なんと作者が病死で未完のまま終了。ある意味一番丸くおさまったというか、皆天国で平和に暮らしているかもしれません。

(イラスト・文)辛酸なめ子
 
 

しんさん・なめこ

漫画家、コラムニスト。武蔵野美術大学短期大学部デザイン科グラフィックデザイン専攻卒業。恋愛、スピリチュアルなど多彩なジャンルを幅広く取材し、独自の目線で描く。新刊は『ヌルラン』(太田出版)。

Vol.56はこちら