辛酸なめ子の着物のけはひ 『虞美人草』夏目漱石

『虞美人草』夏目漱石 小野は、わがままで美しい藤尾と奥ゆか しい小夜子との間で……。職業作家・漱 石の第1作。

 格調高い漢文調の文体が時々挿入され、緊張感を与えていて、小説の会話部分とのめりはりが利いています。とにかく文体の威圧感が半端なく、主人公・小野清三が惹(ひ)かれている藤尾という女性についての記述も……「紅を弥生に包む昼酣(たけなわ)なるに、春を抽(ぬき)んずる紫の濃き一点を、天地の眠れるなかに、鮮やかに滴たらしたるが如(ごと)き女である」と、よくわからないながらも、美女ということは伝わってきます。

 藤尾は紫の着物が似合います。ある時、小野と藤尾は、シェイクスピアの書いたクレオパトラの物語について話をしています(明治時代の男女の会話のレベル高すぎです)。クレオパトラに紫色を連想するという小野さんに、「じゃ、こんな色ですか」と紫の着物の袖を彼の鼻先でひるがえす藤尾。「恋々と遠のく後を追うて、小野さんの心は杳窕(ようちょう ※)の境に誘われて、二千年のかなたに引き寄せらるる」。杳窕の境……藤尾の袖テクニックで小野さんは骨抜きになってしまったようです。小説の中のクレオパトラは三十歳だったという話で、「それじゃ私に似て大分御お婆(ばあ)さんね」と笑う藤尾が二十四歳というのに軽くショックを受けましたが、明治時代にしては晩婚だったのでしょう。

 藤尾には宗近 一という、家同士の関係でフィアンセっぽい男性がいましたが、宗近のことはつまらない男だと思い、文学的な(そして多分イケメンの)小野清三の方に気があります。でも、小野にもかつて世話になった恩師の娘の小夜子というなんとなく許嫁(いいなずけ)のような存在がいました。小夜子は従順な女性ですが、小野は魔性系の藤尾に惹かれていました。藤尾には甲野欽吾というストイックな異母兄がいて、甲野と宗近は親友同士。さらに宗近の妹、糸子は欽吾に恋心を抱いていて、狭い中で相関図の線が交錯しています。ちなみに糸子についての説明は「丸顔に愁少し、颯(さっ)と映る襟地の中から薄鶯(うすうぐいす)の蘭(らん)の花が、幽(かすか)なる香を肌に吐いて、着けたる人の胸の上にこぼれかかる。糸子はこんな女である」……多分彼女も美女なのだと拝察。藤尾と糸子は表面上は仲良さそうに見えて、派手で遊び好きの藤尾は大人しい糸子を内心バカにしています。二人の女子の牽制(けんせい)しあう会話もスリリング。

 藤尾よりもさらに上手で、周りの人をコントロールしようとする藤尾の母は、小説の中で「謎の女」と称されています。「謎の女は近づく人を鍋の中へ入れて、方寸の杉箸に交ぜ繰り返す。芋を以もって自から居(お)るものでなければ、謎の女に近づいてはならぬ」。魔女っぽい記述ですが、虚栄心が強く計算高い、そんな女の業を集約したような存在が「謎の女」なのでしょう。

 明治時代は男尊女卑で、この小説の中にも「(娘を)差し上げる」とか「御前(妹)を甲野に遣(や)ろう」「糸公を貰もらってやってくれ」と、まるで女性を物のように上げるとか遣るとか貰ってくれとか、一体何なのだろうと平成人として引っかかるところがあります。そんな男性に支配された社会で、自分の思うままに巧妙に周りを動かそうとする、藤尾や藤尾の母のような女性に対し、作者は危機感を抱いていたのかもしれません。女性が強い現代につながる萌芽(ほうが)がここにあります。

 作者は女性の魔力を封じ込めようとするかのように、後半、藤尾と藤尾の母に過酷な試練を与えます。いっぽう優柔不断な小野さんは、小夜子と上野で開催された東京勧業博覧会を見に行ったところを、藤尾や糸子、宗近と甲野ご一行に目撃されたり、その後小夜子との縁談を断った上に藤尾とのデートもすっぽかしたり、彼の方がよほどひどい人間な気もしますが、学問の道を究めているだけで許されてしまうのでしょうか。荘厳で難解な漢文に、男の業が覆い隠されているのを、女として見逃せない小説です。

 ※「杳窕」=はるかに遠いさま。

 

(イラスト・文)辛酸なめ子 

 

しんさん・なめこ 
漫画家、コラムニスト。武蔵野美術大学短期大学部デザイン科グラフィックデザイン専攻卒業。アイドル観察からスピリチュアルまで幅広く取材し、執筆。新刊は『大人のコミュニケーション術 渡る世間は罠だらけ』(光文社新書)。