第二十七回 横櫛

第二十七回 横櫛

 この顔、この微笑、どこかで見たような……と思われたあなたは、ホラー好きではなかろうか。平成11(1999)年、岡山弁を効果的に駆使した岩井志麻子の短編小説『ぼっけえ、きょうてえ』が、第6回日本ホラー小説大賞を受賞。その主人公は、岡山の遊郭で客に悪夢のような寝物語を語る、醜貌の女郎だった。これを収めた短編小説集『ぼっけえ、きょうてえ』(1999年、角川書店)の表紙を飾った女性像こそ本作、甲斐庄のしょう楠ただ音おと《横櫛》であった。小説は脇に置いても、爛漫と咲き誇る牡丹を背に、うっすらと微笑を浮かべる女が、何かただならぬ、凄愴な気配を漂わせていることは感じ取れる。  明治27(1894)年に京都で生まれた甲斐庄は、日本画を学ぶ一方で、レオナルドやミケランジェロらルネサンスの巨匠、あるいは英国の詩人で、ロマン主義の先駆けとなったウィリアム・ブレイクにも傾倒。画壇でも注目を集める存在となったが、昭和9(1934)年以降は画壇から離れて映画の世界に転じ、溝口健二監督のスタッフとして衣裳・風俗考証に活躍するという、波瀾万丈な生涯を送っている。 本作のモデルとなった甲斐庄の義姉が扮するのは、河竹黙阿弥作『処女翫浮名横櫛』の主人公で、愛する男のために強請りや殺しに手を染める、切られお富。歌舞伎では悪婆(毒婦)の典型とされる役柄だ。観劇後に義姉がお富を真似た姿を描いたというが、衣裳は悪婆定番の格子縞ではない。 結髪の鬢びんに斜めに挿した櫛は、そのまま演目を暗示する。肩に掛けた脱ぎかけの着物は紫地に桜を散らし、裾には御所解文様が配される。一転して鮮やかな、紫とは補色の関係になる黄の長襦袢には火か 焰と獅子、黒と青の伊達締を締め、水色の襟えりには飛天が舞う。  衆生がその業の結果として輪廻転生を繰り返す6つの世界(天、人、修羅、畜生、餓鬼、地獄)を「六道」と呼ぶ。襦袢を舐なめる火焰は、その最下層に当たる地獄の連想へと繋つながり、「地獄変相図」の意匠をまとったという伝説の遊女・地獄太夫を重ねたくなる。一方、襟元に舞う飛天は天界の住人だが、彼らも天人五衰を経て死に至る宿命から逃れられない。そんな意匠に彩られた女の姿を、業の深さゆえに輪廻の環に閉じこめられた、いやむしろ苦の世界に留とどまることを自ら選んだがゆえの微笑│などと見るのは、穿うがちすぎだろうか。 甲斐庄は本作以降も、同様のタイトル、構図の作品を何回も描いている。だが胸がざわめくような不穏さは、それらの「試作」に位置づけられる本作にしか、宿っていない。

文、選定=橋本麻里

はしもと・まり  日本美術を領域とするライタ ー 、エディター。公益財団法人永青文庫副館長。「有職(ゆうそく)組紐 道明」をテーマにした展覧会を仕込み中。ただし展示は海外、その上コロナ禍の影響で延期の可能性もありと、先が見えない中で準備中です。

 

 

あやしい絵展

会場/アーティゾン美術館 (東京都中央区京橋1-7-2) 会期/前期展示:2020年11月14日 (土)~12月20日(日) 後期展示:2020年12月22日(火)~ 2021年1月24日(日) ※会期中展示替えあり。 《舞楽図屏風》は前期のみ展示。 開館時間/10:00~18:00(最終入館は 閉館30分前まで) 休館日/月曜(11月23日、1月11日は開館) 11月24日 年末年始(12月28日~1月4 日) 1月12日 入館料/一般(ウェブ予約チケット)1700 円、当日チケット(窓口販売)2000円(いず れも税込み) ※日時指定予約制(ウェブ予約チケットが 完売していない場合のみ、窓口販売あり) 問い合わせ先/☎050-5541-8600(ハロー ダイヤル)

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