浅生ハルミンの銀幕のkimonoスタア40 『百花』の原田美枝子

『百花』の原田美枝子

「半分の花火が観たいの」。認知症をわずらって記憶を失っていく母・百合子さん(原田美枝子)が息子・泉(菅田将暉)に叫ぶ声が響く。夏の夜空に、ひまわりの花のような大輪ではなく、半分だけの花火。湖畔の花火大会の会場で、これじゃないんだと訴える母の声は息子を当惑させ揺さぶり、自分を産み育ててくれた母のようにも、そうではなくなったひとりの女性のようにも見えただろう。と同時に私は、これまで観た花火のなかでいつの花火がいちばんよかったかなと思い返してみた。で、6年ほど前に友人宅の屋上から観た横浜の花火大会が浮かんだ。マリンタワーもベイブリッジも見えた。子どもたちがシャボン玉を吹きながら駆け回り、大人は缶ビールを飲んで、夕風が気持ちよかった。みなさんの花火の思い出はどんなふうですか。

泉の母は自宅でピアノ教室を開き、女手ひとつで彼を育てた。その家も時を重ね、柱や壁一面の本棚はセピア色に染まっている。一輪挿しのしおれた花、座る主を忘れた椅子、教室でピアノを弾いているのは誰? いま玄関の扉が開く音がしたわ、もしかして来るはずのないあの人が……でも扉を開けて入ってきたのは自分だった。母の見ている世界は螺旋(らせん)状にくるくるループして描かれ、静かで重くてリアルだ。

泉は母が心配で、ときどき実家を訪れるが、言葉少なである。テーブルに並んだ母の手料理(多く作りすぎている)も少し食べただけでさっと帰る。母に優しく接したいはずなのになぜ?と私は引き込まれる。泉の母への距離感は、のちに母のベッドの下で見つけた、秘密の手帳に封印されていた過去の出来事が運んできたものだった。

認知症という思い出泥棒は、泉の顔を忘れさせ、母にとっての大切な出来事だけをくっきり残した。私は自分と重ね合わせて、そうなったとき無理かもしれないけど、百合子さんのように幸福な記憶が残るように今を過ごすぞ、と思った。だが、この映画はそれでは終わらないのだ。泉は子どもの頃の出来事を今も胸の奥底で固く握りしめているが、反面、忘れていた事があったのだ。人は忘れる生き物だったと思い至った瞬間の、ほの明るく軽やかな、たったひとつの言葉が印象的だった。

百合子さんはゆかたを着て花火大会に出かけた。白地に笹ささの柄、帯は黄色だ。並んで歩く泉は紫色のTシャツと薄手のカーディガン。二人の色彩のコントラストが効いていて、夏の終わりの空気を思わせてくれた。

文、イラスト=浅生ハルミン

あさお・はるみん イラストレーター、エッセイスト。『本の雑誌』(本の雑誌社)にエッセー「こけし始めました」を連載中。こけしを愛する女の子をテーマに描いた絵葉書を販売開始。ウェブショップ「はちみせ」https://83s.shop/(「浅生ハルミン」で検索)

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