【七緒vol.55】浅生ハルミンの銀幕のkimonoスタア17 『それから』の藤谷美和子

長井代助(松田優作)は資産家の次男坊で独身、無職。食べるための労働は堕落だという思想の持ち主だが、実のところ親のお金でおんぶに抱っこ。それなのに悠々自適を憂いもしているという複雑な人である。親友の妹・三千代さん(藤谷美和子)に恋心を抱きながら、友人・平岡(小林! 薫)との結婚を格好つけて取りもったりして、代助の中には相反するものが軋きしみあっている。それを壊しにくるのが三千代さんだ。 三千代さんは病弱で、いつも青白く儚(はかな)げだ。白い百合の束を抱え、息を弾ませて「ああ苦しかった」と代助の家へ駆け込んできて、彼が目を離した隙に、鈴蘭(すずらん)を生けたガラス器の水をすくって飲んでしまう。このシーンは、映画に流れる時間のなかで特別に尖とがっている。 三千代さんはよく飲む。印象的だったのはラムネの瓶から唇を離したとき、かすかに「ボゥ……」と笛に似た音が聞こえたことだ。「故意に鳴らそうとして鳴るものじゃないぞ」と思った。三千代さんと女優さんの存在が見事に共鳴した瞬間だ。「ボゥ……」と低く響く、瓶の口に呼気が吹き込まれたその音を、よくぞ録音して残してくださったと思った。代助にとって三千代さんは静かな野性を秘めた驚きの塊である。気持ちを伝えない代助。沈黙に遅れて遠雷が響き、雨がやってくる予感。二人を閉じ込めるのはいつも雨と濃密な百合の匂いだ。 三千代さんが鈴蘭の水を飲んだときの、長羽織は水の文様。薄青に白いせせらぎ、水辺の生物の卵のようにも見えるぼかした丸い形を寄せた文様。色調を合わせた青紫に肌色の菊花の着物と帯。さらに半衿も柄だ。柄に柄を重ねる愉たのしみは着物のいいところ。 原作によると、おしゃれを愉しむ明治の資産家のご婦人は、フランスから高価なテキスタイルを取り寄せて帯に仕立てていたそうだ。嫂あによめの梅子さん(草笛光子)の帯をじっと見てしまった。 柄と柄を合わせた豪華な花束のような昔の着物、大きく結った髪はデカダンで力強く、かなり攻めている着こなしだと思う。その衣装に包まれる藤谷美和子の身体と声は、このうえなくかよわい。おしゃれにおいて相反するものの共存は、魅力であることはいうまでもないのだ。

文、イラスト=浅生ハルミン

あさお・はるみん 三重県生まれ。雑誌や書籍などで活躍中のイラストレーター、エッセイスト。現在NHK Eテレ『又吉直樹のヘウレーカ!』のイラストを担当中。趣味は古本と猫とこけし

 

 

 

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