『光琳の櫛』芝木好子

稀代(きたい)の櫛(くし)コレクター、久住 園のもとを訪れた大学で美術史を教える高垣と、出版社から廻(まわ)された助手の玲子。約五千点の櫛、かんざし、笄(こうがい)を蒐集(しゅうしゅう)している園は、芸妓(げいこ)から料亭女将(おかみ)となったたおやかな女性。原 羊遊斎や酒井抱一、梶川文龍斎などが手がけた江戸時代の美しい櫛から、念がこもった重くるしい櫛まで、道具屋で目にとまった櫛を次々と手に入れてきました。一人家で櫛に話しかけ、「さあお風呂に入って身を清めるがいい」と優しく洗い清めたり、撫(な)でたりしています。櫛に関しては超能力者の域で、昔の持ち主の姿を夢に見ることも。現代のバレッタやシュシュにはここまでの念はこもらなそうですが、園は「女の飾りにこもる女の情念にまどわされもし、うっとりもし」ています。
園のコレクションは、一人で成し遂げたのではなく、買い与えてくれた男たちあってのこと。この十年、愛人として尽くしてきた鉄鋼会社社長の由良は「欲しければ買えばいい」と櫛を買い与えてくれましたが、大病を患い遠方で療養することに。別れの日、園は黒髪から鼈甲(べっこう)の櫛を抜いて力まかせに割った上、壁に投げつけます。櫛は女の情念を増幅させるのでしょうか。
高垣が執筆する櫛の図録を充実させるため、という名目で園はさらなる逸品を追い求めます。高垣の伯母、仲子の知人の、名品を持っている七十代男性の深沢を訪ねることに。仲子の半襟(はんえり)コレクションも見事でしたが、園の本命は櫛でした。鎌倉の深沢宅で見せてもらったのは、財閥の夫人から譲り受けた尾形光琳の櫛。園の口から悲鳴に似た声が漏れるほどの絶品で、鷺(さぎ)をあしらった蒔絵(まきえ)の元禄櫛でした。同行した高垣と、帰り道に夢中で櫛の話をしていたら、着物姿で山道で迷い、足を挫いてしまうハプニングが。二人の距離は縮まり、高垣は若い玲子に目もくれず、十歳年上の園を思うように。若いのに高い櫛を貢いでいました。
いっぽう、光琳の櫛を手に入れたい園のお店には、深沢が通ってきて櫛を「永久に貸す」代わりに旅行に誘うなど油断できません。体調を崩した深沢が櫛を手放し、園は櫛を手に入れますが、それだけでは飽き足らず……。能面コレクター黒沼が所有する抱一の櫛を手に入れたいと願い、親密になって借りることに成功。嫉妬した高垣にキレられ櫛を窓から投げ捨てられ、櫛の切れ目が縁の切れ目になってしまいました。櫛のために男たちを翻弄(ほんろう)し生気を奪う園。櫛の精が彼女を選んだのは、櫛に宿る女たちの積年の恨みを晴らしてくれる器量と才覚の持ち主だったからかもしれません。
しんさん・なめこ 漫画家、コラムニスト。近著に『この人生、前世のせいってことにしていいですか』(幻冬舎文庫)など。「以前こちらでインプラントになりそうだと書いていましたが、米国式再根管治療を行なう歯科医に治療していただき、しばらく自分の歯でいけそうです! 歯の痛みはないですが自費診療で財布の痛みが……」
文、イラスト=辛酸なめ子