『蓼(たで)喰(く)ふ虫』谷崎潤一郎

要と美佐子は、弘という息子にも恵まれ一見幸せな夫婦に見えますが、実は人に言えない秘密がありました。要は結婚当初から妻に対し「性慾(せいよく)的に何等(なんら)の魅力もない」と、感じていたのです。「要に取つて女といふものは神であるか玩具(がんぐ)であるかの孰(いず)れか」で、妻はどちらにも属していないから「愛することは出来ない」という勝手すぎる理由です。レスに悩む夫婦の小説が約100年前に書かれていたとは谷崎潤一郎の先見性に驚かされます。作家の佐藤春夫に自分の妻を譲渡したという本人の体験が反映されている説がありますが……。
要は西洋人の娼婦(しょうふ)、ルイズのもとに通い、お金を無心されながらもズルズル付き合っています。ルイズのことを「四肢(しし)と毛なみの美しい獣」だと思っている要は、やはり女性観が歪(ゆが)んでいるような……。また、要は妻の父親の老人と、その愛人お久の関係を観察しながら、お久に日本的な美を見出(みいだ)しています。いっぽう美佐子は、夫公認で阿曾という間男と交際。夫婦それぞれ別に相手がいてお互い認めているのは「オープンマリッジ」の先駆けです。
美佐子の父は人形浄瑠璃が好きで、若くて「人形のやうな女」のお久を連れ歩いていました。要と美佐子は、父とお久と一緒に人形芝居を観(み)に行くことに。狭い桝席(ますせき)で要の前に着物姿で座っている美佐子が「足袋の先が夫の膝頭に触れると急いでそれを引つ込める」様子に肉体接触を避ける関係が表れています。要は老人とお久の旅行にも付き添い、老人がお久の着物の帯を締める様子を眺めたり、夜中、お久が老人の足腰を揉(も)む音や話し声を聞いたりして、自分たち夫婦とは違う仲睦(むつ)まじさを見せつけられました。
要は奥ゆかしいお久が気になりながらも「お久と云(い)ふものが或(あ)る特定な一人の女でなく、むしろ一つのタイプであるやうに」考えています。人形のように意のままに動き、代わりがきく存在ということでしょうか。要は女性にも人格や自意識があることを認めていないようで、美佐子が他の男性にいきたくなるのも仕方ありません。美佐子に間男がいることはとうとう父にもバレてしまい、心配されますが、そういう父にも若い愛人がいるのでした。美佐子が開き直ったかのように煙草(たばこ)を吸いながら、要と今後どうするか話し合うシーンが印象的です。人形のような従順な存在にはなりたくない、という美佐子の反骨精神や強さが頼もしく、現代の女性の意識と通じるものを感じます。令和の男性も要や父と変わらず、お久のような若くて素直な女性を好みがちですが……。
しんさん・なめこ 漫画家、コラムニスト。近著に『この人生、前世のせいってことにしていいですか』(幻冬舎文庫)。「1年ほどシェア菜園を借りてミニトマトやレタスなどを育ててきました。植物や土に触れることで癒やされましたが、先日大きめのイモムシを発見。来期も借りるか迷い中です」
文、イラスト=辛酸なめ子