辛酸なめ子の着物のけはひ 『木瓜の花』有吉佐和子

『木瓜の花』有吉佐和子

 花柳界から足を洗い、割烹(かっぽう)旅館「喜村」の女将(おかみ)として働く正子のところに、突然、謎の老婆が飛び込んできた場面から物語が始まります。老婆は芸者時代の仲間で40年来の付き合いの蔦代(つたよ)の母親でした。水商売で羽振りが良い蔦代と、堅気の正子は因縁の関係で、さんざん蔦代に振り回されてきた正子は何度も絶交を言い渡してきました。今回も母親を引き取ってほしいという無理な要求をしてきた蔦代。お礼に木瓜(ぼけ)の鉢植えを持ってきて、正子を説得。老婆は深夜に喉笛を鳴らしながら30番くらい続く「子守り唄(うた)」を歌い出したりして、正子を狼狽(ろうばい)させます。

正子は「喜村」に座談会などで訪れる40代の学者の湧井に想(おも)いを寄せていました。芸者時代、大金持ちのパトロンがいた上に歌舞伎役者とも浮き名を流した正子でしたが、戦争で消息がつかめなくなった恋人、山田一人に似ている湧井に惹ひかれ、乙女のような気持ちで恋していました。60近くても内面は16歳のよう。黒の翠紗(すいしゃ)や藍大島など上質な着物を姿勢良く着こなしながらも、気持ちは若々しいのがモテる理由でしょうか。天然ボケの魅力もあり、「マスコミ」を「桝ます込こみ」と勘違いしたり、「プライバシー」を「ブライ橋」、「コレステロール」を「コレ、ステロ」などと言ってお客にウケたりしています。「喜村」に通うお客は、アラ還でも、美人で趣味が良くて天然の正子に惹かれていたのでしょう。

そんなある日、正子は湧井からボリショイ・バレエ公演に誘われます。その日のために肌(はだ)襦袢(じゅばん)から半襟(はんえり)、黒い着物まで一式揃えた彼女に、元芸者のプライドと経済力を感じます。会場では湧井の大ファンの若い女性、山田一子がつきまとい、心穏やかではありません。正子は瀕死(ひんし)の白鳥のシーンに孤独な自分を重ね合わせ感動して涙を流します。湧井は、純粋な姿を見せられた上、白鳥のことを「千鳥」と言う正子の魅力にやられてしまったのかもしれません。その後2人はいい雰囲気になりかけたのに、タイミング悪く蔦代の母が臨終を迎え、対応に追われる正子。蔦代に翻弄(ほんろう)されてばかりです。放置されて機嫌を損ねた湧井に、また来てほしいと指きりげんまんをさせる正子の無邪気さに、また湧井は心をつかまれたのでしょう。2人の関係はその後もプラトニックで小指を絡ませたくらいの接触にとどまっている、というのが胸キュンポイント。湧井は客員教授としてアメリカに招かれ、旅立ってしまいますが、文通で交流する2人のピュアさにも感じ入りました。

しかし正子も蔦代も還暦近いという現実が。浴室ですれ違ってお互いのヘアを見て「まっ白ねえ」と驚いたり、蔦代が総入れ歯だと判明したり、皺しわ取りの手術をカミングアウトされたりで、年齢を意識させられます。長年日本髪を結うとできる頭頂部の禿(はげ)に悩んでいた正子は、湧井のことを想い、蔦代と一緒に禿取り手術を受けることを決意。結局2人は仲良しです。麻酔中、湧井の夢を見る正子。空間を超えて2人は再会できました。遠くに行ってしまった湧井。次会えるのは、皺取りの手術の麻酔の時でしょうか……。

 

 

 

しんさん・なめこ 東京生まれ、埼玉育ち。漫画家・コラムニスト。武蔵野美術大学短期大学部デザイン科卒業。新著に『新・人間関係のルール』(光文社新書)。なめ子さんがよく買う花はスターチスとバラ。「スターチスはかわいくて長持ちするので。バラは形や色に心が癒やされます」

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