辛酸なめ子の着物のけはひ 『或る女』有島武郎

『或る女』有島武郎

 有島武郎による有名な長編小説で、主人公は、二十代半ばで美貌の早さ 月つき葉子。書生の木部と結婚したものの「身震いする程失望」して離婚。父母も亡くなり、つてを頼ってアメリカ在住の実業家、木村と婚約し、移住するためにアメリカ行きの船に乗ります。しかしそこで大変なスキャンダルが発生。実話に基づいた展開とのことで驚きますが、葉子は船で出会ったワイルドな事務長(妻子持ち)と深い関係になってしまうのです。上流階級の常識人、田川夫妻(モデルは法学博士の鳩山和夫夫妻)に見とがめられながらも、船の中ではお姫様のように君臨する葉子。葉子は自己プロデュース能力に長けてカリスマ性もあったようです。着物やお化粧のセンスがあり「思い切って地味なくすんだ」着物と、存分に若作りしたお化粧を合わせたり。そんな彼女は自然と注目の的に。「妖力ある女郎蜘蛛」のような葉子には、集まってくる男たちをからめ取るのはたやすいことでした。船では彼女を「前世からの姉」と慕う青年、岡のことをかわいがりつつ、事務長の倉地とも良い仲に……。当初「あんな高慢ちきな乱暴な人私嫌いですわ」と言っていたのは、好意フラグだったのでしょうか。倉地の部屋に呼ばれていき、気づいたら抱きすくめられていました。この時から、痙けい攣れん的に激しく泣き出したり、葉子の激しい性格の予兆が現れています。以降も、急に憤ったり泣き出したり「どうにでもなれ、殺すか死ぬかするのだ」という心境になったり、倉地の家族写真をずたずたに引き裂いたり、常に崖っぷちの葉子。百戦錬磨の倉地も、予測のつかない葉子にハマっていきます。結局葉子は、「お腹なかが痛い」を理由に、木村をアメリカに残して同じ船で日本に戻ることに。これも実際あった話だそうで、令和の世にもなかなかいない強烈な女性です。


 美しさと才気ゆえ、傲慢な葉子は周りを蔑さげすみまくって生きていました。平凡で幸せな暮らしをしている女性たちを見下し、「親類という一群れは唯ただ貪欲な賤民」、社会は「愚かしげな醜いもの」と言い切り、元夫の木部は「実生活に於おいては見下げ果てた程貧弱で簡単な一書生」とまでディスっていて恐ろしいです。そんな葉子を受け入れようとしてくれる木村には「虫唾が走る程厭悪の情」を抱きながらも、金づるとして「そうだ、まだ木村を逃がしてはならぬ」と悪巧み。作者は、モチーフの女性の婚約者(木村のモデル)と友人だった説があるので、友人の仇かたきを取る勢いで、凶悪な魔性の女のように綴っています。

 

 倉地とはしばらく愛欲を貪る日々でしたが、後半に進むに従い暗雲が。美しい妹愛子と倉地の関係を疑って妹に辛く当たり、倉地の妻の写真を歯で引き裂き(何度も破かれ気の毒です)、ヒステリーの発作に度々襲われます。「猛火であぶり立てるような激情」や「極端な神経の混乱」に陥りながらもどこか苦しんでいる姿が楽しそうで、生きている実感を味わっているようです。仕事での自己表現や家庭の充実だけが幸せなのではない、自分を生き切ることが最大の表現活動でリア充なのかもしれない、と明治の女性に教えられました。

しんさん・なめこ 漫画家、コラムニスト。恋愛、スピリチュアルなど多彩なジャンルを取材、独特な目線で描く。著書多数、近著に『愛すべき音大生の生態』(PHP研究所)など。なめ子さんの活躍はオフィシャルブログ「なめ子星雲」やツイッターで。

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