堀田佳男の「2008アメリカ大統領選ウォッチ」

2010年3月19日

 
 

 米中がふたたび「通貨バトル」を始めようとしている。

 米議会の超党派議員130人は今月15日、中国人民元の価値が故意に低く設定されているとして、ガイトナー財務長官とロック商務長官に「人民元の切り上げ圧力を強めろ」という内容の書簡を送った。翌16日には、中国が切り上げに応じない場合、関税引き上げを含む制裁法案を提出する準備をしていると発表した。

 この流れを見ていると、まるで1980年代後半に逆戻りしたかのような錯覚を抱く。当時、アメリカの「標的」は日本だった。70年代から日本製自動車の輸出超過が際立ち、日米間の貿易摩擦は収まる気配がなく、対日貿易赤字は増大する一方だった。
 特に87年の東芝機械によるココム違反事件は象徴的で、一部の連邦議員は感情的になって東芝製のテレビをハンマーで叩き割ってみせた。そのシーンが繰り返しテレビ映像で流されたため、アメリカ国内では日本の悪者イメージが広がった。

 現在の連邦議員による人民元への圧力もそれに近いものがある。こうした行動が問題を解決しないことは専門家でなくとも理解できるはずだが、過激な言動は収まらない。というのも、政治的には今年11月の中間選挙を前に、地元有権者へのアピールもあり、中国という敵を故意に作って国内の不満を一点に集める目的があるためだ。
 16日に発表された制裁法案の共同執筆者である民主党デビー・スタブノー上院議員(ミシガン州)などは、人民元だけでなく中国の貿易慣行を「いかさま」と呼びさえする。本人のブログには次のようなくだりがある。

「財務省は年に2回為替報告書を発表しているが、4月15日の報告書では多くのエコノミストが主張するとおり『中国は為替操作国』という事実を明記してほしい。(中略)専門家によっては、人民元の価値は本来あるべき状態より40%も下げられたままだ。中国政府は賢いエコノミストを雇って為替操作を戦略的に行い、人民元の価値を故意に低くしてアメリカ企業を破産させようとしている」

 スタブノー議員はなぜここまで中国を攻めるのか。一つの物語が背景にあった。

 同議員の地元ミシガン州にマスケゴンという場所がある。そこに「北米サッピ・ファインペーパー」社という製紙会社の工場がある。同社は世界中に事業を展開する大企業だが、マスケゴン市の工場は09年8月に閉鎖されていた。190人の労働者も全員解雇である。
 その中の一人マーク・エバンズさんは29年間勤務したベテランだった。
「アジア諸国の製紙会社が確実に弊社よりも低価格で生産していますから、国際競争に勝てなかったわけです。アメリカ企業が外国企業に葬り去られた例がまた一つ増えたことになります」

 議員はブログにこのストーリーを載せた。ミシガン州は全米でもっとも失業率の高い州である。自動車だけでなく、その他の製造業も惨憺たるあり様である。スタブノー議員はエバンスさんのような地元有権者の悲痛な思いをどこかに訴える必要があったわけだ。
 政治家が有権者の声に耳を傾けることは義務であるし、その要望を国政に生かすことは議員の勤めでもある。だが、単なる感情的な中国批判はテレビを叩き割る愚行と同じで、中国を為替操作国と糾弾し、制裁法案を成立させてもアメリカ国内の雇用は増えない。しかも対中貿易赤字が劇的に改善することもない。むしろ中国からの反発を招く。
 温家宝首相は「強制的に相手国の為替レートの切り上げを迫るやり方に反対する。為替レートは自国経済の状況をみて総合的に判断されるものだ」と、もちろんアメリカのやり方に反対してみせた。

 中国側が本当に反発した場合、どうなるのだろうか。
 仮にアメリカへの相殺制裁として米国債を売っても、アメリカの長・短期金利に大きな影響が出る可能性は少ない。ノーベル経済学賞を受賞したポール・クルーグマン教授も、アメリカは恐れるべきことはないとコラムで書く。
「中国が大量の財務省証券を売却すると、確かにドルの価値はユーロなどの主要通貨に対して下落するだろうが、それはアメリカにとってむしろいいことだ。アメリカ製品が国外で競争力を高めると同時に貿易赤字が減少する。むしろドル資産を大量に抱える中国の方が困るはずだ」

 中国がかかえる財務省証券はすでに8890億ドルで世界一に達している。だがアメリカにとっては脅威になっていない。
 ワシントンにあるシンクタンク、ピーターソン国際経済研究所のジョー・ギャグノン研究員も、中国がドル資産を売っても不利になるのは中国だと述べる。
「財務省証券を売っても、アメリカが受ける影響は驚くほど小さいことを中国は知るべきです。むしろドルの価値を下げるという目的は外れると思った方がいい。ドルが売られても、結果的にドルはアメリカに再投資されるだけです」
 米中両国の制裁は問題の本質には迫らないということである。

 アメリカが保護主義政策として中国からの輸入品に高関税を課しても、対中貿易赤字を減らす解決策にはならないし、経済活性化にもつながらない。それは効かない風邪薬を処方することに似ている。症状は多少和らぐかもしれないが、風邪のウイルスを殺すことはないのである。
 連邦議員は対中制裁の法案などに時間を割くのではなく、喫緊の医療保険改革や金融規制改革に精力を割くべきである。

 
 
堀田佳男

堀田佳男

Yoshio Hotta
1957年東京生まれ。早稲田大学 文学部を卒業後、ワシントンDCにあるアメリカン大学  大学院国際関係課程修了。大学院在学中に読売新聞ワシントン支局で1年間助手を務める。卒業後、米情報調査会社に勤務。アメリカの日刊紙の日本語ダイジェストの執筆・編集に携わる。永住権取得後、1990年に会社を辞して独立。以来、ジャーナリストとして政治、経済、社会問題など幅広い分野で精力的に執筆活動を行っている。25年の滞米生活後、2007年春帰国。
著書に『大統領はカネで買えるか?』(角川新書)『大統領のつくりかた』(プレスプラン)など。

http://www.yoshiohotta.com/
 
 

おすすめコンテンツ