ダブルキャリア列伝【3】 海原純子さん
[第11回] 「勝ち組」でいられなくなった時がチャンス
── 海原さんにとって、「歌う」ということは仕事やキャリアというより、ご自身の一部という感じなんでしょうか。
海原 私自身、何で歌をやっているのか、よくわからないんです。すごく好きという感じもなくて、「やらなきゃいられない」という感じです。
人間、ご飯、食べなきゃいられないですよね。では、「ご飯が好きですか」と聞かれても困るでしょ。そういう感じです。
≪海原さんは著書でこんな風にも書いている。
「医師という仕事は、常に自分の感情をコントロールして、冷静にものごとに対処しなければなりません。しかし、私自身は感情がかなり強い人間なので、冷静にしているために感情を抑えつけることも多いのです。抑えた感情を自分らしく表現する、それは歌うことでしか表わせないと思っています。ですから歌うことは、私にとって必要なプロセスなのです。みなさんのなかにも、今の生活で「生かし切れない何か」があるはずです。それを生かすことで、より自分らしく生きられるでしょう」(『海原純子の「心」がおちこんだとき読むクスリ』講談社)。
海原さんにとって、歌は必然、日々食べる食事のようなものなのだ。≫
── ご著書『こころの格差社会―ぬけがけと嫉妬の現代日本人』(角川ONEテーマ21)に、マズローによる有名な欲求レベルの理論を応用し、「なりたい自分」という無意識レベルの欲求を、「なりたい自分を生かす」という意識レベルに生かすのが自己実現人生だ、という記述があるのですが、我が意を得た気持ちで読みました。「なりたい自分を生かす」のがダブルキャリアではないか、と思ったのです。
海原 そうですね。
── 同じ本にある≪自分の気づかない自分の可能性、真の「その人らしさ」「なりうるもの」に気づくチャンスは、実は(生理的欲求や、安全欲求、などが侵害されずに)勝ち組でいられなくなった時なのである≫という文章も、その通りだ、と思いました。
海原 勝ち組というのは世間の評価だから、それに合わせるのは簡単で、「やろう」と思えばできちゃうの。だけど、そのために「自分が本来、やりたいこと」が抑えられてしまうんです。
でも、うまく「やりたいこと」を無意識の部分から引き出して、今の自分に統合してあげると、人生が非常に深いものになります。それを人が楽しんでくれたら最高じゃないですか。そういうかたちにまで、ダブルキャリアを高めていくのがいいと思います。
── 海原さんの他のいろんな本や記事を読ませていただくと、「趣味は自分のやりたいこと。仕事は他人の需要にこたえること」という言葉がよく出てきます。同じような意味で、他人の需要に応えてお金をもらうから真剣勝負になり、だからこそ、キャリアになりえる、要は趣味やボランティアではキャリアにならないのでは、というのが私の考えなのですが、いかがでしょうか。
海原 ネパールとかで、眼の手術をただでやってあげているお医者さんがいます。お金をもらわずやっている、あの人はプロじゃないかっていうとプロなわけです。お金をもらってないけれど。人に感謝され、自分もやりたくてやっている。あれがやっぱりベストかなと思っているんです。
私も、ちょっと前まではすごくお金ということを気にしていた。「お金をもらえる歌じゃないとプロじゃない」と、ずっと思っていたの。でも、ある時、「この方たちは高いフィーを払ってきてくださるけど、なぜだろう」と。「歌のうまさだったら、もっとうまい人たちは沢山いるわけで、うまい歌を求めて来ているわけじゃないんだ」と。
“私でなければ提供できない何か”を求めて来てくれている。そういうものを私が出せているから、来てくれているわけで、歌の巧拙は大きな問題ではないと思ったの。昔は「こんな下手でいいのかしら」と思ったこともあったんですが、今は、「私はこれでプロとしてやっている」という感じになれました。
── 海原さんは、歌だけでなく、文章も書かれる、写真も撮る、大学でも教えている。まさにマルチなご活躍ぶりですが、生活はどうやってやり繰りしているんですか。
海原 生活のやりくりはすごく大変です。やることが一日に入りきらないことが多いですね(笑)。
私は8月からハーバード大学に行くので、英語のレッスンもいろいろやっているんです。一つはインターネット電話のスカイプでペンシルバニアの先生に発音のチェックをしてもらっています。
去年の夏、CDをつくりにニューヨークに行きました。ロリス・ホランドという、マライア・キャリーの作曲もやっている大プロデューサーが、私の詩に曲をつけてくれて、オリジナルを2曲つくったんです。
彼に「とにかく英語の発音をネイティブに近づけて」と。何をチェックされたかというと、歌ではなくて発音ばっかりだった。「発音をちゃんとやってくれればビッグマネー」って言われて(笑)。
それで去年の秋からペンシルバニアの先生にチェックを頼んだんです。その後にハーバードの話が決まったから、「これは本格的にやらなくちゃいけない」と思って、テンプル大学の夜の社会人コースでも英語の勉強を始めました。
その大学の外国人の先生のお姉さんが高輪に住んでいるので、その人にも発音をチェックしてもらっています。計3カ所、英語のレッスンがあるんです。
あとはジャズのボイストレーニングとクラシック風のボイストレーニング、スタジオを借りての声を出すトレーニング、それから原稿の書き下ろしがいっぱいあって、新聞の連載もある。夜、プールに行ったりもしますから、1日に入りきらない(笑)。
── でも、それがよく24時間で全部入っていますね。
海原 だから、わりにシフトするの。この前、2カ月くらいかけた書き下ろしがあったんです。書き下ろしって英語をやっていると書けない。どこかで脳が邪魔しちゃうので、その2カ月くらいはペンシルバニアはお休み。その書き下ろしが終わると、ちょっと楽な別の書き下ろしがある。それは両立できます。
絶対、両立できないものがあります。それを今は分けてやっています。そのうち両立できるようになるかも知れませんが、今は英語脳が活性化してないので、こっちを開けちゃうと、こっちが開かないみたいな。
── ハーバードは研究に行かれるんですか。
海原 そうです。
── 医学部ですか。
海原 そうです。この10月から立ち上がる部門があって、そこが、私がいろいろやってきたこととすごくリンクしていたの。今年の冬にニューヨークに行ったとき、その話を聞いて、メールでやりとりしていたら、盛り上がっちゃって、「秋からずっと来たら」と言われたんだけど、日本の大学もあるから駄目。うまい折衷案がないかと思って、それで、8月、9月とハーバード、10月、11月と日本に帰って、また12月から3月まで向こうに行く。そういう感じでやることになったんです。
── まさに二重生活ですね。ハーバードでは何を研究されるのですか。
海原 医療のコミュニケーションと、医学知識の普及ということなんです。私は白?大学で、一般の学生を相手に、心身医学とスポーツ医学を教えているんですが、子供たちの教師となる人に医学知識がないと、医学知識がプアな子供が育つわけです。
高学歴の人でも、病気のことなど全然知らない人が多い。その知識のギャップが医者と患者の間のコミュニケーションギャップになっているんじゃないかと思っているんです。そういうテーマでリサーチしていたんですが、ちょうどハーバードも同じようなことをやっていた。先生も面白そうなので、「日本とアメリカで、いろいろやってみようか」っていう。
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