染め織りペディア35

「播州織」のネクストステップ

JR加古川駅から西脇市方面に向かう途中、列車は広い川を渡る。兵庫県の中央部を縦断する加古川で、このあたりは古くより播州と呼ばれてきた。

温暖な瀬戸内気候の播州では江戸の中頃より綿花栽培が始まり、農閑期には木綿織物が盛んに織られていた。

明治の後半、ここの織物が産業化していく。河川がもたらす豊かな水が染色に向いた軟水だったこともあり、力織機の普及とともに、糸を染めてから織る先染め木綿織物「播州織」の見事な色柄は、とりわけ海外で歓迎された。

戦時中を生き延び、戦後の高度成長期には再び輸出で繁栄。その後の不況下でも、この地域は最新織機を積極的に導入し、多品種、小ロット、短納期に対応する稀有(けう)な織物産地へと変貌を遂げていく。

糸染め、サイジング(準備過程としてのタテ糸の糊(のり)付け)、織り、後加工と分業による産地一貫生産を強みに、国産先染め織物におけるシェアは70%に及ぶ。

「その時代を経た父たち世代が今、産地を支えていますが、次の世代が……」とは、播州織ネクストジャパン(以下ネクスト)のメンバーの一人である渡辺毅さん。播州織を未来につなげよう、と織り部門を担う若手後継者でグループを結成。ただ、当時は9名だったメンバーは、播州織で製品をつくる「ORITO+」の渡辺さん、複雑な織り柄を得意とする「小円織物」の小林一光さん、糸にこだわった薄手生地に定評ある「川上織物」の川上大輔さんの3人になった。

メンバー減は、産地の現状を映しているという。ハイブランドに生地が採用されることも多く、播州織の品質は高く評価されている。「それなのに、です」と川上さんは苦い表情だ。「川上織物」は、家内制工業が主の播州織の中では、従業員を抱える大手。「メンバーの何人かは実家廃業でうちの従業員に。一方、メンバーで活動する余裕がなく離れた人も」

産地はじわじわ縮小している。3人の話を総合すれば、戦後の好況時に定着した薄利多売の商習慣が、真逆にある今もなお残り、織物工場の負担になっている。

また、高速で複雑なレピアやエアジェットなど播州織の織機に設備投資することの負担も大きい。「最盛期は1400軒あった工場が、80軒にまで減りました」とは小林さん。その作業にも驚かされる。一人当たり10台の織機を担当、糸切れすると機械は止まるため、素早く正確に糸を結び、再稼働させる。「日々忙しいし、ほどんど休日がありません」

でも、「播州織の未来のためには様々な問題点をリセットしなければなりません」。ネクスト結成当初は、播州織を宣伝しよう、との思いが強かった。今は、各自が変革していくことこそ大切だと3人は考える。「ネクストはなんとしても残します。メンバー以外とも意見交換し、助け合える場が必要です」。15年の年月で体感したことを糧に、彼らは未来へと歩を進めていく。

文=田中敦子 イラスト=なかむらるみ

たなか・あつこ 手仕事の分野で書き手、伝え手として活躍。帯留めのプロデュースも。昭和の文士・尾崎一雄の幻の新聞小説『とんでもない』を世に出すため奮闘。春陽堂書店より発売中。

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