『橋づくし』三島由紀夫

二〇二五年に生誕百年を迎えた三島由紀夫の短編『橋づくし』の舞台は花柳界。ある満月の夜、密(ひそ)かに集った四人の女たちは、築地川にかかる七つの橋を後戻りせずに無言で渡りきれば願いが叶(かな)う、という願掛けを決行しようとしていました。一番年長は四十二歳の芸妓(げいぎ)の小弓で、小こ肥ぶとりした体に白地に黒の秋草のちぢみの浴衣(ゆかた)を着用。同じく芸妓のかな子は二十二歳で、白地に藍の観世水を染めたちぢみの浴衣姿です。肥った金持ちの中年か初老の男性に旦那になってほしい、というのが彼女の願いです。かな子と仲が良い二十二歳の満佐子は料亭の箱入り娘で、思いを寄せる俳優Rと結ばれることを願い、着ると妊娠する柄と言われている萩(はぎ)のちりめんの勝負浴衣で参戦。夏の夜に、願望や妄想でほてった体を包み込む、浴衣の涼しげな描写が印象的です。もう一人、満佐子のお供に女中のみなもついてきたのですが、体格が良く色黒の彼女は、ありあわせの浴衣地で拵(こしら)えたワンピースを着用。何を考えているのかわからない不気味さ漂う若い娘です。
小弓の先導で最初の三吉橋に無言で向かう四人。三吉橋は三叉(みつまた)になっていてY字の二辺を渡れば橋を二つ渡ったことになる、というのが小弓の算段です。大切な願いを叶えるため橋を渡るのに、いきなりはしょるなんて本気度が足りない気もします。女たちは橋のたもとで手をあわせて祈願。夜中、この光景に出くわした人々は驚きますが、四人は気にとめる様子もなく、次の橋へ。小弓はお金持ちになりたいという自分の願い事を忘れ、無事に橋を渡ることの方が大事な願いに思えていました。若い頃に比べて夢や願望も見失いがちな四十代女性のリアルです。第三の築地橋を渡ったとき、かな子は激しい腹痛に襲われます。抱いていた夢は現実性を失い、限界に達したかな子はあえなく棄権。気の毒に思いながらも満佐子は自分の願いを遂げるため次の入船橋へ。無事に渡り、第五の暁橋で満佐子はつまずいて転びそうになります。橋のジンクスといえば太宰府天満宮の太鼓橋では、未来を表す三つ目の橋でつまずいてはいけないと言われています。満佐子のつまずきも不穏な未来を予言しているかのようです。そして小弓も、この橋で「ちょいと小弓さん」「知らん顔はひどいでしょう」と、昔の知人にしつこく話しかけられ、願掛けは失敗。
最後残ったのは満佐子とみな。「何か見当のつかない願事(ねぎごと)を抱いた岩乗(がんじょう)な女」、みなが後ろに迫るのを恐怖に感じながら、最後の備前橋にさしかかると、満佐子は運悪く若い警官に職質され、無言でいたら追いかけられてしまいます。三人が失敗した経緯はそれぞれ人生で起こる試練や障害を象徴しているようです。最後に一人残ったのはみなで、何を願ったか聞いても答えないので満佐子はますます憎らしくなるのでした。三人に心の中で見下されていたみなが無言の勝利。願い事は人に言わず、そこまで必死にならず、受け身でいるほうが叶いやすいのかもしれません。そして願掛けが破れても、気持ちを切り替えられる女の強さに希望を感じました。
しんさん・なめこ 東京生まれ、埼玉育ち。漫画家、コラムニスト。武蔵野美術大学短期大学部デザイン科グラフィックデザイン専攻卒業。『江戸時代 女の一生』(三樹書房)ほか著書多数。「最近、歯医者さんで、歯の根がやばいことになっているからインプラント治療をしたほうがいいと言われました。いま願掛けしたいのは、ハードな術式ではなく、ソフトなものであってほしいということです」
文、イラスト=辛酸なめ子 撮影=中林正二郎(snow) 選=澁谷麻美(BIRD LABEL)