浅生ハルミンの銀幕のkimonoスタア46『小さいおうち』の松 たか子

『小さいおうち』の松 たか子

丘の上の赤い屋根の一軒家に、美貌の若奥様・時子(松 たか子)と家父長的な夫、幼い一人息子と住み込みのお手伝いさん・タキ(黒木 華)が何不自由なく暮らしている。そこに夫の部下の若者・板倉(吉岡秀隆)がやって来る。昭和初期、戦況の現実も知らず、来年はオリンピックだぞと夫は仲間と家飲みで盛り上がっている。板倉は芒洋(ぼうよう)としたお洒落な芸術家肌で、夫たちの話に加わらない。奥様は興味をひかれ、お手伝いさんにまで「素敵よ、観(み)ていらっしゃい」と弾むようにけしかける。なんだろう! この奥様は面白いぞ。で、二人の恋愛は間接的に匂わせる仕方で描かれる。だから余計に想像が膨らんで、一瞬の所作が深く印象に残る。ため息を吐(つ)く奥様、汗ばんでいる奥様、ソファーに投げ出した身体がみっしり重たそうな奥様、板倉の肘をつねる奥様。それは奥様を慕うお手伝いさんの目線でもあるのだ。奥様が板倉と会って帰宅したとき、帯の模様が出かけるときと逆さまになっていることにも気づいてしまう。その場面では私の目も自然と帯のお太鼓部分に誘われるが、そう仕向けられていることを観る側も気づかないような繊細さで、丹念に撮影されていて感動した。

赤い屋根の家には、奥様の親友(中嶋朋子)もやって来る。男装の麗人。お手伝いさんに、麗しい奥様をさらに崇(あが)める内緒話を囁(ささや)く。「女学生の頃、そりゃあ綺麗(きれい)だったのよ、時子さん。あんな綺麗なお嬢さんはいなかったわ。みんな好きになっちゃうの、あの人のこと。時子さんの結婚が決まったとき、自殺しかけた人もいるの。嫌だったの。あの人が結婚するのが。独占したかったの。わかるでしょ、タキちゃん」

そう言って、お手伝いさんの涙を指でぬぐってあげるのだ。吉屋信子の少女小説を彷彿(ほうふつ)とさせるような、どことなく恋とも違う女同士のロマンスを、ぜひ映像で味わってもらいたい。

タキは家政婦の助言的な言葉でもって、板倉と会わないようにお願いをした。タキちゃんそうじゃないでしょ、と観る側には明白。だけど本人もそれを建前や嘘(うそ)だとは思っていないようなのだ。奥様はタキが無意識につくった虚構の中にいる。そういうものだとして考えなしに時間が流れて行く。私もまた、誰かの表向きの言葉が、事実として世間に容易(たやす)く定着してしまう中で暮らしている。来年はオリンピックだと信じて疑わなかった奥様たちの時代からと、あんまり変わってないんだなあと省みてしまった。

文、イラスト=浅生ハルミン

あさお・はるみん イラストレーター、エッセイスト。『本の雑誌』(本の雑誌社)に「こけし始めました」、「TASC」(公益財団法人たばこ総合研究センター)に「嗜む街角 嗜好品をめぐる街歩き」を連載中。先日、結城紬(ゆうきつむぎ)の伝統技術を拝見する機会に恵まれました。機屋さんのまわりにはそば畑が点在していて白い花が満開でした。

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