浅生ハルミンの銀幕のkimonoスタア44『夏の終り』の満島ひかり

『夏の終り』の満島ひかり

瀬戸内寂聴が1962年に発表した私小説が原作の『夏の終り』を、ゆらめきながら前に進む愛の物語に身をまかせて鑑賞した。深い余韻が残って、いいものを観(み)たなあとしばらく浸っていたい作品だった。物語を順に追ってこれが正解ですと完結する仕方をこの映画はおこなわない。もし友だちと一緒に観たなら、映画の結末の受け取り方はいくとおりもあり、主人公の満島ひかりが染色の型紙を彫るときの真剣な少女のような横顔や働き者の丸い爪、古い本の積み上がった書斎の陰影、雨の音や猫の鳴き声のことなどについて、何にもとらわれず思い思いの讃(たた)える言葉が繰り出されるだろう。

型染作家の知子(満島ひかり)の家に通う、妻子ある小説家の小杉(小林 薫)。自宅との二重生活は八年も続いていて、そこには意外にも平凡な日常の空気が流れている。小杉は妻に了解をとっているし、ごく当たり前にらくだの股引(ももひ)き姿になる。知子の元恋人・涼太(綾野 剛)にも友好的な、捉えどころのない博愛主義者を思わせる。

いつもいたずらを考えていそうな大きな瞳の知子。買ってきた熱々のコロッケを待ちきれずに台所で囓(かじ)って、行儀悪いぞとたしなめられて言い訳をするのも、風邪ひいちゃいやよと言いながら自宅へ帰る小杉を見送るのもいつものことのようだ。

知子には隠れた理由があってだらしない恋愛をしているわけではない。人間の一生には四季があるというが、知子の骨の髄にはこのとき夏が宿っていて、その天然自然の命の律動に突き動かされている、そんなふうに思える。

知子は自分で働いて金を稼ぎ、毎日が充実している。だが、大晦日に風邪をひいた知子を残して帰宅する小杉に溜息(ためいき)が出て、元恋人を家に誘った。命が淋(さび)しがったのを、大人社会ならではの「このままじゃ嫌」という結論を求める言葉に置き換えてしまう。

どうなっちゃうのかなと引き込まれながら、光と翳(かげ)、乾いているけど湿っている、純粋だけど不純、古風と先端の両方を放つ満島ひかりに私は目が釘(くぎ)づけだった。元恋人の部屋は風呂なしだから薬缶(やかん)で湯を沸かして体を拭くのか、とか、ボタンつけの糸は歯で噛かみ切るんだとか、すべての仕草に瑞々(みずみず)しい驚きがあり、その美に吸い込まれる。

小杉の自宅へ乗り込んでいくとき、知子は白くまばゆい夏着物を纒(まと)って勝ちに行った。歩くたびに風をはらんで袖がやわらかく膨らみ、帯は黒の織地に赤と緑の大きな亀甲花菱(びし)。その美しさに胸が高鳴らない人はいない。

文、イラスト=浅生ハルミン

あさお・はるみん イラストレーター、エッセイスト。『本の雑誌』(本の雑誌社)にエッセー「こけし始めました」を連載中。『こけしもようしゅう』という昭和22年の本の復刻版を入手。当時のこけしの胴体に描かれた文様のデザインがたくさん採集されています。文様ってものを最初に考えた人はすごいなあ。

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