えんぎもの

誕生日の食卓には赤飯がつきもので、家族がみんなで分け合ってお祝いしたものだ。薄く赤く染まった糯米のもちもちした甘さと大角豆(ささげ)の食感、ごま塩のしょっぱさなどなど、どういうわけだか私は赤飯が楽しみで仕方なかった。ところが、気まずい赤飯もあったのだ。日本の女性なら経験がある人も多いだろうが、初潮を迎えたときにも食卓には赤飯があった。「お誕生日でもないのに、なぜ?」という弟たちの不思議そうな顔に、思春期の私は顔から火が出る思いをした覚えがある。

 日本の祝いごとに赤飯は欠かせない。

 日本では赤い色には邪気を払う力があると信じられていて、古代から赤米を蒸したものを神に供え、そのお下がりを人間も食べていた。鎌倉時代には三月三日、五月五日、九月九日など節句ごとに赤飯を食べたという記録がある。祝儀用となったのは室町時代だが、赤米は味が悪く、次第に白い米に小豆などで色づけしたものが食べられるようになっていったという。江戸時代後期には庶民の祝いの席でも赤飯の習慣が広がった。

 

 糯米(もちごめ)は、縁起物である餅を食べる習慣の名残として、豆はマメに働けるようにという意味を込め、また、大角豆や小豆の赤は強い魔よけの意味を持つ。地方によって多少の違いはあるが、赤飯は、めでたいものづくしだ。関東地方では大角豆を使うことが多いようだが、これは、小豆は皮が破れる〝胴割れ〟を起こしやすく、切腹を連想させるとして嫌われたためだという。

イラスト=川口澄子 文=編集部