第十二回  地獄太夫と一休

〔 地獄の業火で身を飾った伝説の遊女 〕

   地獄太夫とは、室町時代の伝説的な遊女の名。幼い頃山賊に捕らわれ、その美貌ゆえに遊女に売られて、泉州・堺(さかい)の珠名(たまな)長者に抱えられたという。ただし室町時代にその名が知られていたわけではなく、江戸時代に流布した一休禅師の伝説や、山東京伝の洒落本によって有名になったらしい。

前世の因果ゆえ不幸に堕ちた自身を嗤(わら)うかのように「地獄」と名乗り、地獄の様相を克明に描いた「地獄変相」の衣を身にまとっていたという。伝説の遊女の相方として登場するのは、禅僧の一休宗純。アニメ「一休さん」の、頓智(とんち)に秀でた小坊主という印象が強いが、後小松天皇の落胤(らくいん)と囁(ささや)かれ、大徳寺の再興に尽力した傑僧だ。一方で戒律が禁じる飲酒や肉食、女犯を行ない、禅宗の形骸化に抗(あらが) った風狂の人としても知られる。その一休禅師が訪れた堺の町で、地獄太夫との間に交わしたという機知に富んだ歌のやりとりが、さまざまなバリエーションとともに伝えられる。いずれにしても一休は地獄太夫の美しさや聡明(そうめい)さに感服し、2人は師弟関係を結んだ、という。

この取り合わせの妙が芸術家たちのツボにはまったのか、幕末から明治、大正時代にかけて、多くの絵師や小説家が、地獄太夫を描いた。キリスト教の聖人伝説に取材した芥川龍之介の短篇『きりしとほろ上人伝』は、隠者を誘惑しに現れた悪魔をこう書く。「忽(たちま) ちえならぬ香風が吹き渡つて、雪にも紛(まが) はうず桜の花が紛々と飜(ひるがへ) り出(いだ) いたと思へば、いづくよりともなく一人の傾城(けいせい) が、鼈甲(べっかふ)の笄(かうがい) を円光の如くさしないて、地獄絵を繍(ぬ) うた襠(うちかけ) の裳(もすそ) を長々とひきはえながら、天女のやうな媚(こび) を凝(こら) して、夢かとばかり眼の前へ現れた」

 荒涼と風の吹き荒れる遙(はる) か中東の砂漠。その岩陰のあばら屋に、地獄絵で身を飾った美女が降臨する幻想は、美しくも凄(すさ) まじい。 

幕末に生まれて歌川国芳(くによし) と狩野(かのう)派に画技を学び、鹿鳴館を設計したジョサイア・コンドルを弟子に持った河鍋暁斎もまた、地獄太夫を繰り返し描いた絵師の1人。太夫の周囲では骸骨たちが破れ三味線に合わせて陽気に踊り狂い(一休まで!)、打ち掛けにまとわりつく地獄の業火は、赤い珊瑚(さんご)に変じ、閻魔(えんま)大王がいれば七福神もおり、唐子たちは宝珠を拾い上げている。幸と不幸、聖と俗、生と死は紙一重。美貌の傾城も破戒僧も、ひと皮剥(む) けば同じ骸骨となる。暁斎の地獄太夫が浮かべる微笑に媚(こ)びはなく、この世の無常を晴れやかに祝福している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

文=橋本麻里

 

はしもと・まり 日本美術を主な領域とするライター、エディター。公益財団法人永青文庫副館長。新聞、雑誌への寄稿のほか、NHK・Eテレの美術番組を中心に、日本美術をわかりやすく解説。著書に『橋本麻里の美術でたどる日本の歴史』全3巻(汐文社)ほか、共編著多数。

 

 

ゴールドマンコレクション「これぞ暁斎!」

 会場/美術館「えき」KYOTO

 (京都府京都市下京区烏丸通塩小路下ル東塩小路町 ジェイアール京都伊勢丹7階隣接)

会期/2017年6月10日~7月23日

開館時間/10:00~20:00(入館は閉館の30分前まで)

会期中無休

観覧料/一般1000円

 問い合わせ先/℡075(352)1111(大代表)

 ※2017年7月29日~8月27日石川県立美術館に巡回。

http://kyoto.wjr-isetan.co.jp/museum/exhibition_1708.html

 

 

阿弥陀如来立像(裸形) 源平の争乱で焼亡した東大寺の復興を指揮した僧が重源(ちょうげん)。本作は重源と親交が深かった、慶派の仏師・快慶の手でつくられた。