第九回 変わり兜(かぶと)

(上)銀箔押張懸兎耳形兜(ぎんぱくおしはりかけうさぎみみなりかぶと) 吉祥の動物とされたウサギは、兜の意匠に好まれた。(下)鉄六枚張桃形前付臥蝶兜(てつろくまいばりももなりまえつきふせちょうかぶと)変態に再生する命を見、羽ばたき舞う姿に人の霊魂を感じた蝶の意匠。

〔命懸けの戦場へ赴く、武将たちの晴れの装束〕

 

 戦国の世を生きた武将たちにとっての「晴れ」の場は、やはり戦場なのだろうか。古墳時代の埴輪(はにわ)や副葬品などから、この時代には既に、小さな鉄製の板を鋲(びょう)で留め、鉄や革の板を革紐で綴(と)じた甲冑(かっちゅう)が存在していたことが判明している。しかし平安時代末期〜鎌倉時代まで、全軍の総大将クラスの武将でなければ、兜の正面に華やかな装飾をほどこすことはなかった。それが南北朝時代に入ると、鉢の正面に「前立」を付ける者が増え、室町時代ごろには、その中に半月など鍬(くわ)形以外の形が交じるようになり、戦国時代には、兜の形そのものが大きく変わり、いわゆる「変わり兜」が登場する。これは戦国時代に戦争の数と規模が拡大し、甲冑の需要が増え、兜のつくりを簡略化させていった結果、せめて前立には凝ろう、としたためだ。

 戦場で目立って何の得があるのかと思われるかもしれないが、源平の戦いのころから、敵将を捕らえるなど手柄のあった武将を識別するため、甲冑の色目や乗馬の色をもとに個人を確認することは行なわれていた。とはいえ、このころは手柄を立てるといっても、部隊内の幹部以上に限られる。

 しかし戦国時代なら、戦場での働き次第では草履取りから関白へという大出世もあり得る。手柄を立てたなら、それは自分だと、何としても認めてもらわなければならない。そこで敵からも味方からもはっきりそれとわかる、個性的な兜や甲冑が求められるようになっていくのである。むろん、黒田長政のように戦上手で知られる武将であれば、その姿を陣中に遠望する下級兵士たちの士気は上がり、敵は恐れをなすという、敵味方への効果も勘案されただろう。戦功を呼び込むため、また自らの身命を守るために、吉祥の意匠を高々と掲げる変わり兜は、命懸けの戦場へ赴く武将たちの切実な祈りがこもった、晴れの出(い)で立ちなのだ。

 

 

文=橋本麻里

 

はしもと・まり 日本美術を主な領域とするライター、エディター。明治学院大学非常勤講師。公益財団法人永青文庫副館長。『京都で日本美術をみる 京都国立博物館』(集英社クリエイティブ)、共著に『SHUNGART』(小学館)ほか著書多数。

「国立歴史民俗博物館特集展示」

 

「もの」からみる近世『戦国の兜と旗』 会場/国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市城内町117)

 会期/2016年8月9日~9月19日

 開館時間/9:30~17:00(入館は16:30まで)

 休館日/月曜(祝日の場合開館、翌火曜休み)

 入館料/一般420円

 問い合わせ先/☎03-5777-8600(ハローダイヤル)

 http://www.rekihaku.ac.jp