ダブルキャリア列伝【6】 丹道夫さん

[第19回] 苦労しただけでは詞はかけない

 
 
2008年11月22日
 
 

 

── そうやって作詞家としてデビューしつつ、当時も今も富士そばの経営の仕事と両立されている。

 僕はね、経営の天才なんですよ。だって今日本一です。何の苦労もいらない。経営は詞を書くより楽です。分社方式を考えたし、24時間営業も達成した。
 自分では別に偉いことではないと思うけど、近所のおじさんが、「丹さん、よく管理できるね。僕は3店舗、それも兄弟に任せてやっている酒屋でいっぱいいっぱいなのに」って言ってくるんですよ。
 僕の父が元々、名古屋で、靴とか背嚢を全国から回収して、再生・加工して、売っていたらしい。

── いつごろですか。

 僕が生まれる前だから昭和初期です。新品を店に卸すというのはわかるでしょう。逆をやっていたんです。そういう点で、僕も商才があるんじゃないかと思う。

── 商才というと、ご本にあった牛乳売りを思い出します。ああいうのも閃くわけですか。

 そう。昭和28、9年の頃、板橋区にある日大医学部大山病院に鼻の手術で入院したんです。そこに牛乳を売りに来るお兄さんがいて、1本10円でした。ある日、病院を抜け出して池袋に行ったとき、線路の横にバラックが立ち並んでいて、ネオンがいっぱいついている光景を目にしました。入り口に、女の人が裸同然の格好で出てきて、「また来てね」と、お客の男性を見送っていた。
 そこで閃いたんです。「あの人たちに牛乳を売ったらどうだろう」と。翌日、お兄さんから牛乳を10本も買って、夕方、またバスに乗って池袋に行ったんです。駅のトイレで牛乳を冷やし、「冷えた牛乳要りませんか」とやったら、どんどん売れた。1本90円。その夜だけで800円の儲けです。当時、サラリーマンの月の給料が5000円くらいでしたから、大したお金です。それで足りない入院費を補った。
 学生寮に入っていた時は、寮のおばさんが要らなくなった古新聞の後始末に困り、裏庭で燃やしていたんですが、僕がそれを毎日蓄えて近所の魚屋に持っていきました。御礼に、魚屋のおじさんがエビや鰺をくれるんです。それをおばさんに持って行ったら、料理してくれて、寮のみんなで食べました。それから、みんなが古新聞を大切に保管し、僕の部屋の前に積んでいくようになりました。
 それから、父が山で働いていましたから、大きな切り株がいっぱい出るんです。それをトラックで運んで風呂屋に売った。湯を沸かす燃料ですね。

── そういう数え切れない仕事の経験が作詞に生きることはありますか。

 仕事と詞は関係ないですね。例えば、「雨に打たれるあじさいは優しい母の声になる」って言ったら綺麗でしょ。

── はい。

 そういう、「苦労に負けずに生きて強くなりなさい」という内容を、言葉で、ロマンティックに表現しなければならないのが作詞なんです。自分でいくら苦労しても、あるいは人の苦労を知っても詞にはなりませんよ。少なくとも感動する詞は書けない。

── 脳の使うところが違う感じですか。

 全然違う。何しろ、大衆を感動させなくちゃいけないから。

── でも、富士そばも大衆を感動させているんじゃないですか(笑)。

 どうですかね。この間、小学生向けの参考図書に掲載したいということで、300字以内で「私の先生」という内容の原稿を書いてください、という依頼があったんです。
 富士山を見た。ああいう大きな人になろうと思って、一生懸命働いて成功した。でも成功した時にはお母さんは亡くなってしまい、今は夢の中でしかお母さんの姿に会えない。だけど、お客様がそばを美味しく食べている姿を見るのは幸せだ。みんなに助けられてここまで来た。富士山は僕の先生だ、ということを書いたんです。でも、いま言ったことをそのまま書いたら、詞にはなりませんからね。

── 富士そばの「富士」は富士山のことなんですね。

 はい。富士山のように日本一になろうと思ってつけました。

── 作詞というのは時間がかかるものなのですか。

 ものすごくかかるんです。だから、経営と作詞という二兎を追うには体力と時間が必要。僕は毎朝6時半に起きて、テレビ体操をやるんです。終わったら、歯を磨きに2階に上がる。その時に演歌をかけるんです。大体、4分50秒から5分で終わる。歯磨きも5分で終える目安になるでしょう。

── それは毎回違う歌ですか。

 月2回、演歌を習いに行っているんです。その先生がいま流行っている曲をどんどん教えてくれるんです。その先生がくれた歌を毎回かけている。
 ここに「あなた」という言葉が出てきたが、この「あなた」がなかったらどんな感じになるだろうか、とか、いろいろ考えながら聞くので、作詞の勉強にもなる。歌を歌うことは健康にもいいので、2、3曲は歌いますね。それが終わると食事。それから雑事を済ませて、詞を書くんですよ。通算850曲分ぐらい書いたでしょうか。特に旅行に行った時は、「必ず何かをつかんで帰ろう」と思っている。
 この間、箱根に行ったんです。定年間近の人が過去を思い出して、若いとき、あの人とここに来たなあ、という内容で、「箱根めぐり」という詞を書こうと思った。でも売れそうもない。そこでホテルに泊まって、じっと考えていた。雨が降ってきて、そうだ、「女の時雨宿」というのを書こう、と思った。

── 題名が頭に浮かんだと。

 うん。でも調べたら、過去に同名の歌があるんですよ。そこで「女の時雨道」というのを書きました。歌には必ず「起」というのがあってね。

── 起承転結の起。

 起は上がって、下がってきて上がる。これを一つにして、いろんなものを集約して入れる。承は、起の細かいところを書くんです。上がってきて下がる。下がってきて上がる。それで転は一行で書いて、結も一行。だいたい決まっているんです。

── 上がって下がって、というのは何が?

 例えば、「出かける傘はあるけれど、寄り添う肩はもうない」とか。上がって、下がるでしょう。

── なるほど。

 こういうことを考えると非常に歌が短く感じる。それがコツなんです。難しいでしょ。

── 難しいですね。それはご自分で。

 考える。例えば、「どこまで行けば胸の寂しさ消せますか」と書いたら、次はもっと大きく書かないと。
 友禅菊という菊が陸奥(みちのく)にあるんです。男性の臭いがするといわれる菊。そこで、さっきの起に続けて、「友禅菊の臭う陸奥であなたを思って泣けてくる」と書く。これが承。一番大事な転が「恋にはぐれた私。冷たすぎます。旅の風」、それで「ああ、女の時雨道」と結ぶ。ムードがあるでしょう。ムードがあるということは、論理的ではないということなんですよ。

── そうなんですか。

 「つくり笑顔をしてみても姿見えず……」と書いてもムードがないでしょ。論理的だからです。それよりも、「友禅菊が臭う陸奥」というのが必要なんです。

── 相当、頭が柔軟でないと書けないと思うんですけど、経営も同じではないでしょうか。

 仕事もそうだね。あまり物事にこだわっていたら駄目。こだわると嫌がられる。こだわらずに、いろいろと頭を傾けてみるのが重要です。仕事の場合は現実的だからやりやすいんだけど、詞は違います。みんなが考えないようなことを考えなくてはいけない。

── そんなに苦しい作詞活動を、丹さんが辞めなかったのはどんな理由が。

 好きだったからね。ある日、キングレコードに行ったら、社員が「お前、何をやっているんだ」って上司から怒られているんですよ。「そば屋の親父だって書けるのに、何もたもたしてるんだ」って(笑)。僕のことなんです。この業界、初めてですからね。

── そうでしょうね。

 一人だけ、トンカツ屋さんがいるんですが、その人は1店舗を経営しながら一生懸命、書いているんです。こういう人は沢山いるらしいんですが、僕のようにチェーン店を80近くも出してやっている人はいない。

(次回に続く)

 
 

丹 道夫

たん・みちお
ダイタングループ 代表取締役

1935年愛媛県生まれ。東京栄養食糧専門学校卒業。4度の上京を経て埼玉県川口市で弁当屋を開業。その後、友人とともに不動産業を営み、月商7億円を売り上げるまでに成長させる。1966年、富士そばの原点となる立ち食いそば店を渋谷に開店。1972年、ダイタンフード株式会社を設立して独立し、富士そばの経営に専念。2008年10月現在、都内、千葉、神奈川、埼玉で77店舗を数える。2006年8月に、自叙伝『らせん階段一代記』(講談社出版サービスセンター)を上梓。全国の書店、および富士そば各店で販売中。

 

インタビュー・構成=荻野進介

●おぎの・しんすけ 1966年、埼玉県生まれ。一橋大学法学部卒業。著書に『ダブルキャリア 新しい生き方の提案』(共著、NHK出版、生活人新書、2007年)。

 
 

クイック・アンケート

 
 

大人たちの間で数学がブームだそうです

もう一度学びなおしたい教科は?

 
 

メールマガジン <プレジデントニュース>

 
 

「プレジデント」編集部員による取材現場でのこぼれ話やビジネスマンに役立つオリジナルコンテンツ、新刊書籍案内などを、週1回のペースでお送りいたします。

メールマガジン申込・登録変更