これからの民藝 「きものやまと」の片貝木綿1[PR|きものやまと×さんち 

やわらかな着心地で お手入れもやさしい木綿は、
着物と仲良くなれる頼もしい存在。
そのものづくりの奥をのぞいてみると、息をのむほどの手仕事が重ねられている。
民藝運動で提唱された、 風土から生まれた「用の美」に会いに、片貝を訪れた。

私たちの日々の布

古くからの織物産地として知られる新潟県小千谷市片貝町は、正四尺玉花火でも名高い町。江戸時代には幕府の天領として鍛冶かじ・大工・染物師・花火師など多くの職人が集まり、互いに技を競い合った。以来、400年以上続く浅原神社の「片貝まつり(秋季例大祭奉納大煙火)」がその誇りを今に伝えており、毎年9月には2日間で約1万5000発の花火が打ち上げられ夜空を彩る。

藍染め半纒(はんてん)姿の「紺仁染織工房」十二代目となる後嗣(こうし)の松井佑介さんと妻の寛美さん。寛美さんのスカートは片貝木綿製!

トップ画像は、片貝花火をモチーフとしたのれんや手拭いがかかる「紺仁」の工房。手拭いはGUCCIやVANSなどでデザインを手がけるイラストレーター、アレッシオ・ヴィテーリ氏とのコラボレーション。

この地で約270年の歴史を持つ「紺仁こんに染織工房」が手がける片貝木綿は、思想家・柳宗悦らが提唱した民藝運動の理念「用に即した美」に基づいて昭和20年代に生まれた。近代化や工業化が進み、量産品が生活を覆いはじめていた当時の日本において、民藝運動は失われゆく「手仕事」に警鐘を鳴らし、各地の風土と生活に根差した民衆的工藝にこそ真の美が宿ると説いた。多様な文化を残すことで、世界がより豊かになるよう願った運動でもあったようだ。その思いは、私たちが現代の暮らしの中で感じるものとも通じる。

当時から藍染めを行なう紺屋として確かな技術を受け継いできた「紺仁」の仕事ぶりが、民藝運動の一環として日本各地を回っていた柳宗悦や白洲正子たち一行の目に留まり、宗悦のおい・柳悦孝の指導のもと誕生したのが片貝木綿だった。

優しい肌触りの鍵となるタテ糸の整経。数百ものボビンを仕掛けてようやく手幅分ほどのタテ糸になる。1本も間違えられない重要な工程。
「太い糸と細い糸を交ぜると、糸の良さが表情に表れる」とは柳 悦孝の教え。

自然の木綿を生かし、太さの異なる3種の糸を組み合わせて織ることで表面に独特な凹凸が生まれる生地は、織りの温かみある風合いを持ちながらも、肌にさらりと快適な着心地が特長。自宅で洗える扱いやすさと、創意工夫を重ねながらつくり出される無地・縞・格子を中心としたシンプルな柄展開は、時季や年齢を問わずさまざまな装いを楽しめる織物として、現代も多くの着物ファンを魅了し続けている。

藍染めをルーツに持つ「紺仁」では、糸の染色から反物を織り上げるまでのすべての工程を自社で行なっている。片貝木綿の製法は、誕生当時からほとんど変わっていない。糸の太さが不揃いな単糸と呼ばれる1本の糸を、自然のまま加工せずに使うため、織る際に力がかかると糸が抜けたり切れたりすることも多く、扱いが難しい。それでも長く続ける中で、この方法が木綿にとって一番優しく、風合いを最も引き出せると確信しているからこそ、変えずに守り続けているのだ。

織り上がった反物を天井からだらりとつり下げて干す「だら干し」。雨や雪が多いため、建物の中で行なう。一晩かけて自然に乾燥させることで無理なく生地の目が詰まり、ふっくらとやわらかな仕上がりに。

染色を支える大きな糸染め機。デザイナーからの色のイメージを基に、どのように色糸を配して織り上げるかを設計し、糸を染めていく。
【第2回】これからの民藝 「きものやまと」の片貝木綿2 を読む

秋、冬、春と三つの季節を楽しめる 片貝木綿

「きものやまと」では、オリジナルの片貝木綿を、全国の店舗とオンラインストアでお買い求めいただけます。
2026年1月8日(木)からは新作の片貝木綿をご覧いただける「春待ちフェア」を順次開催予定。
ふだんに寄り添う1枚として、優しい着心地の木綿と仲良くなりませんか。

きものやまとの片貝木綿はこちらから

「きものやまと」お客様サポートセンター

0120-18-8880

https://www.kimono-yamato.co.jp/

文=小俣荘子 撮影=安彦幸枝 デザイン=狩野聡子(tri)