ダブルキャリア列伝【7】 狩野俊さん

[第22回] 司法書士の助手、古書店の店番、そして開業

 
 
2009年1月10日
 
 

 ダブルキャリアとは、「複数の仕事をかけ持ちし、多忙だけれども、充実した職業生活を送る」ことを指す言葉である。広い意味でいえば「副業」ということだが、お金儲けがその筆頭動機ではないという点で、あえて「キャリア」という言葉を使っている。この連載では、スーパーなダブルキャリア人たちを取材し、その仕事ぶりを伺っていく。

 第7回目は、東京の高円寺で「古本酒場コクテイル」を経営、古本屋主と居酒屋主、2つのキャリアをもつ狩野俊さんである。
 中央線の高円寺駅北口から徒歩5分あまり、風情のある飲食店や古本屋が点在する小さな商店街の一角、「BOOK SAKE」と大書された暖簾と店の前におかれた100円均一の古本箱が目印。
 店内中央には大きなカウンターが鎮座している。そのカウンターの上はもちろん、店の壁にしつらえられた棚にも、たくさんの古本が並べられている。いずれも売り物だ。
 白い土壁に裸電球、レトロなポスターが貼ってあり、昭和の時代にタイムスリップした感じ。本が並んでいても、ここは居酒屋。酒も料理も、結構な充実ぶりだ。
 でもさすが古本酒場、「いらっしゃい!」と明るく声をかける、そこいらの居酒屋店主とはまるで真反対、頬杖をつきながら万年筆で小説でも書いていそうな雰囲気なのが店主の狩野さんである。


インタビュー・構成=荻野進介
●おぎの・しんすけ 1966年、埼玉県生まれ。一橋大学法学部卒業。著書に『ダブルキャリア 新しい生き方の提案』(共著、NHK出版、生活人新書、2007年)。

 
 

狩野 俊

かりの・すぐる
「古本酒場コクテイル」店主

1972年福島県生まれ。洋書店勤務を経て、98年、国立市に「コクテイル書房」を開業。半年後に店の一部を改装し、酒を出し始める。2000年高円寺に店を移転、「古本酒場コクテイル」を営む。著書『高円寺 古本酒場ものがたり』(晶文社)。

 
 

 

── もともと、WONDER LAND(ワンダーランド)という洋書の古書店にお勤めだったそうですね。どこにあったお店ですか。

狩野 神保町の白山通りと靖国通りの交差点のすぐそばです。

── 大学を出てすぐそこに勤めた。

狩野 大学は色々あって行かなくなって、授業料滞納で除籍になったんです。働かないといけないので、法律事務所に入って、司法書士の助手の仕事を半年間やったんですが、仕事にだらしなくて、書類を失くしてしまったんです。法律事務所では致命的です。それで、居づらくなって辞めて、「どうしようか」と思っていたら、求人情報誌でWONDER LANDの募集を見つけて、入ったという。

── ワンダーランドといえば、『宝島』という雑誌がありましたが、関係があるのでしょうか。

狩野 人気評論家でエッセイストでもあった植草甚一さんが編集した雑誌ですね。植草さんと親交があった蟻二郎さんというアメリカ文学者が作った店で、そこから店名を取ったようです。

── 何年ぐらい勤めたんですか。

狩野 2年です。

── 仕事内容は。

狩野 社長の蟻さんが亡くなって、彼の奥さんが仕事を継いだ時だった。蟻さんは、太陽社という出版社と、WONDER LAND、ふたつやっていた。奥さんがふたつを任されて大変だというので、店番ができる人を探していた。受けに行ったら、面接者が百何十人もいました。

── そんなに多くですか。

狩野 そう。当時、資格を取ることも考えていて、たまたま、専門学校のパンフレットを何セットか、持っていたんですが、一番上に通関士のがあったんです。それを奥さんが見つけて、「この資格を持っているの」と聞かれた。「今はもっていませんが、興味があります」と言ったら、「うちの本はアメリカから直輸入して売っているの。でも、亡くなった蟻さんが輸入関係のことを全部やっていたので、私には全然わからない。こういう通関業務をやってくれたら、すごく心強いわ。あなたに決めた!」みたいな感じで。

── それはラッキーでしたね。

狩野 でも、後でわかったのは、本の輸入には通関業務は不要なんです。関税がかからないから。奥さんも古書輸入の実情がわかっていなかった。
 その日のうちに店のカギをもらって「あなた、明日から店番よろしくね」と。「取次から売れる本を補充してちょうだい。あとはただ売ればいいのよ。なくなったら考えましょう」という感じで、何も教えてもらっていないんですよ。とにかく、店内がゴチャゴチャしていたので、本の整理をしたり、掃除をしたりしていました。

── 2年間そうやって、あまり起伏もなく、お仕事を。

狩野 いや、起伏はけっこうありました。とにかく売れない。あまりに売れないので、奥さんが「全品半額セール」を始めていたほど。19世紀の古い本とか、いい本が結構あったらしいんですけれども、業者が押し寄せて、いい本を全部抜いてしまった後に僕が入った。本がスカスカの状態でした。
 何日かいると、品揃えがすごく悪いのがわかってきて、奥さんと話をして、「本の買取ができるようにしよう」と、古物商の許可を取り、チラシを作って配布しました。あとは、奥の倉庫に眠っていたアメリカンコミックを出して並べたり、エルとかヴォーグといったファッション誌を他の古書店でまとめ買いして置いたりした。硬い文学書中心だったのを、柔らかめに商品構成を変えてみたんです。
 店は多分、赤字でしたが、やりたいことを自由にやらせてもらった。そんな感じの2年間でした。
 売上げがよかった時期もあったのですが、本業の太陽社が左前になってきて、山一證券が潰れたニュースを見た奥さんが、こういう経済状況では2つやっていくのは無理、と判断し、WONDER LANDは閉めることになったんです。

── 狩野さんが店を辞められたわけじゃないわけですね。

狩野 違います、店自体がなくなったんです。

── 退職金は出ましたか。

狩野 いや全然。「本を持っていっていいわよ」と言われてもらったくらい。

── 給料はずっと出ていたんですか。

狩野 出ていました。

── 大変だったでしょうね。

狩野 いま思うとありがたかったですね。その頃は、「もっと本を買えば売れるのに」と奥さんのやり方に不満も感じていたんですが、お金のことはまったく考えてなくて、経営者の立場ではなかった。人は立場によって、物の見方が色々変わるんだ、と最近になって思います。

── そこからコクテイル書房になるんですね。

狩野 そうです。サラリーマンに戻ることは全然考えなかった。奥さんに対する不平や不満があって、「自分でやったら、絶対うまくやれる」という妙な自信もあったので、「店を開こう」と思ったんです。問題は開業資金。こういう場合、頼りになるのは親ですが、僕の場合、親が貸してくれる状態じゃなかったので、雑誌で知った保証人代行業を使って、国民金融公庫からお金を借りました。

── よく夕刊紙の3行広告にあるやつですね。

狩野 そう。僕の場合は運がよかったんです。中には本当にひどい人もいて、お金だけ取られて、逃げちゃうこともあるそうです。店を借りるときも連帯保証人が必要なので、その時も保証人代行業の世話になりました。

── でも、ご本によると、その代行業者が逮捕された。

狩野 そうなんです。テレビのニュースを見ていると、僕が世話になったおじさんが詐欺の容疑で逮捕されていた。銀行から融資を引き出す際、紹介料という名目で、多額のお金をもらっていたそうです。

── へえ。それでも1997年4月にめでたく、中央線の国立に最初のコクテイルを開いたと。国立を選んだ理由は。

狩野 彼女が住んでいたんです。緑が豊富で、お金持ちが沢山住んでいそう、という良いイメージもあった。あとは、見つけた物件の賃貸額が非常に安かったというのも大きいですね。

── でも、お住まいから非常に遠かった。

狩野 そう。丸の内線の東高円寺に住んでいたので、そこから荻窪へ行って、中央線に乗り換えて国立へ行き、駅から歩いて20分です。片道1時間半で、毎日、疲弊していました。知り合いからも「なんで国立なの」と、よく訊かれました。

── 開店して、常連客ができて、その人たちが夜までずっといて、お酒を飲み出して、古本酒場が始まったと。

狩野 そうですね。よく来てくれる人たちに、「本は買わなくてもいいから遊びに来てよ」と言っていましたから。それで、本は売れないのに客はいる。その中に一橋大学の学生もいて、授業が一段落するとうちに来て、「次は5限」と言ってまた大学へ戻っていく。自分の部屋よりも、僕の店にいた時間のほうが長かったのでは。
 それで毎夜、宴会していたら、「こんな風だと、本屋としては儲からないから、この場所がなくなってしまう。それなら、お金を取って飲み屋もやったほうがいいんじゃない」という感じになって、「じゃあやろうか」と。そういうノリで始まったんです。

── お酒が一杯、いくらだったんですか。

狩野 安いですよ。最低で150円くらい。

── カウンターも特別に作ったんですか。

狩野 保健所に届けてちゃんと作りました。隣に「カラスの家」という、スナック兼電気屋があって、そこのおじさんが手伝ってくれた。電動ノコギリをはじめ、道具も色々持っていて、とにかく器用な人でした。業務用のシンクだけは買って、それ以外は拾ってきたり。それで、人件費も設備代もすごく安く済んだんです。

── それまで、飲み屋にはよく行っていたんですか。

狩野 そうですね。学生時代、行きつけの店が東高円寺にありました。屋台でラーメン食べていたら、そこのママと知り合って、「うちに飲みにおいでよ」と誘われたのがきっかけでした。
 おじいちゃんばかりが来るところで、亡くなると常連が減っていく(笑)。そんな場所で、若いのがひとりで飲んでいると珍しがられる。歳の行った方の話を聞くのが好きなので、みんな喜んで可愛がってくれて、とても面白かったです。
 某スーパーの宣伝マンの人がいて、「家まで遊びに来いよ」って言われて行ったら、笠智衆と一緒に写っている写真を見せてくれました。浮気ばかりして、奥さんに離婚されて、息子とも絶縁状態。「若い時の好き勝手は老後の孤独を招くんだな」と、ちょっと身に沁みました。

── 当時、「将来、居酒屋の店主になってもいいかな」とは思いませんでしたか。

狩野 いえ。料理は好きで自炊もよくやっていましたが、まさか仕事にするとは夢にも思いませんでした。


(次回に続く)

 
 
PRESIDENT公式twitterアカウント

メールマガジン <プレジデントニュース>

 
 

「プレジデント」編集部員による取材現場でのこぼれ話やビジネスマンに役立つオリジナルコンテンツ、新刊書籍案内などを、週1回のペースでお送りいたします。

メールマガジン申込・登録変更