ダブルキャリア列伝【6】 丹道夫さん

[第20回] 「うちの社長は作詞家」という社員のプライド

 
 
2008年12月8日
 
 

 

 富士そばも、近いうち、何か新しい手を打ち出したい。

── それはメニューで、ということですか。

 メニューもしかりだけど、やり方を変えていきたい。

── まだ変りますか。

 変りますね。もう少し合理的にしたい。それは何かわからないけど。必ず変えてみせます。何かうずいているんですよ。頭に。生の茹でそばにしなくちゃいけない、店も綺麗にしなくちゃいけない、24時間にもしなくちゃいけない。そう思って、全部、実現させた。今はある程度、落ち着いているんですが、他を引き離してリードしていくには何かをやらなくちゃ、と思っている。

── 「変らなきゃいけない」っていうのは、そういう兆候が出てくるんですか。

 出てくるんですよ。自分で考えなくてもね。そういう不思議なところが僕にはある。当らない店をやっている時は夜、眠れないんですが、そういうのは滅多にない。どんなにいま悪くても、よくなる店を見ている時はよく眠れる。

── そういう第六感はどうやって身に付けられたのでしょう。

 苦労したからでしょうね。逆に言えば、乳母日傘で育っていたら無理でしょう。

── 18才で上京されます。それで、28歳の時に不動産事業をやられます。その10年の間に、3回、上京して失敗して4回目にやっと成功。書名にあるように、本当に「らせん階段」ですよね。上から見ると、同じところをぐるぐる回っているだけに見えるけれど、横から見ると少しずつ、上がっている。この10年は絶望的になることもありましたか。どういう感じで乗り越えられたのですか。

 1回目は2、3日で帰った。これは東京の巨大さに驚いただけだね。2回目に上京した時はすごく不安で、結果的に福島の炭坑で働く羽目に。2年間、そこにいて、そして東京に帰ってきて就職できたはいいが、南京虫にやられてやむなく帰郷。3回目が栄養学校。アルバイトをいろいろしながら卒業したものの、親が病気で田舎に帰らざるを得なくなった。

── それで愛媛で料理教室を開いたんですね。

 うん。4回目はもう後がないと思って、必死の思いで出てきた。
 やっぱり苦労したからでしょう、二の矢、三の矢とすぐ考えてしまう。これが駄目なら、こうしよう、と。平たくいえば、抜け目がないんでしょう。そうなっちゃうんです。どん底に落ちたくないからね。
 4回目で弁当屋をやって、それから不動産。そして立ち食いそばです。立ち食いそばをやりながら、水商売もやった。そのときは友人と一緒にやったから非常に苦労しました。今は全然、苦労がない。一人の方が自分の夢をかなえやすいと思いますよ。
 友人と一緒にやっていたときは友人のことを考えなければいけなかった。自分だったら、こうはやらないなあ、ということを彼がやるんです。
 会員制のクラブを経営して、女の子を40人ぐらい使っていたんです。僕は専務で、彼は社長だった。それで言ったんです。「このままじゃ駄目だから、女の子を集めて、店を閉めると早く言ったら」と。でも言わない。

── なぜ駄目だと思ったんですか。

 クラブに来てくれるお客さんはいっぱいいたんですよ。でも、支払いがツケなんです。おまけに性質の悪い客がいて、女の子が集金に行くと、「(俺と)寝ろ」と。「早くクローズしたら」と友達に言っても、よう言わん。見栄っ張りだったんでしょう。結局、僕が言ったんです。友達とやるとそういう苦労がある。駄目なものは駄目と言う。逆に、いいものはいい。駆け引きなんか要らないんだから。
 僕は経営も純粋でいい、と思っている。いいものは売れて悪い物は売れない。人間はよくしてやれば働くけど、よくしないと働かない。こんな単純なものはない。

── 話は変わりますが、今の若い人は演歌を聞かなくなりましたね。

 「演歌は歌詞が何を言っているのかわからない」と若い人が言いますね。だから駄目になっていくんでしょう。

── 若者に限らず、演歌のマーケットはどうなんでしょう。

 今は全然駄目なんです。今、演歌を歌うのが60歳、70歳の女性。若い人は一切歌わない。

── 若い人向けの演歌を書こうなどとは考えないですか。

 演歌だけではなく、僕はポップスも書きたいんですよ。でもレコード会社が採用してくれない。売れないから。

── 演歌より売れないんですか。

 すごく売れた時期もあるんですが周期が短いんです。パッと駄目になる。最近は昔ながらの5行詩の演歌が駄目で、歌自体がもっと長くなっている。長い歌を書くのは優しいんですよ。膨らませればいいから。逆に集約するのは大変。
 何行かを一つにまとめようとするんだけど、まとめきれない。そんな場合は、遠くからレンズで見て、物事を総体的にしてまとめる。これが難しい。

── 社長が作詞をしているというのは、富士そばの経営にプラスになるんですか。

 なりますね。社員から見ると、「うちの社長は作詞家」というようなプライドを持てるでしょう。歌を出すと、必ずその歌のCDを買ってくれる人もいます。マスコミの取材も、演歌に関するものが結構多い。
 あとは、優良な物件を確保していくのは当社のような経営形態にとって非常に重要なことですが、そういう物件をもっている大家さんへの受けがいい。
 立ち食いそば屋というと、ちょっと悪いイメージを持たれている大家さんも多いですけど、経営者としてだけではなく、作詞家としても活躍していることをお伝えすると、安心されるようです。面談するときは本とCDを必ず持参します。

── 話題も膨らみそうですね。

(次回に続く)

 
 

丹 道夫

たん・みちお
ダイタングループ 代表取締役

1935年愛媛県生まれ。東京栄養食糧専門学校卒業。4度の上京を経て埼玉県川口市で弁当屋を開業。その後、友人とともに不動産業を営み、月商7億円を売り上げるまでに成長させる。1966年、富士そばの原点となる立ち食いそば店を渋谷に開店。1972年、ダイタンフード株式会社を設立して独立し、富士そばの経営に専念。2008年10月現在、都内、千葉、神奈川、埼玉で77店舗を数える。2006年8月に、自叙伝『らせん階段一代記』(講談社出版サービスセンター)を上梓。全国の書店、および富士そば各店で販売中。

 

インタビュー・構成=荻野進介

●おぎの・しんすけ 1966年、埼玉県生まれ。一橋大学法学部卒業。著書に『ダブルキャリア 新しい生き方の提案』(共著、NHK出版、生活人新書、2007年)。

 
 
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