ダブルキャリア列伝【3】 海原純子さん[最終回]

[第12回] 人は裏切ることもある、でも努力は裏切らない

 
 
2008年8月5日
 
 

海原純子

うみはら・じゅんこ
1976年東京慈恵会医科大学卒業。白鴎大学教授。医学博士。2007年厚生労働省「健康大使」に就任。心療内科医として心の問題をテーマに全国で講演活動を行うとともに、テレビ・ラジオ・新聞など幅広く活動中。現在、読売新聞「人生案内」回答者、毎日新聞・日曜版「心のサプリ」、日経ホーム出版『日経ウーマン』連載執筆。近著に『こころの格差社会―ぬけがけと嫉妬の現代日本人』(角川書店)『企業こころの危機管理』(文藝春秋)『わたしを磨く仕事の作法』(成美堂出版)『一日の終わりの言葉』(PHP研究所)などがある。1999年より、20年間休止していた歌手活動を再開。全国でコンサートを行っている。



インタビュー・構成=荻野進介
●おぎの・しんすけ 1966年、埼玉県生まれ。一橋大学法学部卒業。著書に『ダブルキャリア 新しい生き方の提案』(共著、NHK出版、生活人新書)。

 
 

 

── ぶしつけな質問ですが、お医者さんの仕事はお好きですか。

海原 これも「好きですか」と訊かれると困るんです。好き嫌いはあまり考えたことがない。歌もそうだけど。でも、やらなかったらいられないんでしょうね。おもしろいんです。
 例えば、カウンセリングは「この人は何でこういう具合に考えてしまうのだろうか」という、一種の謎解きなんですよ。友人の精神科医は、根っこはどうでもいいから、とりあえず症状を薬で消せばいいという感じなんです(笑)。そういう医療は私はつまらない。
 今、人格障害とか、うつが問題になっていますが、薬が効かないうつ病というのが結構あるんです。そういう場合、謎解きしていかないと治らないんです。私が関わってきた人たちの大半が、そういうタイプ。「何軒も病院に行きましたけど、うまくいきません」という人たちが多かった。
 そういう人はよくなっていくのに、すごく時間がかかるんです。だけど、よくなったときが最高に楽しいの。料理を完成したような喜びがある(笑)。
 家から一歩も出られなくてひきこもって、クリニックに来るまで3年かかった人がいた。いつも予約してはキャンセル、予約してはキャンセル。3年間、来られなくて、やっと来て、また次はキャンセルで、また何年か経って来る、という。その人は写真が好きで、私の写真も「好きだ」っていうの。それでカメラ教室じゃないけど、写真のとり方を私、彼女に教えたんです。


── 役に立ちましたね(笑)。


海原
 そう。すごくいいセンスがあるわけ。私は、そこにあるものしか撮れないけど、彼女は、ものを組み合わせて撮るのが好きなわけ。あんまり上手だったから、「そういうのを撮って、どこか売り込んでくれば」と言って。
 それで、本当に売り込みに行って、最終的に、彼女の写真がロフトで売られるようになったんです。えーっと驚きましたね。


── すごいですね。病気もすっかりいいんですか。

海原 そう、すごく調子はいいですよ。もう大丈夫。

── 歌を歌っていることが医者の仕事に役立ったことはありますか。

海原 いや、特に役立ったことはないけど、もう一人、おもしろい患者さんがいました。うつで、調子が悪かった人なんだけど、一回、私のライブを聴きに来たの。
 そしたら、「何か、すごくおもしろそう。私も何かやってみます」と言って、コーラスグループに入った。そしたら、「私、よくなっちゃいました」という手紙が来て、結局、治っちゃったの。何かのときに会ったら、別人みたいに元気になっていた、ということもありました。

── 今後の抱負について教えてください。

海原 以前は、歌を歌っている時は医者ではなくて歌手ですという形でやってきたんだけど、このごろ、ふたつを統合させたステージを時々やっているの。
 この前も2月に横浜でやったんですが、医学的な小ばなしをいくつか入れながら、歌を歌うステージです。ジャズだけじゃなくて、ちょっと違う歌も入れます。
 この前、ライブを観に来てくれた、ずっとアメリカに住んでいたという女の子が言っていたんだけど、ボーカルの合間に、いろいろな話がはさまるステージを始めて観たそうです。アメリカにもないようですね。
 一昨年はアンデルセンの「雪の女王」をテーマにして、現代人のストレスをテーマにした一人芝居のミュージカルを作りました。ブロードウェイにも、こうミュージカルはないそうで、「いつかはブロードウェイでやりたい」と思っていて、それが次の目標かな。

── ハーバードに行かれるわけですから、アメリカでもコンサートができますね。

海原 そう、ちょうどドラムをやっている人の息子さんがボストンにいて、テナーサックスを吹いているから、一緒にやろうかと思っています。

── 聞いているだけで元気が出ます。

海原 雲の上みたいなことって色々あるじゃない。自分にはとてもそんなところ、手が届かないと思っているんだけど、努力してインプットしていると、いつか手が届くものだという気になります。

── 「思考は現実化する」とよく言います。

海原 最近、思うんですが、努力は絶対に人を裏切らない。他のことは裏切るものもある。人を信じて裏切られるとか、あるんだけど、努力は絶対裏切らないと思っている。
 私はこういう性格だから、あまりかわいらしくいろんなところに行ける質じゃないんで、その分だけ、人よりは出世が遅れるタイプ。というか、出世できない質なのね。だけど、出世できないときに何をしていたかというと、「実力をたくわえよう」と思って、ものを書いたり、いろいろしてきて、それが今、自分にとっての実になっている。
 世間的な評価はしてもらわなくてもいい。ただ努力によって、少しずつ自分が変わっていく。それが人の目に見えるにはすごく時間がかかるし、あるいは人が見てもわからない変化かもしれないけど、自分では敏感にキャッチできるし、楽しい。
 例えば、ボイストレーニングをちょっとさぼると、首の筋肉がすぐ衰え、微妙な変化が出る。でも、ちゃんとやると、ちゃんと体についてくる。だから私、努力し続けようと思っているの。

── 最後、非常にいいお話で締めていただき、ありがとうございました。

 


 

インタビューを終えて
ダブルキャリアの掟 海原純子さんの場合


 海原さんが小学校の頃の話である。5年生の時、夏休みの自由研究で、恐山をテーマに選んだ。イタコで有名な、青森県の霊山である。数多くの文献に目を通すうち、高名な民俗学者の宮本常一氏の本が気に入り、彼に手紙を書いたのだという。「先生の本が好きで愛読しています。いまイタコについて調べているのですが、○日までに資料を送っていただけませんか」という内容だった。
 出版社経由できちんと返事の手紙が来た。ところが案に違って、お叱りの内容だった。「あなたのような失礼な人ははじめてです。研究とは自分の足で歩いて自分で調べていくもの。人の資料を写すなど論外ですし、そもそも何日までという自分の都合を押し付けてくるのは失礼千万です」といったものだった。
 悔しいから本を無断転載して発表するスライドを作ってしまったそうだが、一方で、小学5年生だった自分を子ども扱いにせず、対等の一人前の人間として扱ってくれたことに感謝し、今でも忘れないという。
 有名な学者としてのAさん、小学5年生としてのBさん、患者としてのCさんではなく、目の前にいる、丸ごとの人間を見よう、診ようという海原さんの姿勢はこの辺りから培われてきたのだろうか、と思った。
 そういう意味では、(2)で見てきたように、人間・海原純子より、クリニックの経営者という役割のほうが大きくなったことが、身体の不調の大きな原因となっただろう。そうではなく、経営者というのは海原純子のあくまで一部であり、その他に、シンガーとしての海原純子があっていい、と思い直して歌を再開し、ダブルキャリアに。合わせてクリニックも自分のスタイルを貫く方向で再構築していった。破綻から再生へ。その過程はドラマのようだ。
 最後に、いくつかの著書も参考にしつつ、海原純子流・ダブルキャリアの掟を3つ述べてみよう。
 ひとつ目は「自分がもっている才能を見つけよ」。ここでいう才能とは、「何かができる」ということではなく、「そのための努力するのが嫌いではないこと」だと、海原さんは『他人に振り回されてへとへとになったとき読む本』(青春出版社)で述べる。
 日々、3種類のボイストレーニングを欠かさないという努力ができるのは、まさに才能である。そういう意味で、海原さんはシンガーの才能がある。仕事上で、努力できる何かを発見できれば幸いだが、そうではない場合、ダブルキャリアを目指すのがいい。
 2つ目は「ふと、やってみたいことを大切にしよう」。「努力するのが楽しいことを見つけなさい」と言われても、なかなか見つからないという人が多いはずだ。そういう場合、何をすべきかと堅苦しく考える思考をしばし中断させ、世間の評価や損得を離れた上で、「ふとやってみたいこと」「ふと興味をもったこと」を大切にするのがいいと、前掲書にある。
 海原さんの歌に対する姿勢がまさにそうだ。(1)で紹介したように、音楽教室で見つけた歌手募集というチラシに瞬間的に反応し、すぐにオーディションに駆けつけたのは、「ふとやってみたいこと」を最優先した結果に他ならない。
 最後は「時間がかかることを恐れるな」。専属のクラブがあり、レコードも出したプロの歌手、という立場を離れて20年、さまざまな紆余曲折と艱難辛苦を経て、海原さんは歌手活動を再開させ、医学と音楽の融合、作詞やミュージカルの制作、よりネイティブな英語の発音へのこだわり、と確実に進歩を遂げている。医師としても、新しい分野への挑戦を続けている。20年の中断は意味があったのだろう。そのエネルギーはどこから来るのか。
 ≪なんて 幼かったのだろうと 自分の無知を恥じる時がある そんな時があればあるほど成長できる そんな時があればあるほど年をとらない≫(『一日の終わりの言葉』海原純子、PHP研究所)。海原さんが年齢不詳に見える理由がわかった。

 

 

 
 

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