ビジネススクール流知的武装講座 [272]
これからの「本物リーダー」の話をしよう
東日本大震災では、政府や東京電力に批判が集まった一方、
日本人のモラルの高さや企業の強い現場力も浮き彫りになった。
震災によって強みと弱みが明確になった日本で、
いま、経営者が取るべき行動を考える。
震災を機に変わり始めた
日本の「常識」
東日本大震災とそこから発生した展開は、これまで私たちが「常識」だと思っていたことに多くの見直しを迫っている。いや、別の言い方をすれば、少しずつ崩れてきていた常識を急速に崩壊させているのかもしれない。また逆に新たに常識として見えてきたことも多い。
卑近な例を挙げればビジネスパーソンの着る服である。夏の節電対応のために日本全国で“スーパークールビズ”施策が実施され、報道によれば、企業や自治体によってはポロシャツやさらに進んだ(?)場合は、アロハシャツや短パンなども許可されると聞く。
これも数年前にいわゆる“クールビズ”が始まり、男性はネクタイ着用という暑苦しい「常識」をはずしてみたら、あまり大きな問題がなかったという流れの延長で、今回「常識」崩壊が一気に進んだ。
お客様に失礼とか、オフィスの規律を乱すなどの理由で、湿気の多い日本の夏にどう考えても適合的でなかったネクタイと背広の着用が維持されてきた状況が少しずつ変わり始めている。米国西海岸に本拠があるベンチャー企業などで、従業員がポロシャツとチノパンで仕事をしているのが、少し羨ましかったのが現実になっている。
また、別の例では、いわゆるサマータイム。サマータイムとは法令などにより一律に時計を進めたり、遅らせたりする標準時間の変更で、戦後すぐ米国からの圧力で実験的に実施したが、日本には合わないと判断され中止になり、いままでずっと反対意見が「常識」であった。
なかには東京大学の坂村健教授が述べておられるように、「一律時計を進めるようなサマータイム制は……ピークを崩さずそのままズラすだけ」(毎日新聞 2011年4月17日朝刊)で、省エネ効果は期待できないとの意見もあるが、最近では夏の節電にむけて、法令などによる一律の方式ではなく、企業ごとの就業時間の変更という形をとって導入されている。
実態としては、長い間主張されたにもかかわらず、様々な理由で進まなかった労働時間の改革として導入されている面もあり、単純な評価はできないが、ワークライフバランスの観点から見てもサラリーマンの働き方への影響が期待される。
ローソン、ヤマト運輸などで注目された
企業の「強い現場」力
また、これまで常識だと思っていたことが案外脆弱な基盤によって支えられていることが明らかになっている事象もある。
最も卑近な例は10年のエネルギー白書が、「日本の電気料金は、特に欧州諸国との対比では、家庭用・産業用ともに同等あるいは低水準」と分析した電気の価格である。原子力発電のリスクを反映しないコスト計算であったことがいまや明らかになってきている。
同時に、高価格で、ほぼ国債並みの信用度があった東京電力株が、実は砂上の楼閣状態であったことも明らかになっている。実際、一時期、2000円以上していた株価が、現在は300~500円近辺になり、4分の1程度である。東電の株価を安定的な資産運用のために頼りにしていた方々には申し訳ないが、これもある意味ではいいことである。
株式市場では、あくまでも東電は普通の株式会社であったことの再確認であり、東電は安定、という「常識」がいかに脆弱なものであったかを知らされた事件でもあった。
また政治の世界があそこまで人材不足に陥っていたことも、その脆弱さが明らかになった。経営の世界では、“職務”経験を積むことではじめて人が育つ、ということがほぼ常識になっている。だから多くの企業は、人材のローテーションや配置転換にはことさら多くの配慮をし人を育てておくのである。
だが、長い間野党であった民主党は当然、実戦経験がないわけであり、何らかの対策を講じない限り、人は育たない。賛否両論はあろうが、自民党の長期政権は少なくとも、多くの人材に継続的にミニ実戦の機会を与えるチャンスがあったのかもしれない。
そうした自民党でも、民主党への交代期には、人材の不足感があった。ましてや、実戦機会の少ない民主党では、さらに努力が必要だった。
さらにまた新たな常識が再認識された面もある。例えば、日本人のモラルの高さ。主に東北地方の方々がきちんと整列して炊き出しを待っている映像などを見た外国メディアの反応からである。
米ニューヨークタイムズ紙は、「日本の混乱の中 避難所に秩序と礼節」と題する記事(11年3月26日付)の中で、「混乱の中での秩序と礼節、悲劇に直面しても冷静さと自己犠牲の気持ちを失わない、静かな勇敢さ、これらはまるで日本人の国民性に織り込まれている特性のようだ」と評し、またそのことに多くの日本人が感動し、意識を高揚させた。
05年夏に米国ルイジアナ州ニューオリンズを襲ったハリケーン、カトリーナ後にテレビの画面で多くの混乱を見て、多くの人は日本ではこうしたことは起きないだろうと感じていたときのなんとなくの意識が明確化したようである。
また、現在議論が多い「強い現場」と「リーダーシップのとれないリーダー」との対比である。前回の本誌コラムでも少しふれたが、機動的に動きはじめた現場と、現場にきちんとした方向性を示せないトップの図式である。
特にローソンやヤマト運輸などの、分散型経営を行うサービス業での、被災した現場での自律的な営業再開が注目を浴びている。また、東京ディズニーリゾートにおける地震時のキャスト(パーク内で接客するアルバイトスタッフ)による対応も注目されている。多くのメディアが、上司からの指示がなくても、顧客の安全を配慮しつつ、最後まで慌てなかった姿を報告している。
私に言わせれば、この3社に限らず、多くの企業で平時の強いリーダーシップがあったからこそ、危機対応ができたのだと思うが、リーダーシップの部分はあまり注目されず、逆に「現場の強い日本」論が常識化しはじめている。
そのほかにも数多くあるだろう。いわば大震災という外的ショックによって、11年3月11日から私たちは、これまでの「常識」を疑うことを余儀なくされ、その中で、もがき苦しみながら、新たな日本の方向性を考えてみなければならない時代に入ってしまったともいえよう。ポイントはこれを好機と見るか、危機と見るか、である。
私はそのこと自体は決して悪いことではないと考える。なぜならば、これは経営学的には「パラダイム・シフト」のきっかけとなるからである。
あまり知られていないが、いまではほぼ日常語になっている「パラダイム・シフト」という概念は、トマス・クーン(1922~96)という科学史家が、科学における大きな革命(例えば、ニュートン物理学から、アインシュタイン物理学への革命)を説明するために導入した概念である。
クーンによれば、パラダイムの変革は、現実にそぐわない証拠の積み重ねで起こるのではなく、なんらかの大きな変化によって、大きな思考の枠組み自体が革命的に変化してはじめて起こるのであり、この大きな枠組みの変化は、必ずしも内部からの改革だけではなく、外からの大きなショックによってもたらされることも多いとされる。
東日本大震災は
日本の経営と社会を
つくり直すきっかけ
クーン以前、科学史においては、考え方の大きな変革が実証の積み重ねで起こるという、いわゆる実証主義的な考え方が優勢だった。
それに対してクーンは、古いパラダイムからの転換は、対立する証拠の積み重ねではなく、外的ショックなどで起こる認識の枠組みの変化が先にきて、そのあとで、以前の古いパラダイムと適合的でない証拠が再解釈されるのだと主張した。
具体的に言えば、例えば、ニュートン物理学(古典物理学)からアインシュタイン物理学(相対性理論)への転換は、実験結果の積み重ねで起こったのではなく、アインシュタインによる相対性理論の登場によって一気に引き起こされた変革だというのである。それまでの実証主義的な考え方に対しての、大きな反論だった。
科学史における位置づけはともかく、少なくとも私たちの日常生活でも、大きな変動がきて、これまでの常識が疑われ、またその中から新たな見方や考え方が提示され、これまでは受け入れられにくかったモノや考え方が、新たなパラダイムの下で再解釈され、組織や状況が変化していくということは往々に観察されることである。
すでに挙げた例で言えば、労働時間短縮というパラダイムではちっとも進まなかった就業時間の変更が、震災対応、節電というパラダイムでは、すんなり進むということである。
そのため、この考え方に従えば、経営者は、単に新たな施策を自社に導入することに注力するのではなく、その新たな施策が解釈される新たな認識枠組み(パラダイム)をまず構築し、その中で新たな試みや施策を導入することが必要だということになる。いや、経営者の仕事の重要な部分が、自社の社員がものごとを解釈するパラダイムの管理と変革ともいえよう。
その意味で、今回の東日本大震災は、それ自体は不幸な事象だったが、これを外部ショックとして、パラダイム・シフトを起こし、日本の経営と社会を新たにつくり直す重要なきっかけだともいえるのではないだろうか。
例えば、日本企業の強みと弱みに関する認識である。日本人のモラルの高さは、今回の状況で明らかになった(再解釈された)ように企業にとっても、社会にとっても大きな財産であった。実際、働く人の高いモラルに依存した経営を行ってきたのが日本の企業であり、社会なのである。
だから、日本的経営はある意味では、運用コストが低かったし、そのために日本の企業は国際的な競争力を獲得してきた。平易な言葉で言えば、真面目で文句を言わない努力家の従業員が多かったから、日本企業は国際的な競争に勝ってきたということである。従業員を管理するための費用があまりかからなかったのである。だから、逆にこの資源が失われそうなとき、経営としては、コストをかけ、維持する対象になるのである。
また、やや言いすぎかもしれないが、同時にこのことはリーダーがそんなに優秀でなくても、組織が機能してしまうという結果を生むのかもしれない。
リーダーの統率力が強くなくても、組織が自然と形成され、まとまりがよかったのかもしれない。日本人の高いモラルのためにリーダーによる優れた組織運営はあまり必要なかったのかもしれない。特に、通常の経営状態のときには……。
こうした隠れたメリットやデメリットの実情を今回の震災は暴いてしまったのである。例えば、危機においては優れたリーダーがいないと現場力が強く、働く人のモラルが高くても、目標が達成できないことがわかってしまったのである。
それが常識を壊すということだし、またパラダイム・シフトなのである。的確な言い方ではないかもしれないが、ある意味ではいいことだったのかもしれない。これをきっかけに、これまでの強みを維持し、弱みを克服する新たなパラダイムが生まれつつあるのであれば……。
いま、常識が壊れ、パラダイム・シフトが起こっている中、新たな経営のパラダイムが模索されている。









