ビジネススクール流知的武装講座[263]
会社史こそ
イノベーションの教科書だ
なんのために作られ、誰が読んでいるのか、
疑問をもつ人も多い「会社史」。
筆者は、良い会社史の条件を明らかにしながら、
会社史がもつ重要な役割を指摘する。
大学、官庁、図書館で、
意外に読まれる
会社の応接室や役員室の棚でよく見かける、分厚い会社史。見るたびに、「誰も読まないだろうな」と思われる方も多いだろう。口が悪い人は、「枕にしかならない」と言った。さらに口の悪い人は、「硬すぎて枕にもならない」と言ったらしい。
ところがである。現実には、会社史は、意外に読まれている。大学や官庁、あるいは地方自治体の図書館でも、会社史は、閲覧頻度、貸し出し頻度の高いジャンルの一角を占める。たしかに、分厚い会社史を全部読み通す人は少ないだろう。しかし、会社史を「部分読み」する人は多い。会社史は、その会社やその会社が属する業界の百科事典的な意味合いをもっており、当該企業の従業員だけでなく、顧客、投資家、地元住民、行政関係者、就職希望者、ライバル企業関係者等々にとっても、貴重な情報源となっているからである。
1978年にスタートした「優秀会社史賞」(日本経営史研究所主催)は、隔年ごとに表彰作品を選定しているが、別表は、最近の第16回・第17回「優秀会社史賞」の受賞作品一覧である。これらは良い会社史の代表的事例であるが、良い会社史は発行企業の競争力を高める効果をもつ。それは会社史が、いくつかの重要な役割をはたすからである。
良い会社史とは何か。発行する企業から見れば、期待された役割をはたす会社史が良い会社史である。企業が会社史に期待する役割とは何か。その役割は大きく3つに分けることができる。外へ向けての広報面での役割、内へ向けての教育面での役割、および未来へ向けての学習面での役割である。
1.広報(外へ向けての役割)
外へ向けての会社史の役割とは、重要な広報の手段となることである。直接市場と向き合う企業の場合には、会社史に書かれている商品情報自体が市場での取引にとって重要な意味をもつ。しかし、広報の手段としての会社史の意味は、それだけにはとどまらない。
IR(インヴェスター・リレーションズ)の観点からすると、資本・金融市場に与える会社史の影響力は、けっして小さなものではない。つまり、ROE(株主資本利益率)やROA(総資本利益率)などの短期的な財務データには表れない企業の本当の力を、読者は会社史を通じて知ることができる。企業の実力について投資家は、いかなる経営環境のもとにおかれているか、トップマネジメントの戦略はどのようなものか、根づいている企業文化はいかなるものかなど、会社史が発信する諸情報をふまえ総合的に判断してはじめて知ることができるのである。
少子化が進む21世紀の日本では、限られた人的資源のなかから優秀な人材を確保することが、企業の発展にとって第一義的な課題となる。最近では、インターネットを通じて就職活動を行うことが一般的になっているが、熱心な就職希望者は、受けようとする企業について徹底的に知ろうとして、ホームページなどには記載されていない濃密な情報を求めている。労働市場への情報発信という意味でも、会社史は有効な広報手段なのである。
技術者の市場に関しても、その企業が技術を大事にしているか、技術者に活躍する場を与えているかなどの情報は、会社史を読むと一目瞭然となる。ステークホルダー(株主、従業員、顧客、取引先、地域住民等)との関係についても、同じことがいえる。さらに会社史による情報発信はステークホルダーに対してだけでなく、関係する第三者機関、中央・地方の官庁やNPO(非営利組織)等、最終的にはライバル企業に対しても重要な広報の意味をもつ。
2.教育(内へ向けての役割)
会社史の内へ向けての役割、つまり教育面での役割に関しては、企業文化の伝承と企業内知識の継承が、とくに重要である。
企業文化とは「企業の構成員たちによって安定的に選択される行動基準や思考パターン」のことである。誤解を恐れずに言えば、きちんとした企業文化がない企業は良い会社史を作ることができない。良い会社史には、すぐれた企業文化が書き込まれるべきだからである。最近、企業の革新的創業者や
「中興の祖」と呼ばれる経営者たちから「企業革新のDNAを将来へ向けて社内で伝承してゆきたい」旨の言葉がしばしば発せられるが、会社史は企業革新のDNAを企業文化の形に昇華させて、後の世代の社員に伝えていく伝承記録としての役割をはたすのである。
一方、会社史は、社内の百科事典としての意味ももつ。企業では、新規事業への進出、既存事業からの撤退、大規模な組織改革、海外での事業所の新設など、10年ぶり、20年ぶりの出来事が生じることも珍しくない。このような「久しぶりのイベント」を首尾よくやり遂げるうえでは、過去に同様のイベントを実行した際の経験が大いに役立つ。そのようなケースでは、会社史の記述、あるいは会社史を編纂したときに集めた一連のデータに頼るしかない。会社史は、社内に蓄えられた無数の知識の宝庫である。つまり、会社史は企業文化だけではなく企業内知識も伝承するのであり、会社史の教育的機能は、この両面にわたるのである。
3.学習(未来へ向けての役割)
会社史は、企業の過去の遺産を伝える教育的機能にとどまらず、企業の未来を拓くイノベーションや改革に糸口を与える役割もはたす。会社史の学習的機能とでも呼ぶべきものである。
そもそもイノベーションは、どのように生じるのか。最近の経営学の研究によれば、それは一人の天才や一人の偉人によって起きるものではない。イノベーションは、それが必要だという共通認識をもつ多くのプレーヤーが、互いに切磋琢磨して知識をぶつけ合う相互作用のなかではじめて生まれる。そのためには、ベクトルの方向性が共有されることと、いろいろな知識が相互作用を起こすことが重要である。会社史およびそのバックデータ(企業史・資料)は、共有すべき方向性について示唆を与えるとともに、相互作用の起点となる知識やそれの所在を示す情報を提供するものとして、大きな役割をはたしうる。
企業の未来を拓くという意味では、イノベーションのみならず、制度改革も重要な意味をもつ。企業だけに限られるわけではないが、特定の組織が改革を行うときには、「シークエンス」という言葉がキーワードとして浮かび上がってくる。シークエンスとは、改革の筋道のことである。
どんなに正しい理論にもとづいて改革を打ち出したとしても、それだけで首尾よくコトが進むほど、組織は単純にはできていない。改革を成功させるうえでは、段取り、順序、担い手など、コンテクストやプレーヤーが決定的な意味をもつ。良い会社史には、単に過去の事実や知識が記述されているだけでなく、かつてその企業が実行した大きな改革についてのシークエンスが書き込まれている。いつ、どこから着手するか、誰が担い手となるか、会社内にいかなる抵抗があるか、取引先等の各ステークホルダーとのあいだでどのような調整が必要とされるか、などの改革にかかわるシークエンスについて、会社史はさまざまな教訓を与えてくれる。さきに「会社史は企業の未来を拓くイノベーションや改革に糸口を与える学習的機能をもつ」と述べたのは、以上のような理由によるものである。
三大要件は
「真実」「ストーリー」「使いやすさ」
発行者である企業が期待する3つの役割を発揮するためには、会社史はどのような要件を備えていなければならないか。以下では、良い会社史の要件について掘り下げる。
1.真実
良い会社史の第一の要件は、いうまでもない点であるが、真実にもとづいて書かれていることである。虚偽を書いたり、その企業の歴史を語るうえで当然言及すべき事柄を書かなかったりすることは、あってはならない。また、きちんとした事実の裏付けを行わずに、「こうであっただろう」「こうであったに違いない」という憶測や思い込みによって記述することも、避けなければならない。
このような問題が起きないようチェックするためにも、会社史のバックデータとなる企業史・資料については、執筆者・編纂室・制作者(編集者)の手元に、それぞれワンセットずつ置いて、ダブルチェックないしトリプルチェックする体制をとることが大事である。会社史を作る過程では大量の情報を処理しなければならないので、意図せざるミスが起こりうる。データに関するダブルチェック、トリプルチェックは、きわめて重要な作業である。
2.ストーリー
良い会社史の第二の要件は、ストーリー性をもつことである。
真実を述べることとストーリー性があることとは矛盾するように見えるが、そうではない。そもそも、100年間を1年、場合によっては1時間で語るのが歴史である。100年の事実のなかで何がポイントで全体としてはどのような流れなのか。無数の事実のなかから重要な事実のみを選択し、それらに筋道をつけること。すなわちストーリー性をもたせる作業を行わない限り歴史は成り立たない。「歴史」を意味する英語HISTORYを分解すれば「ハイ・ストーリー」となるのである。
会社史にストーリー性が求められることとの関連で気になるのは、多くの会社史の文章が受け身形で書かれている点である。これは日本的な謙譲の精神の反映かもしれないが、本来、受動態でストーリーを語ることはできない。当社ないし当社の経営者はこのように行動してこのような結果を得たのだと主体的に記述するのが、ストーリーを語るうえでの基本である。従って会社史は能動態で書かれるべきであり、企業が経営環境に対してどのように働きかけ、それをどう変えたかが、会社史の中心的な記述内容となる。
また、会社史では、結果だけではなくプロセスを書くことも重要である。結果だけならば財務諸表等を見ればよいわけで、なぜそういう財務諸表が生まれたか、その過程で企業が直面した問題は何だったか、それに対して担当者はどう対処したか、その結果最終的にどのような帰結がもたらされたか、などを知ることができる点が、会社史のレーゾンデートル(存在価値)である。そして、そうであるからこそ会社史は、「ここでがんばったから今日のわが社がある」とか、「ここで勝負に出たからよかった」とか、逆に、「ここでこういう失敗をしてしまったので結局何十年も回り道をしなければならなかった」とかいう、ストーリーを伝承することができる。正確な記録にもとづいて的確なストーリーを伝承することも、良い会社史が備えるべき重要な条件の一つなのである。
3.使いやすさ
良い会社史の第3の要件は、使いやすいことである。
「使いやすい」に近い言葉で「見やすい」、つまり「ビジュアルに訴える」というのがある。ビジュアルが悪いよりは良いほうがいいが、このことは本質的な点ではない。会社史はあくまでも中身で良し悪しが決まるのであって、より大きな問題は使いやすいか否かという点にある。そもそも、ビジュアルをめぐる状況は非常に激しく変化するので、現在ビジュアル面で最先端を走っていた会社史が、10年後も引き続き先頭を維持していることは、ほぼありえないであろう。
「見やすさ」より重要なのは「使いやすさ」であり、会社史を使ってもらうためには、まず、使う気にさせるような中身を盛り込まなければならない。そこでは、きちんとした構成をとり、ストーリーもわかりやすいことが、ポイントになる。もちろん、会社史の執筆者の筆力も、決定的な要素である。
また、会社史が知識の宝庫である点から考えて、検索機能がもつ意味も大きい。索引がついていない会社史は、それだけで良い会社史とは言えない。充実した索引がついていること、できればデジタル化されたバージョンがあり検索が容易に行えること……。
これらは、良い会社史が備えるべき本質的な要件だと言っても、けっして過言ではない。

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