ビジネススクール流知的武装講座 [254]

GDP15%増!
成長戦略はシンガポールに学べ

 
 

世界金融危機の影響から
急速な回復を遂げつつあるシンガポール。
その戦略にはアジア各国に共通する
戦略が含まれている、と筆者は説く。

 
 

一橋大学大学院商学研究科教授
小川英治=文
text by Eiji Ogawa
1957年、北海道生まれ。一橋大学商学部卒業、一橋大学大学院商学研究科博士課程単位修得、商学博士。88年より同大学商学部勤務。ハーバード大学(86~88年)、カリフォルニア大学バークレー校(92~93年)でvisiting scholar。著書・訳書に『国際通貨システムの安定性』『金融経済入門』『金融リスク管理戦略』などがある。

平良 徹=図版作成

 
 


V字型の経済回復を実現した
シンガポール


 筆者の勤務する一橋大学大学院商学研究科のMBAコースでは、金融プログラムの一環として夏休みにアジアで海外研修を行っている。今年で4回目を数える。
 これまでに北京(2007年)、バンコク(08年)、上海・香港(09年)に出かけ、大学(清華大学、タマサート大学、中国人民大学深セン研究センターなど)で講義を受けるとともに、日系および現地の金融機関や製造業企業を訪問してきた。
 今夏の海外研修では、シンガポールとハノイに出かけた。シンガポール国立大学ビジネス・スクールやハノイ貿易大学で講義を受けるとともに、金融機関、証券取引所、製造業企業を訪問した。筆者も、MBAコースの学生を引率して、シンガポールを訪れた。

 シンガポールは、国際金融センターであるにもかかわらず、08年に発生したリーマン・ショックによってサブプライム・ローン問題が深刻化した世界金融危機から直接には影響を受けなかった。
 しかしながら、世界金融危機はシンガポール経済に対して間接に影響を及ぼした。すなわち、欧米の株価暴落に連動したシンガポール株価の暴落による逆資産効果によってシンガポールの国内需要が縮小した。
 同時に、世界経済の同時不況によって世界の貿易量が縮小し、国際貿易に関わる産業がその影響を受けて、国際貿易都市としてのシンガポール経済に悪影響が及んだ。さらに、世界同時不況の下で世界経済の総需要が収縮したことによってシンガポールの輸出、すなわち外需が縮小したことによって、国内景気が悪化した。

 このような世界金融危機の間接的な影響を受け、09年には、シンガポール経済は、マイナス9%からマイナス6%の国内総生産(GDP)のマイナス成長を記録した。世界金融危機の直接的な影響をシンガポールの金融機関が受けていなかったことから、欧米で起こっているような、金融部門の脆弱化、そして、金融部門への資本注入による財政収支の大きな悪化は目立っていない。
 そのため、世界経済、とりわけ、アジア経済が回復するにつれて、シンガポール経済も急速な景気回復を果たした。10年には、13%から15%の極めて高いプラス成長が見込まれている。まさしくV字型の経済回復を実現しようとしている。


外国人や外資系企業招致が
経済に活況をもたらす


 実際に、シンガポールを訪れて、シンガポール経済が活況を呈していることを目の当たりにした。かつて中小の二体のマーライオン(頭がライオンで体が魚の伝説上の動物の像)の設置されているマーライオン・パークから見える姿は一変していた。かつてはそこからマーライオンとともに海が見えていた。しかし、今は、マーライオンの向こうに、マリーナ・ベイと呼ばれるウオーターフロントに、3つのタワーからなる高層のホテルが毅然と立ち、その3つのタワーのトップは空中庭園でつながっている。
 また、その下には、ラスベガス系のカジノがつくられ、マリーナ・ベイ・サンズと呼ばれる高級総合リゾートが展開していた。シンガポールには、昔からセントーサー島と呼ばれるリゾートがあったが、最近、このセントーサー島にもユニバーサル・スタジオとともにカジノがつくられている。

 これら二つのカジノは、もともとシンガポール観光のリピーターがいないという反省(実際、筆者も観光目的でシンガポールを訪れたのは1回だけ、ほかはすべて国際会議等のビジネスの目的で訪れている)から、インドネシアや遠く中国の(一説にはギャンブル好きの)華僑や中国人などのアジアのお金持ちにシンガポール観光のリピーターになってもらうのが目的だといわれている。
 一方で、シンガポール人にはカジノに耽ってほしくないというシンガポール政府の方針から、シンガポール人は入場料100シンガポール・ドル(約6500円)を支払わなければならない。外国人は無料で入場できるが、パスポートの呈示が求められる(シンガポールでカジノを訪れる方はパスポートを忘れずに!)。

 このようにシンガポールは、ウオーターフロントやオフショアの島で外国人にカジノの場を提供することによって、外国人をシンガポールに招いている。それによって、外国人がシンガポールのホテルに泊まったり、食事をしたりして、シンガポールの景気回復や経済成長に貢献してもらうことを狙っている。これは、カジノに限ったことではない。
 シンガポール証券取引所も、世界中の証券取引所と連携して、例えば、日経225先物がシンガポール証券取引所に上場されている。シンガポール証券取引所に来れば、世界の証券取引ができるようにして、金融機関やヘッジファンドの誘致を図っている。

 また、外資系企業の誘致についても、もともと低い法人税(日本では40%であるのに対してシンガポールでは17%)に対して、シンガポールに地域統括本部や国際統括本部を置く企業には軽減税率が適用されたり、石油製品などの国際貿易に携わる企業でシンガポールをオフショア貿易活動の拠点としている企業に対して軽減税率を適用している。
 法人税の引き下げは企業しか恩恵にあずからないと見る、あまりにも直截的な見方をする人がいるが、法人税の引き下げによってその対象企業の生産量が増えたり、あるいは、外資系企業を誘致することができれば、それらの企業で働く労働者も恩恵を得られる。法人税の帰属が資本家のみではなく、資本家と労働者の両方にあるのは理論的には言うまでもない。それぞれにどれほど帰属するのかは、実証的に分析しなければならない。


人的資本を蓄積するための
教育も必要


 このようにして、10年に15%近いGDP成長率によってV字回復を果たそうとしているシンガポールであるが、長期的な経済成長の視点に立って、経済成長戦略を10年2月に発表した。それは、シンガポール経済戦略委員会がシンガポール首相リー・シェンロンに提出した報告書「高度な技能を有する国民、技術革新のある経済、卓越したグローバル都市」である。
 その報告書の目的として、技能とイノベーションと生産性を持続的経済成長のための基礎としなければならず、これによって内在的成長と広範な国民所得の増大を実現することができるとしている。また、上昇するアジアに向けてオープンで、多様性を持った、活気ある卓越したグローバル都市を目指すべきであるとしている。

 シンガポール(や日本)のように、高齢化・少子化した経済では、労働者一人当たりの扶養者数が増加しつつある。このような状況の中で、国民一人当たり所得を維持するためには、労働者一人当たりのGDP、すなわち労働生産性を高める必要がある。労働生産性を高めるための一つの方法としては、他の生産要素、すなわち、物的資本(工場、機械・設備)を蓄積することが挙げられる。あるいは、物的資本がハード面であれば、それに対してソフト面、すなわち、生産技術の向上がもう一つの労働生産性を高める方法である。

 ハード面で最新鋭の機械とともに、ソフト面で最先端の生産技術が導入されたとしても、それらを使いこなすだけの能力を持った労働者が必要となる。労働者の人数だけ増えればよいというものではなく、労働者の有する高度な技能も重要となる。それは、どれだけの工学の教育を受けているかに依存する。これを人的資本という。そのため、単に生産技術を高めるためのイノベーションだけではなく、人的資本を蓄積するための教育も重要である。

 シンガポールの経済成長戦略は、高度な技能を有する国民、革新的な経済、卓越したグローバル都市といった目標を目指すために、7つの戦略=(1)技能とイノベーションによる成長、(2)製造業とサービスにおけるグローバル・アジア・ハブ、(3)活気と多様性のある企業構成(大・中小企業、地元・アジア・グローバル企業)の確立、(4)イノベーションの普及と研究開発成果の商業化(医薬・バイオ分野など)、(5)スマート・エネルギーの経済構築、(6)将来の成長に向けた土地生産性の向上、(7)卓越した国際都市・愛される故郷の建設=が提示されている。
 これらの経済成長戦略には、都市国家としてのシンガポール特有の戦略もあるものの、グローバルに共通する戦略のほか、生産拠点としてのアジアおよび潜在的な世界最大の消費地としてのアジアに位置する国々に共通する戦略が含まれている。
 とりわけ、(1)技能とイノベーションによる成長や(4)イノベーションの普及と研究開発成果の商業化は、EUのリスボン戦略にも見られるように、グローバルに共通して取り組まれている戦略である。

 また、(2)製造業とサービスにおけるグローバル・アジア・ハブは、「アジア・ゲートウェイ」戦略を進めてきた日本にも共通する戦略である。「グローバル・アジア・ハブ」を実現するためには、国内企業にそこで活躍してもらうだけではなく、外資系企業にも進出してもらうことが必要である。
 そのためには、国内企業にも外資系企業にもインセンティブを与えなければならず、少なくとも法人税の軽減税率はそのインセンティブの一つとなろう。前述したように、日本とシンガポールの法人税率を比較しただけでも、企業がどちらに関心を持つかは明らかである。
 シンガポールのような「グローバル・アジア・ハブ」戦略と類似の戦略が日本のほか、韓国のインチョン自由経済区などに見られるように、各国間で戦略上の競争を繰り広げている。この競争を考慮に入れて、日本は戦略を立てなければならない。



 
 
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