ビジネススクール流知的武装講座 [252]
買う気にさせる
「ポジティブ・マーケティング」入門
なぜ安いだけでは消費者はモノを買わないのか。
消費者を的確に捉え、技術や製造以上に効果を発揮する、
マーケティングのイノベーションを分析する。
消費者には「安さ」以外の
魅力が必要である
マーケティングのやり方を、ネガティブ・マーケティングとポジティブ・マーケティングとに分けることができそうだ。生活者の満足度を慎重にチェックしながら、「購入しない理由を消していく」やり方はネガティブ・マーケティング。マイナスの点を見つけ、そこを改良する。日々商品の改良が進み、競争に強い商品となっていく。日本企業が得意とするマーケティングだ。
それとは対極にあるやり方は、生活者に向けて「購入する理由を創り出す」ポジティブ・マーケティング。それは、無から有を創り出す志向をもつ。今回は、このポジティブ・マーケティングに注目して、いくつかのケースを見てみよう。
経済学者は、商品は、値段が安ければ安いほど売れると言う。だが、現実には安い商品を売るのはたやすい話ではない。
昔、大手GMS(大型スーパー)のディスカウントの店がわが町で開店した。いたってディスカウント好きなわが家の女房。そこに飛んで行ったのはいいが、その後は行くのをためらう。不思議に思って聞くと、全店黄色いチラシやポスターで覆われたその店は、安さに溢れていると言う。「それが何か」と思ったのだが、「安さだけが煽られていて、何か寂しくなる」とのこと。値段の安さは主婦にはいたって魅力だが、それだけでは彼女たちの気持ちを引きつけることは難しいということなのだろう。
主婦をはじめとして生活者に購入してもらうためには、その安さを煽るだけでなく、それを納得させる合理的な理由が必要だ。「安い理由を理解して購入する」という感覚、「安いから買うというより、この商品の魅力はここにある」という感覚。そういう感覚を、われわれ生活者に提供しないといけない。
シャープは、そのような工夫に長けた会社だ。他社に比べて安価な商品を生産販売するのはもともと得意。だが、「安いモノしか買えない生活者と思われないか」という生活者の微妙な心理上の抵抗を巧みに避ける。古くは「ニューライフナウ」、最近では「目のつけどころがシャープです」という広告コピーでわかるように、安さに加えてもう一つ、「他社とひと味違う技術」を提供する工夫を一貫して重ねてきた。フロントローディング機能を付加したVTR、肩に担いで掃除できる掃除機、両面開きの冷蔵庫などなどはそうした商品だ。
ユニクロが提唱する
安さと便利さ以外のコンセプトとは
最近でも、安さに加え、ひと味違った差別的な技術をアピールして成長する商品がある。ビール系市場の発泡酒はそれだ。当初は、「本格ビールよりも安い」というだけの商品として導入されたが、そのうち“健康”をアピールし始めた。健康にもう一つよくないのではなんて思いながらビールを飲んでいた私には朗報だ。スーパーでは、糖質やカロリーやアルコール度を抑えたその種の発泡酒に手がいってしまう。
いずれも技術面での差別化を図った事例だが、「生活者の商品を見る視点を変える」という工夫でもって、同じような効果を得ることができる。
無印良品(良品計画)は、そうした工夫で成長した会社だ。彼らは、「わけあって安い」という巧みなコピーを通して、生活者の気持ちを汲み取った。たとえば「割れた椎茸」。
割れていない普通の椎茸とは味や品質の点で違いはない。しかし、商品としては不適格として廃棄される。それを、安い値段で「わけあって安い」商品として売り出した。問題は、この種の商品が売れたとき供給が追いつかないことだ。「割れた椎茸を増産するわけにはいかない」。そうしたこともあって、同社はその後少し趣を変え、「自然さ」や「シンプルさ」といった価値を生活者に提案し始めた。たとえば、塗りの工程を省いた白木のテーブルは値段ももちろんそれなりに安いが、それ以上に自然でシンプルな生活の象徴として位置づけられ人気を博した。
ユニクロの成長ぶりもそれに似ている。
最初、関西の市場に参入してきた頃は、「安くてお得な商品」ということを露骨なほどにうたい文句にしていた。その当時の同社のTVCMを見るとわかる。大阪のおばちゃんがユニクロの店へやって来て、突如スカートを脱ぎ、「これ、返品するわ」。覚えておられる方もおられるだろう。駐車違反に文句をつけてお巡りさんが渡した駐禁切符を食べてしまう大阪のおばちゃんのCMも大阪らしいが、それと双璧だ。
だが、「安くてお得な商品」だけで、今のユニクロがあるわけではない。ユニクロは銀座など都心への立地を図るという戦略変更と軌を一にするように、一つのコンセプトを提案し、生活者の共感を得た。それは「デモクラシー」。
このコンセプトがなく、安さと便利さだけを主張するビジネスを続けていたら、結果は、どのようなものだったか。そこに思いを馳せれば、そのコンセプトの素晴らしさがわかる。所得の大小、生活水準の高低にかかわらず、誰もが等しく、ユニクロの商品を使う理由をもっていること、そして「安い服を着ている」ことでオドオドすることなく、誰にとっても手に入りやすいユニクロの商品を「誇りをもって身につける」ことができることを、私たちは知らぬ間に心の内に刻み込むことになったのである。
シャープ、良品計画、ユニクロ。いずれも、低価格帯市場をつくり出したメーカーだが、そこには安さ以外に、もう一つの購入理由を生み出す創意工夫が溢れていた。
低価格帯市場を開拓するのはチャレンジャーの得意技。リーダー企業には、高価格商品を成功させることが期待される。リーダー企業が、背に腹は代えられないとばかりに、下位企業が開発した低価格の商品に追随するケースがまま見られるが、それでは市場は小さくなるばかり。下手すると、購入ボリュームゾーンが低価格帯に移ってしまい、自身の本拠地となる市場が小さくなってしまう。
JTBが昔、<ルックJTB>で上中並のサブブランドを開発したことがあった。それは、特定ニーズに絞った新ブランドの参入、あるいは高価値志向の生活者と価格志向の生活者との二極化という市場事情を捉えた時宜にかなったものだった。だが、結果は、市場需要が「並」のサブブランドに大きく流れてしまい、三つのサブブランドでバランスよく需要を取り込むことは叶わなかった(拙書、『マーケティングを学ぶ』、ちくま新書)。
本格ビール市場も状況は似ている。本格ビール市場でポジションを確立したリーダー企業が発泡酒や第三のビールを発売するがために、本格ビール市場はそれに市場を奪われ、縮小する。
高価格帯を狙ったマーケティングで、巧みなのはサントリー。昔から提案上手。「日本食にもウイスキーを」というわけで、「二本箸作戦」と称して、ウイスキーにはそぐわないと思われた和食、それも割烹料理店に積極的に拡販していった。「水割り」というウイスキーの飲み方提案も。スナックやクラブといった酒場にお客様がウイスキーボトルを置いておくというボトルキープの提案もそう(石井淳蔵ほか『1からのマーケティング』碩学舎)。

なぜハイボールは
爆発的に消費されているのか
そうした提案もいつしか陳腐化し、ウイスキー市場ももはやこれまでと思われた最近、またもウイスキーの再生に成功した。ハイボールという飲み方が提案された。ロックや水割りでは飲んでいたが、私もハイボールは初めて。だが、試してみると、意外と飲みやすく、食事にも合う。今では面倒さを厭わず炭酸水を買ってきて、わが家でウイスキーをせっせと消費している。
同社は、われわれ飲み助の支援を受けて、今年度上半期は<角>が78%増の売れ行き。トップブランドの<響>は40%の売り上げ増だという。あらためて、飲み方提案(言い換えると、生活者の商品を見る「視点」を変えること)こそが、業界における低価格に向かう潮流に対抗する力となりうることを証明した。
安さが求められている世の中だが、かといって値段を下げたから売れるかというとそうでもない。生活者の心理はそれなりに複雑だ。そこで安さにひと味加えるという工夫、ポジティブ・マーケティングが必要になる。一つのやり方は、ひと味違った技術を価値として付加することだ。多くのマーケターは、このやり方を狙う。加えて、もう一つやり方がある。生活者の視点をうまく変えてしまうことで、既存の商品に新たな意味の光を付与するやり方である。そのやり方は、たんに低価格マーケティングを支援するだけでなく高価格市場を生み出す原動力ともなる。
技術や製造におけるイノベーションが、企業成長の原動力であることは言うまでもないが、あくまでも原動力の一つにすぎない。技術や製造におけるイノベーション以上に、マーケティング上のイノベーションの効果は絶大だ。最初に述べたディスカウンター店がそうであったように、工場や調達部門ががんばって原価を下げ価格を下げても、それが生活者の心に響かないことが起こりうる。いくら画期的と評価を受けた技術でも、生活者に受け入れられないまま消えていった例は少なくない。
はっきり言えば、川上が変化したからといって、川下の需要に変化が起きる保証は何もない。製品に新機能が追加されたからといって、値段が安くなったからといって、生活者がそれを買ってくれる保証はどこにもない。当たり前の話だが、川上で起こった技術上の変化が、イノベーションとして陽の目を見るためには、生活者の側における「当該商品の使い方や買い方における習慣と、その習慣をよしとする文化」が変わらないといけない。
生活者の、商品を使う習慣と、それをよしとする文化を変えること。それがポジティブ・マーケティングの課題である。そして、過剰品質の時代と呼ばれ、技術革新による市場成長が期待できない現代。
生活者の「商品を使う習慣とそれをよしとする文化」を変えない限り、企業の成長も、日本経済の成長もない。現代の課題は、まさにポジティブ・マーケティングにあり、そこに力を注ぎたい。










