ビジネススクール流知的武装講座 [248]

仕事とは何か、
人は何のために働くのか

 
 

日々、仕事をする中で、なぜ自分がこの仕事を
しているか、と考えることは意外と少ない。
波乱の幼少体験を仕事の意義に結びつけた、
不世出の歴史学者・阿部謹也の言葉を通して、
「働くこと」を考察する。

 
 

流通科学大学学長
石井淳蔵=文
text by Junzo Ishii
1947年、大阪府生まれ。神戸大学大学院経営学研究科博士課程修了。神戸大学大学院経営学研究科教授などを経て、2008年4月より、流通科学大学学長。専攻はマーケティング、流通システム論。著書に『ブランド』『マーケティングの神話』『営業が変わる』などがある。

平良 徹=図版作成

 
 


「知る」と「解る」の違いは
どこにあるのか


 近時マスコミなどで、何度か繰り返される政治家の出処進退の判断の是非。外から言うかぎりは、どうとでも言える。だが、内に入り事情を深く知ると、人と人との関係が絡み、判断はことのほか難しい。誰しも、出処進退や仕事の踏ん切りのつけ方には悩むものだ。今回は、阿部謹也氏の「解るとは何か」そして「何が解れば解ったことになるのか」についての議論を手がかりに、出処進退に絡んで、「仕事の成否を自分に問う」こと、〈大問題〉を立てることの大事さを考えたい。氏は、ヨーロッパ中世史の研究で知られ、一橋大学の学長を務められた碩学である。

 さて、阿部氏の著作の一つに、『自分のなかに歴史をよむ』(筑摩書房、1988年)がある。そこでは、「解る」ということにまつわる自身の経験が紹介される。
 一つは、氏が学生時代に卒業論文のテーマを選ぶために、その後、氏の先生となる上原専禄先生に相談にいかれたときの経験である。そのとき上原先生からは、「どんな問題を選んでもよいが、それをやらなければ生きてはいけない、そんな問題を選びなさい」と言われたという。たかが卒業論文と言うなかれ、である。

 上原先生は、知ると解るの違いを区別されていた。「『解る』ということは、それによって自分が変わること」だと言われる。「何かを知る」だけでは、自分が変わることはない。今までの自分に、何かが加えられるだけだ。だが、「解る」というのは、知る以上のことであり、自分の人格やこれまでの生き方の変更を迫るものだというわけだ。
 卒論であれ何であれ、知りたいテーマを選ぶだけでなく、「解る」に迫るような、つまり「自分の生き方」に関わるようなテーマを選ぶ。あるいは、人から与えられたテーマであっても、「自分の生き方」に関わるようにテーマを設定し直す。そうした覚悟が必要なのだ。
 生き方に関わる研究テーマを持つ。そのことの値打ちは解りにくいかもしれない。しかし、研究者には必須だ。なぜなら、自分の生き方に関わるテーマであれば、「研究で導き出したこの結論は、正しいかどうか」を、自分の心に問うことができるからだ。自分を懸けるのか、口舌の徒で終わるのかの境目はそこにある。


無意味な努力を正当化する
〈美学〉を避ける方法


 たとえば、導き出した結論が常識と食い違っていたとしよう。しかし、自分の心に問えば、どう考えても結論が間違っているようには思えない。それも、自分の生き方が関わってそう思うわけだから、その確信は強い。そのとき、「常識のほうが間違っているのではないか?」という疑問が生まれる。常識に抗しうる自分の立脚点が、そこに生まれる。
 自分の結論が間違っているのか、常識が間違っているのか、それはその段階ではわからない。もしかして、自分の結論ないしは立脚点が間違っていることもありうる。だが、そのことが解る瞬間とは、まさに自分の知らなかった世界が開ける瞬間でもあるのだ。

「解る」に関連した氏のもう一つの経験は、氏がドイツに留学をして、一人、文書館で古文書を読む作業を続けていたときのこと。氏の留学の目的は、日本では手に入らないドイツ騎士修道会史の大量の古文書を読むことであった。氏は、ヨーロッパ中世農民の日々の生活に、彼らの顔が浮かんでくるようなレベルで迫りたかった。
 文書館に通い、古文書を紐解く日々が続いた。そのうち氏は、形而上学的な一つの疑問を持つに至った。「ドイツ騎士修道会の何が解ったら、ドイツ騎士修道会が解ったことになるのか」と。トートロジカル(同義反復的)で意味のない疑問に思えるかもしれない。だがそうではない。研究者には、避けては通れない問題なのだ。
「膨大な古文書の中で溺れてしまうことにならないか」「いつまで経っても終わりのない作業を営々と続けることにならないか」という不安。下手をすると、古文書を読むことがすなわち自分の研究と思ってしまいかねない。視野狭窄とは、そういうことを言う。

 悪くすると、自分の(無意味な)努力を正当化する〈美学〉さえつくり出してしまいかねない。〈美学〉に取り憑かれると、何もかもが正当化される。たとえば、太平洋戦争末期、日本軍による特攻隊や全軍玉砕は、そうした〈美学〉に導かれたものだ。玉砕や特攻攻撃が自分たちにめざましい成果を生み出さないことがわかっていても、それが実行される。いやむしろ、何も生み出さないことのほうが美学をいっそう美学らしくする。「武士道は死ぬことと見つけたり」という武士道精神の無目的の美学が持ち出されたりする。そうした精神的な逼塞状況に陥らないようにするには、仕事を続ける努力の中から、「得るべき果実=目的」をあらかじめはっきりさせておくことが必要なのだ。

 先の阿部先生の研究の話に戻ろう。
 つまり、「何が解ったら、解ったことになるのか」とは、いわば自身で研究の目的を定めることにほかならない。研究の目的は何か。それを自分に問う。阿部先生自身も、そのとき自問自答した。そして得た答えは、「ヨーロッパにおける被差別民の成立を解りたい」というものであった。少し専門的な話になるが、この筋道を理解するために話を続けよう。

 14世紀当時、次のような職業が蔑視されていた。死刑執行人、捕吏、墓掘り人、塔守、夜警、浴場主、外科医、理髪師、森番、木の根売り、亜麻布織工、粉挽き、娼婦、皮剥ぎ、犬皮鞣し工、家畜を去勢する人、道路清掃人、煙突掃除人、陶工、煉瓦工、乞食と乞食取り締まり、遍歴芸人、遍歴楽師、英雄叙事詩の歌手、収税吏、ジプシー、等々。驚くほど多様だ。
 ヨーロッパにおけるこうした被差別民は、この14世紀前に成立した。死刑執行人という職業は12世紀まではなく、高位聖職者や身分の高い人が執行していた。ところが、14世紀頃から、それが職業になり、身分の賤しい人が携わるようになる。この時期、社会における職業意識・評価における180度の転換があったのだ。この世紀、「人と人との関係のあり方」が根本的に変化した時代であることを窺わせる。

 氏は、この後、ドイツ騎士修道会の古文書を読み進めながら、この「13~14世紀における人と人の関係のあり方の変化」という〈大問題〉に迫ろうと考える。そして、その〈大問題〉についての理解を得たとき初めて、ヨーロッパ中世社会が解ったことになる。採るべき果実ははっきりし、仕事の枠組みも定まる。つまり、「ドイツ騎士修道会の古文書を調べる」ことを通じて(手段)、「13~14世紀における人と人との関係の変貌を明らかにする」という形に。
「〈大問題〉を達成するために、仕事をする」という仕事の枠組みを定めないままに、仕事に取り組んでしまうことが私たちには往々にしてある。たとえば、古文書を読破する仕事にのめり込む。その一途さや愚直さを美しいと思う文化が日本にはある。日本という社会を成り立たせる大事な文化だと思うのだが、私は、そこにおける〈大問題〉の不在が気になる。「とにかくドイツの文書館で中世ヨーロッパの農民史を調べたい」というその志は貴重だが、それだけでは足りない。〈大問題〉が必要なのだ。あらためて整理して考えると、〈大問題〉を立てることに大事な二つの効能がある。


〈大問題〉を心に問うことの
効能とは何か


 第一。〈大問題〉を明確に設定することにより、今一途に取り組むその仕事に対して、あらためて「なぜ、その仕事が重要で、必要な仕事なのか」という意味とやり甲斐を示してくれる。一途に仕事をしていると、ふとその仕事の意義が見えなくなるときがあるものだ。そのときに〈大問題〉が役に立つ。
 第二。取り組む仕事に対して、自身に距離感を与える。〈大問題〉があるおかげで、取り組むその仕事を、相対的・客観的に見ることができる。仕事との距離感さえあれば、今やっている仕事を離れて、別の仕事に移る契機も与えられる。先の阿部氏の例で言うと、阿部氏自身が心の中に定めた自身の〈大問題〉(「13~14世紀における人と人との関係の変貌を明らかにする」こと)は、ドイツの文書館で古文書を読む以外の研究調査を要請するかもしれない。そんなとき、一途に古文書を読むだけでは気がつかない、その〈大問題〉に迫るもう一つの道が見いだされる。逆に言えば、「何が解ったら解ったことになるのか」を心の中に定めておかないと、阿部氏がそうした経験を積まれたように、どこかで行き詰まったり、空回りしたまま仕事が続いたり、あげくに幻想の〈美学〉をつくりあげてしまうことになりかねない。
 相対化することで、現場の仕事にのめり込んでしまう自分をコントロールでき、自分を見失わずにすむ。今の仕事の限界を知り、それを受け入れることもできる。そうした効能をあらためて示しておこう。

〈大問題〉を、心に問う効能
・視野狭窄に陥らない。
・しなやかになる。不利な条件に陥っても絶望せず、次の展開を図ることができる。
・つねに冷静になってもう一つの選択肢・代替案を探ることができる。
・効率よく仕事ができる。仕事に無限定にのめり込むことがない。
・気持ちに余裕ができて、人の批判や助言を聞く耳を持つことができる。
・別の世界がありうるということを理解しつつ、今の仕事に一途に進むことができる。

 研究世界の話が中心だったが、政治やビジネスの世界にも通じそうだ。一途に仕事に取り組む。それはいい。しかし、「自分は何のために、この仕事をしているのか」と、〈大問題〉を心の中に保ちたい。そのために、「何が解ったら、解ったことになるのか」、つまり「私は自分の何を解決するために、この仕事に取り組んでいるのか」を自分に問いかけたい。〈大問題〉を心に問い、しっかり立てておくと、それと仕事の間の好循環を保つとともに、仕事の区切りを付けることができる。


 
 
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