ビジネススクール流知的武装講座 [241]

イキイキ社員をつくる
「個別人事」のススメ

 
 

日本企業では個別人事が中心であったが、
労働環境の変化でその有り様も変遷を辿っている。
企業構造の細分化や成果主義、ダイバーシティなどの観点から現在、
考えられる理想の人事を、筆者が検証する。

 
 

一橋大学大学院商学研究科教授
守島基博=文
東京都生まれ。慶應義塾大学文学部卒業、同大学院社会学研究科社会学専攻修士課程修了。イリノイ大学産業労使関係研究所博士課程修了。組織行動論・労使関係論・人的資源管理論でPh.D.を取得。2001年より一橋大学商学部勤務。著書に『人材マネジメント入門』『21世紀の“戦略型”人事部』などがある。

平良 徹=図版作成

 
 

人事部の真骨頂は
異動の場面における判断だった


 人材マネジメントの理想形は、個別人事である。つまり、一人ひとりの個性や適性、能力、希望などに合った人事を行う。それが最も望ましい。そんなことはとても無理だという声も聞こえよう。でも、実際、多くの企業で、経営に近い上層人材や、企業にとって絶対必要な専門性やスキルをもった人材については、個別人事を行っている。経営層、組織にとって最も重要な人材群については、これまでも個別人事だったのである。また、規模の小さい中堅・中小企業では、人材マネジメントは個別人事中心だった。
 もちろん、上層人材や中小企業に限らず、これまで多くの人にとっても、人事の個別性が最も如実に表れたのが、異動や配置転換の場面だった。一人ひとりをどこに動かすか、何が強みで、何が弱みか、また異動にともないどういう配慮をしておかないといけないか。人材を新しい仕事に配置する際には、与える仕事のチャレンジ度と、失敗のリスクの程度の判断が重要であり、それによって働く人の意欲のレベルや、部門の成果が大きく影響される。年一回異動の時期に、胃を壊す人事部長が多いのも、そうした緻密な配慮が要求されるからであろう。今、真っ只中にいる企業も多いかもしれない。人事部長殿、ご自愛のほどを。

 実は多くの企業で、異動の時期には、丁寧な、個に関する意思決定が繰り返されてきた。前にもこのコラムで書いたが、日本の人事部の真骨頂は、異動の場面における判断だったと言ってもよいだろう。多くの人事部門は、仕事の割り振り、プロジェクトリーダーの選抜、昇進など多様な意思決定を、個人の価値観、好き、嫌い、家族状況までを含んだ総合的な観点から行ってきたのである。丁寧な人材活用の仕組みが出来上がっていた。
 だが、こうした個別の人材マネジメントが行き届く範囲が現在狭まっているのも事実である。まず、環境要因として、事業部制やカンパニー制などによる企業構造の細分化は、社内での個別人材に関する情報の流通を妨げ、事業部門や現場には、社員についての情報を秘匿するインセンティブが出てきた。
 優秀な人材が人事部に知られると選抜によって、異動させられてしまうかもしれない。できる人は、できるだけ自分のところに置いておきたい。人材に関する情報は以前に比べて、質、量ともに格段に劣化した企業が多く、そのため個別的な判断がだんだん難しくなってきた。


成果主義の一つの帰結は
“分別人事”の進展


 またもう一つの影響は「成果主義」である。ただし、私は、「成果主義」という言葉を、人事用語としては用いていない。人事における評価・処遇制度の変化は確かに日本の人材マネジメントにおける大きな変化ではあったが、実は制度の変化としては中途半端である。むしろ、重要なのは、成果主義の影響が、単に制度の変更にとどまらなかった点だろう。いうなれば、経営の中における人材の位置づけや、人のマネジメントの仕方に関して、ある一定の変化を及ぼしたのである。
 そして、私は、成果主義の及ぼした変化として、「個別人事の進展」があったというのは正しくないと思っている。いわゆる人事用語としての成果主義という考え方は、一般的には人材の個別管理の推進であるように言われることが多い。一人ひとりの成果や企業への貢献を評価して、それに合わせた人材マネジメントを行う。それが成果主義だと言われてきた。

 実際に進んだのは、人材の“分別管理”である。つまり、選抜型の人事やリーダー層への傾斜投資など、“できる人”に多くの関心を払い、それ以外の人たちにはできるだけ効率的に行う人材マネジメントなのである。経営が意図的に、個別人事を行う範囲を狭めてきたともいえる。ハイパフォーマーについては多くの個別配慮を与え、それ以外の人材についてはマス管理をする。いわゆる成果主義の導入にともなって、タレント(優秀人材)とそうでない人の区別を明確にし、前者については個別人事、後者については集団的な管理を進めた企業が多いのではないだろうか。成果主義の一つの帰結は、“分別人事”の進展だったのである。
 ただ、同時期に、働くほうにも変化があった。いわゆるダイバーシティの増大である。また、それにともなって、「ダイバーシティ意識」と呼ぶものも台頭した。前者は、いうまでもなく人材多様性の増大であり、後者は、個性を大切にする人材マネジメントを企業に期待する意識の台頭である。

 もちろん、ダイバーシティの増大それ自体は悪いことではない。というか、ある意味では、必然である。無理やり人材の多様性を高めなくても、性別や年齢、国籍などではなく、その人のもつ能力や潜在可能性、あげてきた成果などに基づいて人材マネジメントを行えば自然と多様性は増大する。また、企業買収・経営統合、グローバル化も人材ダイバーシティを高める。
 ただ、ダイバーシティの増大によって個別人事が難しくなったのも事実である。個別人事というのは、一人ひとりの能力、適性、キャリアなどに合わせて行う人事である。当然だが、多様性が高まると、人事に関する意思決定で考慮すべき要素が幾何級数的に増加する。
 さらに、わが国の場合、ダイバーシティ増大は、外から見える多様性(いわゆる表層的ダイバーシティ)よりも、そこにコミュニケーションが介在しないと把握しにくい個人の仕事観やライフプランなどに関する多様性(深いダイバーシティ)である場合が多いため、さらに難しくなる。例えば、その人がもつキャリア目標や仕事についての考え方、プライドの源泉などの要素である。また最近では、キャリアだけではなく、ワークライフバランスに関する情報も大切になってきた。

 こうしたことは表面からはわからない。深い対話を通して、初めてわかる種類のダイバーシティである。しかし、ワークライフバランスへの関心が高まる中で、私が見る限り、多くの企業は驚くほど、従業員一人ひとりのワークとライフのバランスに関する考え方や、人生設計についての計画を把握していない。さらに、同時にダイバーシティが尊重されるべきだという意識(ダイバーシティ意識)も高くなってきた。こういう状況の中で、企業の中での人材に関する情報の流通はか細く途切れそうになっている。いうなれば個別人事への期待と必要性が高まる中で、働く人と経営の変化が、個別人事を難しくしているのである。
 ただ、ここでもう少し働く人について考えてみると、個別人事を通して、会社が自分のために人事を考えてくれているという感覚を働く人にもってもらうことができるとしたら、それはとても貴重なものである。自分は単なる数字ではない、一個の人材として会社や人事が考えてくれている。こうした感覚は、働く人を勇気づけ、働く意欲を高める。「人事や会社から見守られている」という感覚は、働く人の勇気の源泉になるだろう。


企業においては
個人的な喜びの確保も大切である


 私は今の人材マネジメントに必要なのは、個別人事を通して、働く人に、見守られているという感覚を呼び起こすことではないかと思っている。
 多くの人は、会社とは会社のロジックを追求する生き物であることは理解している。それでも経営が、成果や能力評価だけで人を判断するのではなく、自分の希望や適性をどこまで考慮しようとしてくれているか。その努力の姿勢があることで、見守られている感覚をもつのである。こういう人事を受けた人は、それが長期的な意欲の源泉となる可能性が高い。
 強調するが、このことは、働く人のことだけを考える、ということではない。働く人を大切にするということは、あくまでも企業経営の中で、人材として大切にするということであり、その人材を経営の中でどう効果的に活用するかという視点が不可欠なのである。 また、育成という視点で言えば、基本は、企業のためにその人をどう育てるかを常に考えつつ、同時にその人が望む成長やキャリアプランに対して一定の尊敬の念をもつことなのである。こうした考え方が個別人事の中核である。両者がないと、個別人事ではあっても、経営機能として成立しない。多くの企業がかつて行っていたこうした個別人事の努力が、衰退したり、一部の人に限定され始めたように思う。

 ポイントは、選抜された少数だけに限り、それ以外の人と境界線を引き、少数の人材について、個別人事を行うのではなく、どれだけ多くの人材について、個別人事を行い、見守られているという感覚を与えるかなのである。働く人の活性化のために求められるのは、個別人事の発想からの人材マネジメントだといえよう。そしてこうした作業の根底には、人材としての尊重がある。英語で言えば、リスペクトだから、敬意といってもいいかもしれない。
 言葉は難しいが、内容はシンプルである。なぜならば、人材には、経営のために存在する側面と、働く人のために存在する側面が、ともにあることを認識し、それに基づいて人材マネジメントを行うことが、人材の尊重だからだ。別の言い方をすれば、一人ひとりを単なる人的資源として活用しつつも、人として敬意を払い、そこを出発点として、企業の業績や成長と、その人の意欲や成長をどう両立させていけるかを考える姿勢が人材の尊重である。
 もちろん、経営体として働く人の視点と経営の方針がバランスしない場面も皆無ではないだろう。しかし、そうした状況は極限的である。また働く人の多くは、そうした状況があることも理解している。とはいえ平時であれば、また戦時であっても、多くの場面で、働く人の喜びと経営目標の達成を両方追求することが可能なのである。

 多くの人にとって、企業というのは、人生の多くの時間を過ごす場である。したがって、確かに経営に貢献することも大切だが、達成感、成長、満足感など、個人的な喜びを確保することも大切である。また、ワークとライフがバランスすることも大切だ。
 可能な限り、人の視点と経営の視点をバランスさせ、そのうえで人材マネジメントを行う。これがあって初めて人材マネジメントは、働く人を勇気づける個別人事になる。個別人事の基盤は、あくまでも人材の尊重なのである。今、働きがいやワークライフバランスなどが頻繁に話題にのぼる根底には、多くの企業での、こうした努力の衰退や、選抜された一部の人材への限定が見られる気がしてならない。
 あなたが働く企業はどうだろうか。


 
 
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