ビジネススクール流知的武装講座 [240]
売れない時代に必要なのは
理系脳か文系脳か
文科系と理科系では、そもそもの発想方法が異なると、
筆者は説く。過去の経営事例を紐解くとき、
その違いはどこに現れるのか、具体的な事例で検証する。
「科学的理解」と
「物語的理解」の違いとは
文科系と理科系。私たちは中学か高校か、若い頃に二つの方向のどちらかの道を選んだ。選んだといっても、「数学が嫌いだ」とか「古典が不得意だ」とかという些末な理由で選んだ方も少なくないと思う。しかし、今になって思うのだが、この分かれ道は私たちにとって、物事を考える発想の根本を決める分かれ道でもあったのかもしれない。
理科系の発想は、「現実の拠ってくるところの原因」を追究し明らかにしようとする発想だ。自然科学の世界にぴったり合うが、それが社会現実の把握や統制にも用いられる。ここではそれを「科学的理解の立場」と呼ぼう。
もう一つは、文科系の発想だ。それは、科学的理解を解きほぐして、当事者の理解に差し戻すことで見えてくるところの、「ほかにも、何か可能性がありえたかもしれない」という想像力が働くような現実理解の立場である。そうした「不可能でなく必然でない様相」は、哲学の世界では「偶有性」と呼ばれる。科学的理解に対比させて「物語的理解」と呼ぼう。
ここでは、科学的理解と物語的理解、この二つの発想を検討したい。1975年前後のある食品メーカーの流通革新のケースを導きの糸として、二つの立場の違いを浮き彫りにする。
スナック食品メーカーのカルビーは、優れた営業流通体制を構築していることで有名だ。何人かの論者が高い評価を与えている。嶋口充輝ほか編著『マーケティング優良企業の条件』(日本経済新聞出版社、2008年)や拙書『営業が変わる』(岩波アクティブ新書、04年)では、先進的な営業体制の特徴やそれが誕生した経緯について詳しく検討している。
売れた分だけ生産する実需対応の営業・生産体制、店頭起点の経営、店頭品質を中核とするプロセス・マネジメント、営業におけるマトリクス組織、営業情報基地設立……といった新機軸が、同社の体制の中で生み出されてきた。そうした革新の成果については、先の2冊の本で明らかにされているので、ここではその内実にまで遡っては検討しない。議論したい点は、そうした革新誕生の契機を、どう理解するかである。
同社が、営業革新に取り組み始めたのは、75年前後。その当時、「かっぱえびせん」で一躍全国メーカーとなった同社は、満を持してスナックの王様「ポテトチップス」の発売に踏み切った。ところが、そのポテトチップス、売れ行きは当初芳しくなかった。その原因を調べていくうちに、「消費者にポテトチップスの鮮度、品質に対する不信感があるのではないか」と考えるに至った。
カルビーの革新の要因を
どのように求めるべきか
その当時の加工食品には製造月日も付いていたりいなかったりで、製造後何カ月も経った商品が店頭に並ぶことはざらにあった。キャンディーやチョコレートならまだしも、ポテトチップスは違う。鮮度が落ち、油がまわってしまった状態のポテトチップスは、食べられたものではない。運悪くそれを食した消費者は、二度とポテトチップスに手を伸ばしはしない。同社においても、その当時、「店頭で埃をかぶって並べられているポテトチップス」に気づき、鮮度問題が重要な課題だと認識するに至ったというエピソードが残っている(小川進・松尾雅彦『カルビー戦略史』未刊行、09年)。
鮮度をポテトチップス事業の喫緊の課題と見定めたカルビーは、鮮度重視の供給体制づくりに邁進する。まず、営業担当から売り上げノルマをはずし、押し込み営業を禁止した。また、多頻度小ロットの取引を誘導すべく取引制度の改革を開始した。いずれも、当時としては画期的な施策だ。目指すところは、先に述べた実需体制、つまり売れた分だけつくる生産流通体制、そして店頭起点の経営である。
カルビーのこの取り組みの経緯は、下図に示すことができる。
ここで想定される経緯とは、「ポテトチップスの市場導入の失敗」「導入失敗の原因としての鮮度問題の識別」、その結果としての「鮮度管理概念の誕生」という因果的なものだ。商品鮮度が管理できていないという原因がまずあり、それが消費者の同商品に対する不人気を招き、そして売り上げ不振という結果につながったというのだ。原因がはっきりしていれば、原因を除去すればよい。
後は、鮮度管理という課題が実現できるかどうかだ。その成否は問題だが、そのことは置いておこう。確認したい点は、「原因があって結果がある。その基になる原因を押さえればよい」という理解、さらには「革新的概念は、ごく自然の道筋、あるいは当然やらなければならない必然の道筋の中で誕生した」という理解の是非にある。「その通り。経営には、何の不自然なこともない。雨が降れば傘をさすことです」という名経営者の言葉が聞こえてきそうだ。
だが、そうだろうか。
図に示すような関係は、原因と結果を一直線につないだ理解だ。同じ原因と結果をつなぐにしても、現実をさらに深く掘り下げれば、もっと曲線的な構図も見えてくる。次は、そうした理解の立場を見てみよう。
もう少し詳しく当時の資料を調べ、また当時の関係者に会ってあらためて話を聞くと、かなり違った風景が見えてくる。ここでは、簡単に概略だけ述べるに留めるが、同社の流通革新概念の誕生の経緯に関していくつかの興味深いエピソードが見つかる。
第一に、同社はみずから困難な道を選んでいることである。ポテトチップスといっても、タイプはいろいろ。現在のカルビーが商品化しているフラットタイプ、チップスターのような成型タイプ、そして棒状のシューストリングタイプがそれだ。同社は、導入に先立ってアメリカのアイダホを中心とする成型チップスの工場を視察に行ったり、シューストリングタイプの生産工場を買収したりしていた。だが、実際に選んだのは「フラットタイプ」だった。当時の松尾孝社長がそのタイプへのこだわりが強かったためといわれている。
選んだそのタイプは、いわばポテトを薄切りにして揚げただけのものであり、加工度としては一番低い。成型する工程や他成分と混ぜ合わせる工程はない。「農産物」といってもいいくらいの商品だ。松尾社長は、「工業品ではなく、農産物としてのポテトチップスを世に問いたい」と思われたのだろう。だが、そのタイプは、「農産物商品」であるので、素材がことのほか重要であるほか、商品鮮度維持にも特段の注意を払う必要のある商品であった。つまり、カルビーはみずから、ポテトチップスの中でももっとも鮮度が問題となるタイプの商品を選び取る決断をしていたのである。決して、売れなくなって初めて、「ポテトチップスは、鮮度が大事なのかも」と思い至ったわけではない。
第二に、流通改革は、新商品が導入される前にすでに喫緊の課題となっていて、それへの熱心な取り組みが行われていたことである。当時東京進出を果たし、激烈な価格破壊を図っていた「ダイエー」の存在が大きかった。時には消費者を引きつけるために、原価割れの販売も辞さないその商法に対して、消費財メーカーはどこも流通営業政策の大きい変更を迫られていた。カルビーも例外ではない。スナック業界トップ企業として、業界の先頭に立って価格/流通政策への新しい取り組みを迫られていた。そして、それに対応すべく、松尾孝社長の三男の松尾雅彦氏が営業本部長の要職に就き、氏の陣頭指揮の下、流通における乱売対策を含め新しい流通施策づくりに注力したのである。ポテトチップス導入前の74年には、取引条件の標準化を図るべく第一回となる取引条件改定を行っていたのだ。
第三に、72年に神戸市が製造日付の表示を市の条例として制定したことに対して、いち早く反応して、全製品に製造日付を入れたことがある。商品鮮度に対する同社の感度は、すでにして高かったのだ。
科学的理解が
可能性を消してしまうことも
第四に、鮮度が重要という考えのきっかけとなったといわれる、売れ行き不振に関しては、翌年タレントの藤谷美和子を起用した「100円でポテトチップスは買えますが、ポテトチップスで100円は買えません」のCMで一躍大ヒット商品へと変貌し、「店頭で埃をかぶった商品」を見ることもなくなっていた。商品の店頭回転率は、販促策の成功により大きく改善したのである。店頭の回転率が改善すれば、つくれば売れる状態になるわけで、鮮度問題も隠れてしまう。
鮮度管理概念の誕生においては、(1)意識して苦難の道を歩む先取りの選択、(2)先取りした流通革新の実施、(3)鮮度に対する高い感度、そして(4)当初の切実な問題を潜在化させる販促の成功があったのである。こうしたエピソードは、科学的理解が示すストーリー、「原因があって結果がある」というような、いわば出合い頭の話ではなく、いろいろな解釈が生まれそうな複雑なプロセスのありようを暗示している。こうした違いを反映して、たとえば、「ビジネスにおけるリーダーシップとは何か」という重要な質問に対する二つの発想の答えはたぶん違うだろう。
さて、「鮮度管理がなかったことが、販売不振を引き起こし、それを解決するために鮮度管理体制を構築した」というのが、鮮度管理概念の誕生についての科学的理解。だが、その理解では、当時関わった方々のさまざまな思いや目論見、あるいは先行する諸策や後に続く諸策への考慮には及ばない。当たり前といえば当たり前だが、科学的理解においてはいろいろありえたはずの可能性を汲みあげる志向はない。時には、単純化のために大きいデフォルメの機制も働く。そこに、現実の中に潜在する「ほかでもありえた」可能性を組み込み、現実を深い深度で理解しようというもう一つの立場の意義がある。
理科系発想と文科系発想、科学的理解と物語的理解。どちらが優れているというものではない。ここでは、ビジネスの世界で支配的な理科系発想が現実理解の唯一の方法ではないこと、隅に追いやられてしまいがちな文科系発想は、科学的理解の及ばない射程を秘めていること、このことをここでは確認しておきたい。物語的理解が経営実践に持つ意義については、機会をあらためたい。
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