ビジネススクール流知的武装講座 [238]

ここがおかしい!
日本政府の情報伝達

 
 

昨年11月に発表された政府の「デフレ宣言」。
重大な政府見解の発表として果たして的確だったのか。
政府、中央銀行にとってのコミュニケーションの本質を探りながら、
情報伝達のあり方について考察する。

 
 

一橋大学大学院商学研究科教授
小川英治=文
1957年、北海道生まれ。一橋大学商学部卒業、一橋大学大学院商学研究科博士課程単位修得、商学博士。88年より同大学商学部勤務。ハーバード大学(86~88年)、カリフォルニア大学バークレー校(92~93年)でvisiting scholar。著書・訳書に『国際通貨システムの安定性』『金融経済入門』『金融リスク管理戦略』などがある。

平良 徹=図版作成

 
 

搭乗手続き中止を
一方的に告げた某航空会社


 昨年の暮れ、羽田空港から千歳空港に向かうため、某航空会社の飛行機に乗ろうとして、羽田空港のチェックイン・カウンターに着いたときに、「搭乗手続きを一時中止しています」というアナウンスが流れていた。そのアナウンスは、なぜ、搭乗手続きを一時中止しているのか、今後、どのような措置がとられるのかということについては、まったく言及されずに、何とも不親切なアナウンスがおよそ15分おきに何度か流れた。結局、乗客たちは苛立ちを隠すことなく、某航空会社のチェックイン・カウンターの前に待たされること2時間。その後ようやく機材不良のために他の機材に変更されて、羽田空港を出発した。
 このようなアナウンスがなぜ不親切かというと、某航空会社が、「搭乗手続きを一時中止しています」という情報を一方的に乗客に繰り返し流すだけで、乗客に十分な情報伝達(コミュニケーション)を行おうという姿勢が見られないからである。その場は、別の航空会社の航空券を購入して、某航空会社との共同運航便を選択した自分が不運だったと諦めたが、別の場所で「コミュニケーション」の重要性が議論される場面に遭遇した。

 その別の場所とは、年が明けて、正月にアトランタで開催されたアメリカ経済学会年次大会における「中央銀行コミュニケーションの役割:危機時における期待と金融市場の反応」というタイトルの付いたセッションであった。そのセッションでは、欧州中央銀行、オランダ中央銀行、サンフランシスコ連銀のエコノミストと大学の学者が中央銀行と市場参加者や公衆とのコミュニケーションについて、論文を発表して、議論が行われた。
 中央銀行が市場参加者とコミュニケーションをとる理由は、金融政策スタンスの変更などのシグナルを市場参加者に送ることによって市場参加者の行動に直接に影響を及ぼしたり、あるいは、市場参加者の耳に入る雑音を小さくしたりして、金融政策の実効性を高めることにある。一方、公衆に対しては、金融政策のスタンスを知らしめて、公衆の抱くインフレ予想に影響を及ぼすことを通じて、金融政策の実効性を高めることがある。公衆がインフレ予想を抱くと、賃金・価格の上昇を要求し、受け入れやすくなるために実際にインフレを引き起こすという自己実現的予想がインフレを加速するからである(インフレ・スパイラルと呼ばれる)。さらには、中央銀行には公衆に対して中央銀行の独立性の正当性に関する説明責任(アカウンタビリティ)があることから、公衆へのコミュニケーションが必要となる。

 振り返って某航空会社の場合には、出発便の遅れに関して乗客へのアカウンタビリティが果たされていなかった。より重要な問題であるが、今後どのような措置がとられるのかという情報が提供されなかったことが、乗客たちを大いに苛立たせた。待たされている乗客にとって、「搭乗手続きを一時中止しています」という状況は、そのアナウンスを一度聞けば、既知のことである。むしろ、関心事は、今後、どのような措置がとられるのかということである。これらの情報を提供しなければ、アナウンスは意味を持たない。

 閑話休題。
 政府は、昨年の11月20日に発表した「月例経済報告」において、持続的な物価下落という意味において、緩やかなデフレ状況にあるとして、いわゆる「デフレ宣言」を行った。その「月例経済報告」によれば、「消費者物価の基調を『生鮮食品、石油製品およびその他特殊要因を除く総合』(いわゆる『コアコア』)で見ると、緩やかな下落が続いている。9月は、季節調整済み前月比で0.1%下落した。『生鮮食品を除く総合』(いわゆる『コア』)は、緩やかな下落傾向で推移している」こと、さらには、「先行きについては、消費者物価(コアコア)は、引き続き緩やかな下落傾向で推移すると見込まれる」ことを根拠として、「デフレ宣言」を行ったのである。


消費者物価指数が
低下し続けているのは日本だけ


 政府は、この「デフレ宣言」を行うことによって、どんな情報を伝達したかったのだろうか。あるいは、将来の何らかのデフレに対する政策対応を行うことを示唆するという「シグナル」を公衆に送りたかったのであろうか。政府から何らデフレに対する政策対応が示されないまま、その「デフレ宣言」を聞いた公衆は、「so what?(それで、何?)」と政府に尋ね返したくなったことであろう。
 ここで留意したいことは、政府が「月例経済報告」で「デフレ」について言及したときに、その定義は「持続的な物価下落」を意味することである。「持続的な物価下落」の中の「物価」は「消費者物価」を意味している。より厳密には、「月例経済報告」の中で消費者物価のうちの「生鮮食品、石油製品およびその他特殊要因を除く総合」(いわゆる「コアコア」)および「生鮮食品を除く総合」(いわゆる「コア」)に言及されているので、政府はこれらの「コアコア」および「コア」の消費者物価に注目しているとわかる。


 実際のデータを見ると、政府の考える「持続的な」時間の長さを推し量ることができる。2000年1月から09年11月までの消費者物価指数の推移が図1に示されている。07年2月から08年9月にかけて上昇していた消費者物価指数が、リーマン・ブラザーズが経営破綻した08年9月以降、低下傾向にあることがわかる。問題の「月例経済報告」で言及されたのは09年9月における物価下落であることから、08年9月から09年9月までにおける消費者物価指数の低下傾向が問題となった。つまり政府の考える「持続的な」時間の長さは、およそ1年間ということになる。

 図2には、主要国のインフレ率と比較するために、アメリカ、ユーロ圏、イギリス、中国とともに日本の消費者物価指数の対前年同月比が図示されている。日本のインフレ率を諸外国のインフレ率と比較すると、日本以外のインフレ率が09年半ばより反転するとともに、09年11月には消費者物価指数変化率がマイナスからプラスに転じている。アメリカにおいては、09年3月より対前年同月比で消費者物価指数変化率がマイナスとなっていたが、09年11月に1.8%のインフレ率となり、消費者物価指数変化率がプラスに転じている。ユーロ圏においては、09年6月より対前年同月比で消費者物価指数変化率がマイナスとなっていたが、09年11月に0.5%のインフレ率となり、消費者物価指数変化率がプラスに転じている。中国においても、09年2月より対前年同月比で消費者物価指数変化率がマイナスとなっていたが、09年11月に0.6%のインフレ率となり、消費者物価指数変化率がプラスに転じている。また、世界金融危機の影響を大きく受けたイギリスにおいては、一貫して消費者物価指数変化率がプラスである。これらに対して、日本のみが消費者物価指数が09年3月より対前年同月比で低下し続けている。


「デフレ宣言」は金融緩和政策への
シグナルだったのか


 このように、日本のみが消費者物価水準の下落が続いていることもあり、政府は「デフレ宣言」を行い、「持続的な物価下落」を止めるための何らかの措置をとることを示すための「シグナル」を公衆に送りたかったのであろうと期待したくなる。まさか、デフレに対する政策対応を示さずに、日本経済が「デフレ」、すなわち「持続的な物価下落」に陥っていますということだけを公衆に知らせようとしたわけではないであろう。もしそうだとすると、政策対応が示されない「デフレ宣言」は、デフレの自己実現的予想を通じてデフレ・スパイラルを引き起こしかねない。実際に「デフレ宣言」によってデフレ・スパイラルが始まったという見方もある。すなわち、公衆がデフレ予想を抱くと、賃金・価格の下落を要求し、受け入れやすくなるために実際にデフレを引き起こすという自己実現的予想がデフレを加速することになる。
 むしろ政府の「デフレ宣言」は、公衆へのコミュニケーションというよりは、日本銀行へのコミュニケーションだったのではないかと疑いたくなる。日本銀行は、政府の「デフレ宣言」に呼応するかのように、11月20日の政策決定会合後の白川方明総裁の記者会見において、政府の「デフレ宣言」を追認した。そして、12月1日には、新しい資金供給手段の導入によって、三カ月というやや長めの期間、金利を0.1%という超低金利への低下を促すことを通じて、金融緩和の一段の強化を図ることを決定した。

 さらに、日本銀行は、09年12月18日に公表した「『中長期的な物価安定の理解』の明確化」において、「金融政策運営に当たり、各政策委員が、中長期的に見て物価が安定していると理解する物価上昇」について、これまでの「0~2%程度の範囲内にあり、委員ごとの中心値は、大勢として、1%程度となっている」というものから、「消費者物価指数の前年比で2%以下のプラスの領域にあり、委員の大勢は1%程度を中心と考えている」というものへ変更した。すなわち、この公表によって、日本銀行が「0%以下のマイナスの値は許容していない」ことを明確化した。したがって、日本経済が「持続的な物価下落」のデフレに陥っているなか、「0%以下のマイナスの値は許容していない」ことを明確化したことによって、日本銀行は、より一層の金融緩和政策に向かうというシグナルを送ったことになる。
 政府による「デフレ宣言」は、日本銀行により一層の金融緩和政策をとるようにシグナルを送っただけだったのであろうか。それは、まるで某航空会社による「搭乗手続きを一時中止しています」というアナウンスが、他の航空会社に対して「フライトの振り替えの乗客がそちらに向かうので、用意しておいてください」というシグナルを送っているかのようである。むしろ公衆は政府から今後のデフレ対策に関するコミュニケーションを待ち望んでいる。

 
 
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