ビジネススクール流知的武装講座 [237]

雇用・労働の転換期!
「エンパワーメント」の三つの提言

 
 

労働者保護の政策と労働市場の規制緩和に折り合いをつけ、
新たな雇用政策の枠組みをつくることが求められている。
筆者は働く人の「エンパワーメント」に基づく施策が必要であるとし、
そのポイントを指摘する。

 
 

一橋大学大学院商学研究科教授
守島基博=文
東京都生まれ。慶應義塾大学文学部卒業、同大学院社会学研究科社会学専攻修士課程修了。イリノイ大学産業労使関係研究所博士課程修了。組織行動論・労使関係論・人的資源管理論でPh.D.を取得。2001年より一橋大学商学部勤務。
著書に『人材マネジメント入門』『21世紀の“戦略型”人事部』などがある。

平良 徹=図版作成

 
 

労働政策の基本概念
「エンパワーメント」の本来の意味とは


 2010年の幕があいた。と同時に、鳩山政権になって3カ月以上がすぎている。大いに不満である。新政権の雇用や労働に関する基本戦略が全く見えてこないことに大きな不満と焦りを感じるのである。
 今、雇用と労働の世界は、大きな転換が求められている。なかでも重要なのは、戦後ずっと続いてきた労働者保護の政策と、ここしばらく進んできた労働市場の規制緩和に折り合いをつけ、新たな時代の雇用政策の枠組みをつくることが必要な時期に入っていると思われるが、こうした動きが全く見えてこないのである。
 このままいくと、労働団体などが求める労働者保護政策に落ち着く可能性がある。もちろん、小泉政権以来の規制緩和には、修正すべき点が多いし、派遣労働者など、いわゆる非正規雇用のもとで働く人に関して、ある程度の規制強化も必要だと考えるが、グランドデザインや基本概念なしで進むことに危惧を覚えるのである。

 私は、今後の労働政策の基本概念は、働く人の「エンパワーメント」だと考えている。エンパワーメントという言葉は誤解されて使われることが多い用語である。よく「権限委譲」や「仕事を任せる」ことと混同される。残念なことに、経営学辞典を見ても、「現場の社員の裁量を拡大する」などの単純な定義がある。
 だが、本来、エンパワーメントとは、文字どおり「パワーを与える」ことなのである。自律的に目標が達成できるようになるための支援といってもよい。そのためには、権限を与えたり、自由度を高めたりするだけではだめだ。選択肢を増やしても、課題を実行するための資源や能力が備わっていないと、結局は失敗に終わる可能性が高い。その結果、権限委譲や選択肢の提供は失敗だったということになり、施策自体が中止されることもある。

 経営学の世界では、クリストファー・バートレットとスマントラ・ゴシャールという著名な経営学者が、『個を活かす企業──自己変革を続ける組織の条件』(ダイヤモンド社、新装版、07年)において、エンパワーメントがうまく機能する条件として、(1)情報や資金などの戦略的資源の提供、(2)従業員が自分で自分を規律づけるための仕組みの整備、(3)従業員がストレッチするための環境整備(能力開発やチャレンジなど)、そして(4)経営者への信頼をあげている。また、こうした要素を伴ったエンパワーメントをリアルエンパワーメント(真のエンパワーメント)と呼び、単なる「あなたにはパワーがある」と呼びかけるだけの、心理的エンパワーメントと区別する研究者もいる。


必要なのは
自分のスキルを磨く投資への支援


 いうなれば、働く人に、自律的に判断し、行動できるためのパワーを与えるというのが、エンパワーメントである。その意味で、労働政策に当てはめた場合、一層の規制緩和がまず必要だ。働く人が自ら選択し、行動できるための自由の拡大が必要なのである。実際にここしばらくの規制緩和によって、労働者の選択肢は拡大されてきた。たとえば、昨今は、望ましくない働き方ナンバー1かのように扱われる派遣労働も、多くの人にとっては、自らのライフスタイルに合った働き方を選択する自由度を提供した。様々な理由で正規労働の窮屈さを受け入れがたい人材にとって、派遣労働はこれまでになかった選択肢を与えたのである。
 だが、問題はそうした選択肢の拡大に、働く人への資源提供が伴ってきたのかという点にある。真のエンパワーメントのためには、働く人が行動するための資源の提供が必要であり、具体的には、能力(育成、ある程度の指示等)や資源(情報、時間など)、公平な競争の機会などを含め、多くの資源が必要である。

 たとえば、派遣労働についていえば、多くの研究が、派遣労働者については、働き方の自由度は提供されていても、教育やスキルアップの機会が極めて少ないことを指摘している(たとえば、佐藤博樹・松浦民恵・島貫智行・高橋康二・中道麻子『派遣という働き方を通じたキャリア形成──事務職、コールセンター・オペレーター、技術者、営業職』東京大学社会科学研究所人材ビジネス研究寄付部門研究シリーズNo.14、09年7月)。派遣は真のエンパワーメントのための資源が提供されにくい働き方なのである。
 そこで政府の役割が重要になる。派遣労働者のスキルアップ、キャリア開発という問題は、ようやく最近になって議論されるようになった。働く人のエンパワーメントがその人の能力レベルに依存する度合いが高い以上、政策として重要なのは、派遣労働者の保護強化ではなく、こうしたタイプの人材がスキルアップの機会を得られるための支援である。

 エンパワーメントコンセプトに基づく労働政策は、働く人の自由度を拡大しつつ、同時に支援を強化するという面をもつのである。そうした意味で、これまでの働く人保護か、規制緩和かというパラダイム対立とは異なる基盤に立つ。
 したがって、働く人のエンパワーメントという意味では、今後、労働市場の規制緩和を進めるとともに、どういう支援を働く人に提供していくかが、大きなポイントであると考えられる。ここでは3点を指摘したい。ちなみに、この3つは、特に新しいことではなく、すでにほかの研究者によっても同様の指摘がされている(たとえば、鶴光太郎・樋口美雄・水町勇一郎編著『労働市場制度改革』日本評論社、09年)。

 まず第一に重要なのが、企業内人材育成および、働く人の自らの能力開発への支援強化である。働く人のエンパワーメントという意味では能力開発が最も大きな役割を演じる。
 ただ、この連載で何回も指摘してきたように、働く人の能力開発に関するノウハウという意味では、企業の中にもっとも多くの蓄積がある。戦後日本の社会は、雇用のための人材開発において、企業による育成に大きく依存してきており、逆に、私が所属するような教育機関は、基礎学力の整備という意味での貢献にとどまってきたのである。この体制が変化するとしても、今後も蓄積が多い企業内での能力開発のノウハウを活かすことが大切であろう。企業内能力開発の維持と発展のための政策的な支援が重要である。これなしでは、日本の職業的能力開発は明らかに滞る。
 だが、同時に能力開発の責任を企業から個人へ移管する動きも目立っている。コスト削減圧力のもとで、企業が育成に対する投資を少なくしているのだ。また、すでに述べたように、非正規人材が企業内育成から取り残されるケースも増えてきた。さらに非正規従業員だけではなく、選抜型育成の普及などにより、正規従業員のなかでも育成機会を享受できる人とそうでない人が区別されてきた。
 したがって、働く人のエンパワーメントのためには、もう一つの面として、自己による能力開発を支援することが必要である。税制面での工夫もあるだろう。また、労働時間面での工夫もあるかもしれない。また場合によっては、ある程度強制的に、自己能力アップの機会を受けなくてはならない仕組みをつくる必要もあるのではないかと考えている。いずれにしても、働く人が自分で自分のスキルを磨いていく投資への支援が必要である。


正規従業員への規制緩和で
格差固定化を防ぐ


 第二が労働市場の流動化促進である。特に仕事や企業に関する情報面での整備が必要だ。なかでも、仕事に関する情報の整備は多くの場面で指摘される。いわゆるマッチング精度の向上のためである。
 だが、マッチングという意味では、さらに大きなポイントは、会社とのマッチングである。多くの人が、会社についての情報が乏しいなかで、仕事に関する情報だけで転職することに不安を覚えている。また、2回目、3回目の転職は、仕事とのミスマッチではなく、会社とのミスマッチが大きいという研究結果も報告されている。

 こうした情報開示のためには、前々回議論した「従業員視点からの企業価値評価」の仕組みの開発が必要である。こうした仕組みは、その企業での働きがいや働きやすさを評価するものであり、企業とのミスマッチを防ぐ効果がある。さらに、大企業との比較で、人材獲得が難しい中堅中小企業において、よりよい人材の確保へと結びつく可能性があるだろう。
 半面、こうした情報開示は、転職の誘因となり、企業としては働く人のリテンションが難しいという反論もありうる。でもそれは避けられないことだし、また望ましいことでもある。なぜならば、こうした仕組みによって、働く人がさらにエンパワーメントされ、人材活用や獲得における企業間の競争が起きれば、各企業でいい人材マネジメントへと変革するきっかけとなるかもしれないからである。

 そして、第三が、雇用契約の見直しである。具体的にいえば、競争によって人材入れ替えを促進する契約の仕組みである。正規従業員に関する規制緩和だともいえよう。見方によっては、働く人にとって厳しさが増す仕組みである。
 だが、今のように正規労働者と非正規労働者の区別、正規労働者のなかでもいい企業に就職した人とそうでない人が、キャリアを通じて、大きく区別される状況で、格差を少なくするための有効な方法なのである。格差というのは、固定化を防ぐことが何よりも大切であり、固定化を防ぐには、公正な競争を起こすことも重要な一つのやり方である。そのためには、正社員の雇用パターンの改革を行わざるをえない。また、同時にそれは、大きくストレッチする機会を与えるという意味で、働く人のエンパワーメントになる。前述したバートレットらをもち出すまでもなく、自らに力をつけるためには、ストレッチを繰り返す必要があるのだ。もちろん、今の正社員がストレッチしていないというつもりはない。皆ぎりぎりまで働いているのだ。

 ただ、長時間労働やノルマを達成するためのストレッチではなく、自らの能力を開発し、その成果が公正に評価されるという自然な競争によるストレッチが、労働市場全体でもっと促進されるような改革が必要である。一筋縄ではいかないことはよくわかっている。また、私自身を含めて、誰もが安泰を好むことも理解している。でも、私には、こうした労働市場における公正な能力開発競争を支援していかないと、いずれは、格差が固定的になりすぎて、誰も意欲がわかない社会になってしまうという危機感がある。
 いうなれば、エンパワーメントに基づく労働政策は、企業だけではなく、働く人もある程度の努力をすることで、強くなろうと考える仕組みである。これまでのような弱い労働者を保護することで、逆に働く人からパワーと選択肢を奪うという流れは断ち切る必要があるのである。
 あくまでも私見である。ただ、こうした議論を始める時期にきているにもかかわらず、議論さえも始めようとしない新政権に私は不満なのである。

 
 
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