ビジネススクール流知的武装講座 [234]

金融取引課税「トービン税」は世界経済の劇薬である

 
 

11月7日のG20財務大臣・中央銀行総裁会議で
英国ブラウン首相が金融取引課税である「トービン税」を提唱した。
筆者はその長所と短所を明らかにし、デメリットのほうが多い課税であると説く。

 
 

一橋大学大学院商学研究科教授
小川英治=文
text by Eiji Ogawa
1957年、北海道生まれ。一橋大学商学部卒業、一橋大学大学院商学研究科博士課程単位修得、商学博士。88年より同大学商学部勤務。ハーバード大学(86~88年)、カリフォルニア大学バークレー校(92~93年)でvisiting scholar。著書・訳書に『国際通貨システムの安定性』『金融経済入門』『金融リスク管理戦略』などがある

 
 

危機対応から
「持続可能かつ均衡ある成長」への移行


 11月7日にイギリス・スコットランドのセントアンドリュースにおいて開かれていたG20財務大臣・中央銀行総裁会議が閉幕した。そこでは、世界金融危機および世界同時不況からの回復を目指して、国際的な政策協調の必要性が再確認され、それを実現するために、「強固で持続可能かつ均衡ある成長のためのG20の枠組み」を導入することが合意された。そして、その「枠組み」づくりのための工程表が提示され、次のような段取りで、この新しい相互評価の協議プロセスを開始することとなったことが共同声明において発表されている。

 まず、2010年1月末までに、G20各国・地域(欧州連合〈EU〉の代表としての欧州委員会およびユーロ圏の中央銀行としての欧州中央銀行〈ECB〉が「地域」とみなされる)の財務大臣・中央銀行総裁がそれぞれの政策枠組みと政策運営の計画と今後の経済予測を提示する。そして、10年4月に、制度的な取り決めを考慮しつつ、G20各国・地域のそれぞれの政策と共通の政策目標との間の整合性に関して、協調的に相互評価を実施するプロセスの最初の局面に入る。
 10年6月の次回サミットにおいては、首脳が検討すべき政策目標を達成するための政策オプションを作成する。協調的な相互評価プロセスを経て、10年11月のサミットにおいて、その相互評価を再検討し、より詳細な政策提言を作成することとしている。

 共同声明の中でも指摘されているように、このような政策枠組みを活用するに際して、最初に直面する課題は、どのように現在の危機対応から長期的目標である「強固でより持続可能かつ均衡ある成長」へ移行するかである。またこれらが、持続可能な財政、物価の安定、安定的・効率的・強靭な金融システム、雇用創出、貧困削減という政策目標と整合的かどうかである。経済危機からの回復が確保されるまで経済を支援し続ける一方、危機対応のためのマクロ経済支援策および金融支援策をどのようなタイミングで終息させるか、いわゆる出口戦略が問題となる。
 また、G20財務大臣・中央銀行総裁会議においては、世界的な金融システムを世界金融危機から回復させ、そして、さらに将来の金融危機に対するために、金融安定化理事会(FSB)と協働して、改革プログラムを推進することが合意された。特に、金融機関の健全性のための規制を強化するため、バーゼル委員会が10年末までに金融機関の健全性基準を策定することとなっている。そして、12年末までを目途として、金融情勢が改善し、景気回復が確実になった時点で、金融機関の健全性のための規制強化を段階的に実施する。また、金融監督当局から、必要に応じて資本増強のための方策を金融機関に求めることも検討されている。


「他国がわれわれと一緒に動かなければ、
英国は動かない」


 このような議論の中で、イギリスのブラウン首相が、国際的な金融機関の破綻に備えて、国際的な仕組みを構築することの必要性を説いた。国際的な仕組みの提案の中には、破綻処理ファンドや自己資本規制強化や国際的な金融取引課税などが含まれている。とりわけ、国際的な金融取引課税の提案は、ノーベル経済学賞受賞者の、アメリカの経済学者であるジェームズ・トービンが、今から37年前の1972年にプリンストン大学でのジェーンウェイ講義において提案した通貨取引課税と類似するものなので、トービン税の導入ということで、マスコミに大きく取り上げられた。

 トービン税と呼ばれた通貨取引課税は、1日に何度でも取引するデイトレーダーのような投機家による投機目的の外国為替取引を抑制するために、その取引に対して一定率の課税をしようというものである。それは、車輪とレールとの間に砂を撒いて、摩擦を高めて、車輪の滑りを抑制しようとすることになぞらえられる。通貨取引課税を導入することによって、通貨取引の回数を減らし、為替相場の乱高下を抑制しようというものである。ブラウン首相が提案する国際的な金融取引課税も、投機目的の取引を抑制することに加えて、そこで得られた税収を、国際的な金融機関の破綻に備える資金源にしようという、一石二鳥をめざしたものである。

 一方、取れるところから取ろうという発想の下に、本来のトービン税の目的である投機抑制効果よりもむしろ、地球温暖化対策の資金調達手段として、地球環境税の一つとして通貨取引税の導入がEUの一部の国で検討されてきた。特に、域内においても外国為替取引のないユーロ圏を有するEUにおいては、域外との通貨取引に対して課税するという、通貨取引税が議論されている。ユーロ圏にとっては、その域内の取引においては外国為替取引が必要なく、域外との国際経済取引においてのみ外国為替取引が伴うことから、それほどの負担ではないというものである。

 投機抑制を目的としたトービン税を、投機とは関係ない地球環境のために利用しようという「目的外使用」であることは否めない。日本においても、環境省が地球環境税等研究会において、地球温暖化対策の資金調達手段としてトービン税を発展させた、トービン・シュパーン税、通貨取引開発税、国際通貨取引税などが検討された経緯がある。
 G20財務大臣・中央銀行総裁会議においては、このブラウン首相による国際的な金融取引課税に関する提案は、必ずしもすべての参加者から賛同を受けたわけではなかった。とりわけ、アメリカのガイトナー財務長官は、「日々の金融取引税は支持する用意のあるものではない」と発言して、「とどめの一撃を加えた」と、ファイナンシャル・タイムズ紙は報じている。さらに、ガイトナー財務長官は、このような国際的な金融取引税が支持される条件の一つが、「他国がわれわれと一緒に動かなければ、英国は動かないであろう」と言ったことから、「問題は終わった」とも同紙に報じられている。

 この「他国がわれわれと一緒に動かなければ、英国は動かないであろう」という発言は、まさしくトービン税が37年前にトービンによって提案されて、長い時間を経ても実現することのできない最大の理由となっている。
 トービン自身も指摘しているトービン税に関する問題点が二つある。その一つは、前述したガイトナー財務長官の発言と関係する。そもそも金融取引や通貨取引は、貿易取引とは異なり、船舶や飛行機で輸送するというような費用はかからない。トービン税が提案された70年代から指摘されていたことであるが、とりわけ、情報通信技術が急速に進展した現代の情報化社会においては、極めて低い費用で、無限大のスピードで、換言すれば、一瞬のうちに地球の裏側に送金することができることから、金融取引や通貨取引に関する物理的な取引費用は極めて低い。


トービン税課税国の金融機関は撤退、
タックス・ヘイブンへ


 そのような状況の中で、世界中のすべての国や地域で一律に同率のトービン税を課税することができれば、どの国や地域を経由した金融取引や通貨取引に対しても同率のトービン税が課されることによって、資金移動に歪みをもたらすことはない。
 しかしながら、実際には、税金を免除することによって金融機関を誘致する国(ルクセンブルクなど)や地域(ケイマン諸島など)、いわゆるタックス・ヘイブン(租税回避地)が存在している。このような租税回避地が存在するなか、一部の国だけで金融取引や通貨取引に対してトービン税を課すと、資金は、これらのタックス・ヘイブンを経由することになり、資金移動に歪みが発生することになる。

 より具体的に言えば、トービン税を課した国の金融機関や金融市場や取引所における金融取引や通貨取引の取引費用が高まり、それが相対的に非効率的かつ不利となることから、それらの国々から金融機関や金融市場や取引所が撤退して、タックス・ヘイブンへ移ってしまうことになる。
 そのようなことが起こることが十分に予想されるなか、どの国の金融監督当局が率先して、トービン税を導入するのかという疑問が起こる。タックス・ヘイブン(タックス・ヘイブンがトービン税を課することは定義上、矛盾しているものの)も含めて、すべての国・地域がトービン税を導入するのであれば、各国政府はそれぞれにトービン税を導入することも考えるであろうが、そのような協調が取られるのは困難であると言われている。


トービン税を回避するための
「いたちごっこ」とは


 ゲーム理論においては、このような状況は「協調の失敗」と呼ばれる。このことが、まさしくガイトナー財務長官が発言した「他国がわれわれと一緒に動かなければ、英国は動かないであろう」ということである。
 トービンが指摘したもう一つの問題点は、金融監督当局がトービン税の課税対象となる金融取引や通貨取引を決めても、トービン税を回避するためにその対象外の金融取引や通貨取引、さらには、他の代替的な金融商品取引が開発されてしまうということである。そうなれば、金融監督当局はそれを追いかけて、さらに課税対象を広げるというような「いたちごっこ」が始まってしまう。このような「いたちごっこ」は、金融監督の仕事を増やしたいという金融監督当局(そのような金融監督当局はないと信じるが)にはよろしいかもしれないが、経済は確実に非効率的になっていく。悪いことに、経済が非効率化したとしても、トービン税の税収は確保できないということになりかねない。

 何らかの規制や課税をしても、経済になんら影響せず、無駄だったというだけであれば、(日本の現政権の「事業仕分け」の対象となるかもしれないが)経済学的にはまだ許せるかもしれない。しかし、トービン税の場合には、期待した効果が上がらないにもかかわらず、資金移動の歪みを生じさせるとか、経済を非効率化させるとか、デメリットのほうが大きいことから、問題点が多い。このように、トービン税が問題の多い課税であることは、この37年間に議論されてきたところではあるが、そのことを再認識する必要があろう。

 
 
PRESIDENT 2009年12.14号
PRESIDENT 2009年12.14号
税込価格 750 円
売り切れ
 
PRESIDENT公式twitterアカウント

メールマガジン <プレジデントニュース>

 
 

「プレジデント」編集部員による取材現場でのこぼれ話やビジネスマンに役立つオリジナルコンテンツ、新刊書籍案内などを、週1回のペースでお送りいたします。

メールマガジン申込・登録変更