ビジネススクール流知的武装講座 [233]

「働きやすさ」と「働きがい」は
どこが違うのか

 
 

働く人が転職先を選ぶ際、選択基準として「働きがい」より
「働きやすさ」が重視される傾向にあるという。
これらを確保するには、企業と働く人が
ともにつくりこんでいくことが必要であると筆者は説く。

 
 

一橋大学大学院商学研究科教授
守島基博=文
text by Motohiro Morishima
 東京都生まれ。慶應義塾大学文学部卒業、同大学院社会学研究科社会学専攻修士課程修了。イリノイ大学産業労使関係研究所博士課程修了。組織行動論・労使関係論・人的資源管理論でPh.D.を取得。2001年より一橋大学商学部勤務。著書に『人材マネジメント入門』『21世紀の“戦略型”人事部』などがある。

平良 徹=図版作成

 
 

なぜ企業にとって
「働きやすさ」の提供は難しいのか


 もう一回、働きがい、働きやすさの議論にお付き合いいただきたい。
 現在、働く人の意識のうえで、企業を選ぶ際に、働きやすさを重視するようになっているようだ。やや古いが転職支援会社のエン・ジャパンが2008年4、5月に行ったインターネット調査によれば、転職先を選ぶ際に、働きやすさと働きがいのどちらを重視するかを選択してもらったところ、働きやすさを選択する割合が、働きがいを選択する割合よりわずかだが多く、回答者約730名のうち、54%であった。この傾向は、働き盛りの30代、40代でも変わらず(おのおの57%と54%)、ようやく50代になって初めて48%に低下する。
 私としては、人生の後半にさしかかった50代において、逆に働きやすさが多くなってもいいような気もするのだが、いずれにしても、企業の選択基準として働きやすさは、若手から中堅まで大きな位置を占めるようだ。
 また、働きやすさと必ずしも同じではないが、転職先を検討する際、ワークライフバランスを考慮すると答えた割合も、87%である。考慮するポイントとしては、「休日休暇」(82%)と「労働時間(残業時間)」(78%)に回答が集中した。

 ただ、こうした状況に企業が困惑しているのも事実だ。どんなにワークライフバランスが主張されても、また働く人がそれによって転職をしたとしても、いまだに企業が、そうした働きやすさを提供するのは難しいようだからだ。
 なぜなのだろうか。私はこの背景には、ある一つの要素があるように思う。それは、企業がここしばらく、働きやすさという評価基準を無視して、仕事や職場の合理化を進めてきたことである。合理化とは、別の言い方をすれば、職務や職場の効率アップである。
 いうまでもないことだが、働きやすさはその多くが職務のもつ特徴や、職場での働き方(働かされ方)に依存する。仕事が、労働時間や勤務の場所、勤務形態などについて、働きにくい特徴をもっていたら、当然働きやすさは低下する。また職場も同様で、例えば、人員が必要最低限しかいない職場は、それだけ、一人ひとりの個別事情に対応する余裕がないだろう。そういうとき、働く人は、働きにくさを感じる。
 働く人が働きやすさを認識したり、しなかったりすることに関わる本質的な要素の一つが、仕事の内容と職場の状況なのである。いや、それが一番大きいかもしれない。たとえ、最新のインテリジェントビルにオフィスがあり、物理的な働きやすさが確保されていても、仕事が厳しく時間管理され、職場に余裕がなければ、働きやすさはない。こうした働きにくさは目に見えないだけに、対応が難しい。逆に、福利厚生や物理的環境などは、目に見えるだけに対応しやすい。


「幸せ感」には
「普通の幸せ」と「真の幸せ」がある


 具体的に見えにくい要素としては、目標設定のあり方、仕事の進め方、進捗管理のあり方、職場への資源配分などである。自分の職場を思い浮かべていただければよいが、こうした要素はここしばらく、合理化、効率重視の基準で見直されてきた。確かに、効率やコストという基準は企業業績への影響も強く、経営的に見て重要な基準である。業績悪化時の改良や改善のためには、注目されやすい基準である。だが、こうした要素を変更するときに、働く人が感じる働きやすさを基準として盛り込むことは少なかった。
 働きやすさとは、職場や仕事の「働き勝手」のよさなのである。顧客のために、モノやサービスの使い勝手のよさを意識する企業の多くが、同時に従業員にとっての、仕事や職場の「働き勝手」のよさにどれだけ関心を示してきただろうか。こうした基準をどれだけ考慮して職場と仕事を設計するかが、働きやすさを決定する。このプライオリティが崩れていた企業が多かったのではないだろうか。
 さらに難しいのは、当然のことながら現場では、効率性を重んじる結果、各部門に任せておいては、働きやすさを基準として考慮しにくいことである。働きやすさは必ずしも効率性と対立するわけではないが、その結節点を見つけるには工夫が要る。そのため部門の長は、結局業績に直結した基準を優先するのである。しばしばワークライフバランスなどの働きやすさ改革が、経営者の責任だと言われるのはこうした背景があるからだろう。

 ちなみに長野県の伊那食品工業や、岐阜県の未来工業などは、経営者主導で従業員の働きやすさに大きなウエートを置いた人材戦略をとっている企業である。伊那食品工業の塚越寛氏や、未来工業の山田昭男氏などの経営者は、今はかなりメディアでも取り上げられるようになったが、かなり前からこうした人材戦略を採用してきた。また、これらが中堅規模の企業であるからできるのだというのであれば、よく知られたダイキン工業の井上礼之氏の「人を基軸とした経営」もある。

 いずれにしても、今働きやすさには逆風が吹いている。前述のデータも、読み方を変えれば、現在の職場で働きやすさが乏しいために、働きやすさを追い求めて転職をする姿なのかもしれない。働きやすさを重視した人材戦略は、経営者主導により、それを基軸として仕事や職場を再設計することから始まる。
 ただ、こうした働きやすさという次元が、一つの大きな特徴をもっているのも事実である。簡単に言えば、働きやすさは、組織にいることの受け身の幸せ感にはつながりやすいが、必ずしももっと積極的な、意欲ややりがいにはつながりにくい点である。例えば、働き方の選択肢が自由で柔軟性が高い場合、その企業にい続けたいとは思っても、それが自らの仕事に打ち込む意欲の源泉となるかどうかはわからない。つまり、働きやすさは、働く人の意欲やモチベーションを必ずしも高めるわけではないのである。

 実は、こうしたことはかなり昔から組織行動研究の分野では議論されていた。最近では、マーチン・セリグマン(Martin Seligman)という心理学者が、幸せ感(happiness)には、普通の幸せ(well-being)と、真の幸せ(authentic happiness)があり、後者は、自分の能力を発揮する機会を与えられたり、大切だと価値を置いている仕事に携わったり、または自分にとって意味がある課題に取り組んだりして、自己充実を感じるときに感じる幸せ感だという主張をしている。
 この区分は働きやすさと働きがいの違いにつながるところがある。働きやすさはwell-being(安寧、福利)を提供し、働きがいは、本来であれば、真の幸せを提供するのだろう。そしてそうした真の幸せは、働く意欲やモチベーションに結びつく可能性が高い。
 もちろん、こうした議論をどこまで信じるかは、人によって違うだろうが、いずれにしても、働きやすさだけでどこまで有能な人材をひきつけ、モチベートできるかは、大きな疑問であることは理解できる。セリグマンの言う、真の幸せにひきつけられる可能性のほうがずっと高いし、また逆に働きやすさだけを求めて、会社に定着する人材を集めても戦力にならないのである。


「働きがい」は
与えられるものではない


 では、いったい働きやすさとは異なる働きがいを企業はどうしたら提供できるのだろうか。前回のこのコラムでも少し言及したが、私は、キーワードは、達成感と成長可能性だと思っている。達成感とは今の仕事に基づく働きがいであり、成長可能性は将来的な仕事への期待に基づく働きがいである。
 どちらもきちんと提供するのは難しい。達成感だけを取っても、働く人にちゃんと達成感を感じてもらうには、まず目標設定が重要で、目標へのチャレンジ度などがその人にとって適切なレベルで、企業のビジョンや戦略との関連で意味がないと話にならない。次に、また目標達成プロセスでの支援も大切だ。あまり大きく関与せず、とはいえ、ある程度のサポートをし、あたかも柱の陰から見守るような支援が必要だ。最後に、評価とフィードバックも大切で、少なくともポジティブな面とネガティブな面を組み合わせる必要がある。

 また働きがいには、成長といった観点も重要だろう。チャレンジし、自分のもつ技術や能力を仕事に適用し、意味のある仕事を行う経験によって人は育つ。いうまでもないことだが、こうした仕事が提供されている企業は働きがいのある企業で、逆に働きやすさでは人は成長しにくいだろう。
 コマツの常務執行役員、日置政克氏は、同社では、働きがいよりも、「居甲斐」を追求しているとおっしゃっているが、成長の可能性は、働く人が感じる大切な価値であろう。特に長い間働いてもらうことを前提とした場合、どこまで成長できるかの可能性の認知が、有能な人材がその企業を選択し続けるための大きなポイントとなる。

 ここまで書くとおわかりだろうが、何のことはない。ここにある内容は、普通の人材マネジメントなのである。特別なことはなにもない。本来、いわば人を活用するために必要なことをきちんとすること=働きがいの提供、そういう方程式が成り立つのかもしれない。今、多くの企業で働きがいがないとすれば、本来の人材マネジメントがなされていないのかもしれない。
 ここまでの議論を要約すれば、働きやすさは仕事と職場の再設計を通じて確保し、また働きがいは、正統派の人材マネジメントを通じて確保するということだ。

 ただ、この結論に一つだけ注をつけておきたい。それは、おうおうにして、働きがいにしても、働きやすさにしても、企業から従業員に与えられるもののように思われることについてである。確かに、企業や経営者の役割は重要だが、働きがいや働きやすさは、本来決して、与えられるものではない。働きがいや働きやすさの確保は、企業側や現場リーダーだけの責任ではない。働き手の参加がなければ、とても難しいのである。
 やや文学的に聞こえるかもしれないが、働きやすさも働きがいも、結局は、働く側と働いてもらう側でつくりこんで獲得するものなのである。何らかのシステムを準備すれば、またリーダーが何らかのアクションを取れば、それで働きがいや働きやすさが成立するのではない。参加するメンバーが経営とともにつくりこんでいく過程があって、初めて存在するものなのである。
 この過程では、働く人もパートナーなのである。働く人は、自分が何を求めるのかを考え、企業に伝えていく必要がある。特に今、働く人の多様性(ダイバーシティ)が高まり、多様な個性が企業で働くようになるにしたがって、企業として働く人のニーズを把握するのは難しくなっている。経営と働く側の相互コミュニケーションが重要なのだ。
 このつくりこみは、他の経営現象と同様に、終わりのない戦いかもしれない。それほど、働きやすさと働きがいはうつろいやすい経営資源なのである。でも、私は、企業のためにも、働く人のためにも、そうした努力を強化する時期に来ている気がするのである。

 
 
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