ビジネススクール流知的武装講座 [232]

100億円「ファブリーズ」に見る
マーケティングの新方程式

 
 

P&Gは消臭剤ファブリーズを100億円近く売り上げる
一大商品へと育て上げた。その背景には
「ブランド・エクイティ拡張戦略」という
巧みな展開戦略があったと筆者は説く。

 
 

流通科学大学学長
石井淳蔵=文
1947年、大阪府生まれ。神戸大学大学院経営学研究科博士課程修了。神戸大学大学院経営学研究科教授などを経て、2008年4月より、流通科学大学学長。専攻はマーケティング、流通システム論。著書に『ブランド』『マーケティングの神話』『営業が変わる』などがある。

平良 徹=図版作成

 
 

なぜファブリーズは
日本ではヒットしないと見られたか


 本誌の6月1日号から続いて、8月3日号、9月14日号と、ブランド戦略について検討してきた。最初は、日本企業が多用するコーポレートブランド・スタイルには限界があること、そしてメガブランドへの切り替えがこれからの成長のカギとなることを指摘した。8月3日号では、アメリア・エアハート効果を中心に市場カテゴリとブランド価値との強い絆づくりを狙うポジショニング戦略の有効性について検討した。そして、9月14日号では、カテゴリと強固な絆をつくったブランドがさらに成長するためのマネジメントのありようを探った。
 さて、今回は、コーポレート・ブランド戦略とポジショニング戦略とのいわば中間にある戦略、ブランド・エクイティの拡張戦略を検討したい。ケースは、P&Gファブリーズである。

 1998年に、P&G社は、布製品用スプレー・タイプ消臭剤としてファブリーズを日本市場に導入した。ファブリーズは、それを衣類にスプレーすることで、布にしみついた臭いが消えるという効能をうたってアメリカではヒットした。だが、日本ではうまくいかないのでは、と考えられた。というのは、アメリカの生活スタイルと日本のそれとは、かなり違っているからだ。
 自宅で靴を履いたまま生活するアメリカ人と、靴を脱いで生活する日本人。大きい犬を自宅で飼うアメリカ人と、その習慣があまりない日本人。カーペットの上で生活するアメリカ人と畳の上で生活する日本人。こうした生活スタイルの違いを反映して、アメリカ人に比べて、日本人は生活の中で布製品の臭いに対する敏感さが乏しく、その分、ファブリーズを使う機会は限定的ではないかと思われた。
 さらに日本では、室内用の消臭用製品としては、置き型消臭剤が一般的で、臭いをとるためにスプレーをかけるという習慣自体が馴染みのないものだった。つまり、それまでの常識に基づき、日本における衣料用消臭スプレーの市場は、限定的なものになると思われた。
 ところが、P&Gは大胆なマーケティング予算の投入を行った。車の中の臭いやソファに付いたペットの臭い、カーテンについた焼き肉の臭いなどをファブリーズを使ってとるという、限定的だが非常にわかりやすい内容のテレビ広告を大量に流した。


「商品が市場での代名詞」となるには


 発売当初の「ファブリーズ」のターゲットは、喫煙者やペットがいる家庭、車の臭いが気になる消費者、「布の臭いを消したい」というニーズをあらかじめ持っていた消費者であった。P&Gのファブリーズのブランドチームは、まずそうした消費者に対して、「洗いにくい布の臭いをとる」という効能を徹底してアピールしていった。
 しかし、そのターゲットである「布の臭いを消したいというニーズをあらかじめ持っている消費者」は、先に述べたような日本人の生活を考えると多くはない。実際、ファブリーズに関心を示したのは一部の消費者にすぎなかった。
 市場の可能性は限られていたのだが、ブランドチームがニッチ市場へと予算を集中的に投入して成功を収めたことは、その後のファブリーズのマーケティングにとって二つの重要な意味を持っていた(栗木契ほか編著『売れる仕掛けはこうしてつくる』日本経済新聞社)。

 第一に、「布の臭いを消す」という製品分野において、ファブリーズの地位は揺るぎないものとなった。P&Gは、市場規模の何倍、何十倍もの広告投資を行って、独占的な立場を築き上げた。「布用消臭剤といえばファブリーズ」と、その商品名がこの市場の代名詞のような存在になった。ファブリーズは、まさに「小さい池の大きい魚」となったのである。
 第二に、このニッチ市場の周辺には「室内消臭剤」と「室内芳香剤」という、それぞれが100億円以上の規模を持つ、二つの大きな市場が隣接していた。ファブリーズという製品の特性を考えると、さらにそのターゲットを、この二つの市場へと拡張していくことができそうだった。P&Gのファブリーズ・ブランドチームは、当初からこの市場拡張の可能性をにらんでいたのであろう。

 ファブリーズのブランドチームは、「日本人には、布の臭いに対して確としたニーズはないかもしれない。だが、部屋の臭いについては敏感だ。あとは、その部屋の臭いの原因は布の臭いだということを啓蒙すれば……」と考えたのだが、その道は決して容易ではない。
 第一に、部屋の臭いをとりたいと考えている消費者に対しては、すでに他社からさまざまなタイプの消臭剤や芳香剤が販売されていて、テレビ広告も活発に行われていた。布用消臭スプレーとは異なり、室内消臭・芳香剤の市場は、各社が力を入れる競争の激しい市場だった。
 第二に、「部屋の臭いを気にする人たち」は、部屋全体の臭いをとりたいと考えているのであって、布製品の臭いをとりたいと考えているわけではなかった。たしかに、ファブリーズは、布製品に対する消臭機能という点では優れた特性を持っていた。だが、いくらこのことをアピールしてみても、部屋の臭いを気にする人たちの関心をすぐに引くものでないことは、当初の限定的な市場に向けたマーケティングの結果を見ても明らかだった。

 しかし、ファブリーズ・チームは諦めなかった。彼らは、「部屋の臭いをとりたい」というニーズを持つ人たちに対して、その原因の大半は布からだと知らせることによって、彼らのニーズを「布の臭いをとりたい」というニーズに転換させようと試みた。「料理の臭いが布について、その布のせいで部屋が臭う」「汗の臭いが布につき、その布のせいで部屋が臭う」といったメッセージが、テレビ広告を通じて繰り返し流された。その結果、「部屋の臭いの原因は、布製品の臭い」という考えが、生活者の間で徐々に浸透していった。

 状況は一変した。ひとたび「部屋の臭いの原因である、布製品の臭いをとりたい」というニーズが生まれれば、ファブリーズが優位性を持つことは明白だった。競合するメーカーは、部屋を消臭するとか芳香するという機能を訴えても、とくに布の臭いを抑えるという機能は訴えてはこなかったからだ。こうして、ファブリーズを試し買いする人の比率(トライアル率)は急増した。
 P&Gのファブリーズ・チームは、その巧みな訴求によって、ファブリーズを、2億~3億円の小さい市場の独占商品から、100億円近くを売り上げる一大商品へと育て上げた。リ・ポジショニングに見事成功したわけである。

 その後も、ファブリーズは、「ファブリーズ除菌プラス」の発売により、さらに新たな購買層を取り込み、「やさしく香るファブリーズ」「さわやかに香るファブリーズ」の発売により室内芳香剤市場に向けた拡張を行った。こうして、ファブリーズは、発売後2年間で、機能・香りの異なる4種類の製品ラインアップをそろえたシリーズ商品へと成長した。
 それでもブランド成長の手は緩めなかった。続いて、置き型ファブリーズ・トイレ用ファブリーズをも導入する。それらは、布用でもなければスプレー・タイプでもない。技術的に見ても使用用途で見ても、〈ファブリーズ〉という名でひとくくりにしてよいのかどうか、必ずしも明確ではない商品群である。
 加えて、柔軟剤や洗剤との共同ブランドの開発にまで踏み切る。こうした展開は、「消臭=ファブリーズ」というブランド名を最大限、それ以外の市場分野へ拡張していこうとする戦略(=ブランド・エクイティ拡張戦略)にほかならない。




コカ・コーラも捨てた
「ポジショニング戦略」信仰


 二つのことを学びたい。
 第一は、巧みな戦略展開。第一段階は、消費者の頭の中に「衣類の消臭」という市場カテゴリとファブリーズとの絆(連想)をしっかりと刻み込む(ポジショニング戦略)。第二段階は、ポジションを微調整して「部屋の消臭」というより広い市場カテゴリにおける絆をつくり出す(リ・ポジショニング戦略)。そして、第三段階として、「消費者の間に、消臭とファブリーズとの間の強い絆が生まれている」と認識したとき、機能や香りや用途の異なる系列品を次々に発売して室内芳香市場での地歩を固めていく(ブランド・エクイティ拡張戦略)。こうした緻密な戦略展開を通じて、誰もが予想しなかった大ヒット商品に仕上げられていった。

 第二に、このファブリーズのブランド展開は、これまでのP&Gのブランドについての取り組みとは違った取り組みになっていること。
 8月3日号のアメリア・エアハート効果の議論を思い出していただきたいのだが、これまでのP&Gのグローバルな成長を支えてきたのは、徹底したポジショニング戦略である。洗剤市場に、ボールドやアリエールなどの複数ブランドを投入するやり方はその典型といえる。
 それらブランドは、同じ洗剤であっても、洗剤のより細分化された市場と強い絆を確保する。しかるに、今回紹介したファブリーズのやり方は違う。ファブリーズというブランド・エクイティを最大限展開するやり方、つまりブランド・エクイティ拡張戦略にほかならない。

 P&Gにおける戦略転換を窺わせるわけだが、同じようなブランド戦略転換は、最近のコカ・コーラにも見ることができる。コカ・コーラは、30年ほど前、ダイエットのコーラを発売したが、その名を〈タブ〉とした。コカ・コーラの名前を使った〈ダイエットコーク〉とはしなかった。「コカ・コーラに系列品は存在しない。唯一無二の存在だ」というわけだ。
 しかし、最近では、〈ダイエットコーク〉だけでなく、カロリーオフ、ビタミン入りと、〈コカ・コーラ〉の系列品は増えている。昔なら、一つ一つの新商品に違ったブランド名を付けていたはずだ。コカ・コーラも、強烈なポジショニング戦略の信仰を捨て、ブランド・エクイティ拡張戦略志向に転じたのだ。

 コカ・コーラやP&Gは、ブランドマネジメントを軸にして、世界企業に育ってきた。「マーケティング・カンパニー」という称号を与えることができる企業だ。そうした企業が、近時、ブランド戦略の舵を大きく切り替えてきたというのは興趣をそそる。
 新しいマーケティングの時代に入ったのではないだろうか。読者諸氏も気づかれただろう。大きい需要成長が期待できない、言い換えると「他から需要を奪うしか成長に道がない」成熟期に、対処する備えが迫られていることを。

 
 
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