職場の心理学 [226]
「人が生き生き働き、育つ」
キリン工場長の鍛える技術
キリンビールのなかでも最も高い生産能力を誇る横浜工場。
3月に異動してきたばかりの工場長が、
若手工員が自主的に動いて力をつけられる職場づくりに奮闘する。
「愛されキャラ」の工場長がつくる
若手の顔が輝く職場
いい顔で働いている人が多い──。キリンビール横浜工場(神奈川県横浜市)を見学して一番印象に残ったのは、若手工員の穏やかながらも溌剌とした表情だった。工場長や部外者である僕が見ているから多少は「演技」が入っているかもしれない。でも、それが無理な演技なのか、普段の延長なのかぐらいはわかる。彼らは「ここが自分の仕事場だ」と納得して働いているのだ。
私事になるが、僕は9年前に某アパレルショップで店員をしていた。店長を目指してがんばっていたが、やる気は常に空回りして、「こんなはずじゃないのに」という絶望を胸の底に隠しながら働いていた。
1年後に退社を決めたとき、上司は言った。「大宮、おまえは入社してからずっと冴えない表情をしていた。辞めると言ったいまが、一番いい顔をしているぞ」。虚しかった。
この挫折経験で一つだけ学んだ。大切なのは輝かしい仕事に就くことじゃない。自分の顔が自然と輝くような職場で働くことなんだ、と。これって常識ですか? でも、そんな職場がいまの日本にいくつあるだろうか。
だからこそ、僕と同い年ぐらいの工員が生き生きと働いている横浜工場を嬉しく感じた。トップリーダーである工場長に会ってみたいと思った。
|
| キリンビール 横浜工場長 石井康之 1980年キリンビール入社。20年にわたり工場と本社生産管理部門にてビールづくりに打ち込む。経営企画部、キリンヨーロッパ社長を経て現職。 |
工場長の石井康之氏(52歳)は、俳優の細川俊之をおとなしくしたような風貌だ。名刺交換も淡々としている。派手な笑顔や握手などはない。工場長と紹介されなかったら、通りすがりのおじさんだと思ってしまっただろう。
「確かに『工場長!』という威圧的な感じはありませんね。大らかでナチュラルな人です。細川俊之にも似ていますが、私たち社員は関根勤みたいだと話していますよ。本人は昔、巨人軍にいたデーブ・ジョンソンに似ていると言っています」
工場の女性広報担当者が楽しそうに教えてくれた。石井氏が「愛されキャラ」であることは伝わってくる。果たして、どんな考え方の持ち主なのだろうか。以下、石井工場長と元ダメ店員の僕との会話である。
──さきほどは工場を案内していただき、ありがとうございました。
「いや、暑くてすみませんでした。安全のためにヘルメットなど着用していただくのですが、暑くてお客さんに不評でね(笑)」
──工場を巡回するとき石井さんは何を見ているんですか?
「機械設備については各担当の部長がいるので、設備よりも人を見るようにしています。『今日もがんばっているね。ご苦労さん。ありがとう』という気持ちでね。何か指摘したいことがあっても、部長を介して伝えるように気をつけてますよ。現場の面白さは担当部長のほうが味わえるでしょうね。私はとりまとめ役と安全面などの責任を取る役回りですから。と、カッコよく言ってしまいましたが、ビール醸造設備の現場経験が長いので、どうしても設備に注目してしまうんです。好きなんですよ。工場長向けの勉強会などでほかの工場を見学するときも、『このバルブは何だ?』と見つめてしまうことがあります。勉強会の趣旨とは全然関係ないのに(笑)」
──リーダーには人への関心だけでなく、技術への自信も必要だと思います。尊敬できない人から「がんばっているね」と言われても、「おまえに言われたくないよ」と思うだけですから(笑)。ただ、石井さんもビールづくりのすべてのプロセスにおいて専門家ではありませんよね。どうやってリーダーシップを確保しているんですか?
「確かに私は醸造だけで20年間を過ごしてきました。いわゆる『泥くさ系』のビール醸造屋ですよ。例えば研究開発などは弱くて、大学の先生などの人脈も少ないんです。だったら、ほかの人に補完してもらうしかありません。
私が工場長になった今年3月から、全体会議の前に部長レベルだけを集めた『朝会』を始めました。少人数だから込み入った話でも教え合うことができるんです。それぞれがビールづくりの経験を重ねてきているメンバーですから、知恵を出し合ってトラブル解決などをしています。工場長だからといって『俺が一番頭がいい』なんて思ったことはありませんよ(笑)」
──石井さんは工場長を務めるのは今回が初めてですよね。巡回のとき、設備ではなく人を見るという姿勢はどこで身につけたんですか。
「1990年に北陸工場の建設プロジェクトに参加しました。私が30歳過ぎの頃です。全国から集まってきた技術屋たちをまとめて、ゼロから工場をつくり上げた工場長。すごい人でした。言葉は少ないけれど、私たちのことをしっかりと見ていてくれたんです。思い出すだけでも涙が流れるほど、いまでも尊敬しています」(と本当に目を潤ませる石井さん)
──工場の若手がいい顔をしている理由が少しわかったような気がします。
「うちの会社には素直な人が多いんです。私としては、もっとガッツやハングリーさを持ってほしいんですが」
──お言葉を返すようですけど、僕は40歳以上のバブル経験世代が言いたがる「いまの若手にはハングリー精神が足りない」発言には違和感を覚えるんです。イケイケドンドンで製品や工場をつくりまくって売れていた時代なら、そんな気持ちになれたのかもしれません。でも、僕たちの世代は、就職するときには「キャリアデザインを明確にしろ」とか「即戦力になれるスキルを身につけておけ」とか言われ、やっとのことで就職してもリストラだのコストカットだのと後ろ向きな話ばかり。何も考えずに仕事に打ち込めていた「古き良き時代」の思い出を押し付けられても困るんですよ。前向きに働いているだけでも素晴らしいと思ってほしいです。ええっと、いきなり私憤をぶつけてすみません(笑)。
|
| 横浜工場では、「一番搾り」など大量生産する商品がつくられている。 |
「いや、それはいいポイントですよ。キリンビールでも95年の神戸工場を最後に新工場の建設はしていません。ラインが減ってしまった工場もあります。現場の人間にとって仕事がないほど辛いことはありませんからね。80年代、90年代に比べて、経験を積む場が減ってしまったことは確かです。
でも、視点を変えれば成長する機会はいくらでもあります。キリンビールは海外進出も加速していますし、ビール以外にも事業分野を広げています。若い人には広い視野で手がけたい製品やプロジェクトを見つけてほしいと思っています」
ビール醸造屋から経営企画部への
異動で価値観が激変
──石井さん自身も入社20年目にしてビール工場から離れて、経営企画部を経験されていますね。
「はい。ずっとビール醸造屋として歩んでいくものだとばかり思っていたので驚きました。ビールづくりのことしか知らない人間が、キリングループの中期経営計画の策定や予算配分などの業務に携わるわけですから。戸惑うことばかりでしたよ。正直言って、あまり面白くはなかった(笑)。
でも、ビール醸造のほかにもグループ内にはいろんな事業や業務があることを実感し、『ビールの専門家が一番すごいんだ!』と思っていた自分を小さく感じましたね。
次のキリンヨーロッパの社長は非常に面白い経験でした。最大のミッションは拡大するロシア市場への斬り込みです。プライベートも充実していましたよ。私は歴史が大好きなので、ドイツやロシアを旅するのは楽しかったですね。哲学者のイマヌエル・カントの墓はポーランドとリトアニアに挟まれたロシアの飛地領にあるって知ってましたか? ロシアの飛地領はバルト三国にもあって……」
──すみません、ロシア話それぐらいで結構です(汗)。2007年に帰国したら、今度も工場ではなくてキリンホールディングスの技術戦略部長という役職に就いたんですよね。また現場から離れて、嫌でしたか?
「技術屋の仲間からは同情されましたね。『ビールに戻れなくて寂しいだろ』と。でも、その頃には考え方が変わっていましたよ。新しいことにチャレンジできるのが嬉しくなっていました。
だから、いまでは若手の留学希望なども支援してあげたいと思っています。昔は、『若いうちはどっぷり現場に浸らないとダメだ』と思っていましたけど、必ずしもそうじゃないと思う。もちろん、専門も必要なんだけれど、広い視野を身につけたジェネラリストも組織には大切なんです」
──「若手のハングリー精神」の話に戻りますけど、80年に入社してずっとキリン一筋の石井さんは転職を考えたりしたことはないんですか?
「私はビールと設備設計が好きなので、この仕事が嫌だと思ったことはありません。会社を辞めるぐらいの気概があれば、いまの仕事でやるべきことはたくさんあると思いますよ。
ただ、20代後半のときに一度だけ『辞めてやる』と考えたことはあります。当時、私はビール醸造の専門家として誰にも負けない自信を持っていました。2歳ほど年上の上司はパッケージの専門家なのに醸造のことにも口を出してきた。当たり前のことですけどね(笑)。で、若い二人だから意地がぶつかり合ってしまって、『絶対負けない、この仕事を渡すぐらいなら辞めてやる』と思い込んだのです」
──純粋に仕事上の意見相違でぶつかり合えるっていいなあと思います。いまの若手にそんなハングリー精神を根づかせるために、どんな工夫をされていますか。
「部長や係長を通じて、権限委譲を呼びかけています。自分で決めて実行しなくてはいけない立場に置かれないと人は成長しません。自分で悩み苦しんで失敗を重ねて、伸びていってほしい。
私が若い頃は周囲に40代、50代のベテランがたくさんいて、『20代の若造は黙って動け』と言われて、自分で決められる範囲がすごく狭かった。早く年をとりたいなあといつも思っていましたよ。いま、工場の現場は30代の社員が中心です。自動化も進み、人員数も半減しているため、一人の守備範囲も劇的に広がっています。機械を普通に運転するだけならば平均点の人にでも可能でしょう。しかし、トラブルを上手に処理したり、もっとおいしいビールを安くつくるための改善提案を出すのは高いレベルの人でなければ不可能です。
教えることはとても大事ですし、実際にキリンビールにはテクノアカデミーという技術伝承の教育機関があります。でも、教えすぎの弊害もある。受け身の人間をつくってしまうことです。だからこそ私は、自分で考えて素早く実行できる人も育てたいのです」
教えるのではなく、試行錯誤して自信を持つ機会を与えたいと繰り返していた石井氏。穏やかだがゆるぎない眼差しが忘れられない。現在、キリンビールはサントリーと経営統合に向けた交渉を進めている。その成果は未知数だが、石井氏は「若手が活躍する場が増えた」と喜んでいるに違いない。










