職場の心理学 [217]
「14期連続増収、人切りなし」
テルモ快走の秘密
3期連続赤字の経営危機から脱却し、
14期連続増収、6期連続増益を達成。
その再建の背景には、雇用は必ず守るという
ポリシーと、その人的資産を鍛え上げる
力強い人材育成の仕組みがあった。
経営者が宣言
「雇用には最後まで手をつけない」
正社員のリストラが加速している。好況期に“社員重視経営”を公言していた多くの経営者が手の平を返したようにコスト削減に血眼になっている。社員はコストなのか? 同じく1990年代初頭に3期連続の赤字という経営危機に陥った大手企業の社長はこう言って社員を鼓舞した。
〈人は資産であってコストではない。どんなに経営が厳しくなっても、リストラは最後の手段。安易に人を切ることは絶対にしない〉
発言の主は医療機器メーカー大手テルモの和地孝社長(現会長)である。リストラの不安に苛まれていた社員は胸をなで下ろすとともに、再建に向けて奮い立った。その後、見事に経営再建を果たしたテルモは14期連続増収、6期連続増益(2008年3月期)という偉業を成し遂げることになる。
もちろん「人は資産」との考え方は今も堅持する。同社の冨田剛人事部長は「人は資産であるという、人を軸にした経営は当社の一貫した方針であり、雇用には最後まで手をつけない。雇用は最後の最後だということを常に社員全員に言っています」と強調する。
だが、単純に雇用を守るだけで社員が奮起し、会社の成長を促すわけではない。逆にぬるま湯体質にどっぷり浸かり、身動きがとれなくなってバブル崩壊後に潰えた多数の企業の例もある。人を大切にすることは、決して甘やかすことではない。資産を資産たらしめ、その資産を数倍、数十倍の価値に高めるには、社員のポテンシャルを絶えず最大限に引き出す活動が不可欠であり、まさにテルモはそれを実践し続けている企業である。
同社は社員を「アソシエイト」と呼ぶ。アソシエイトとは「自ら考え自ら行動する主体的な人」という意味だ。以前の同社では指示待ち体質のぶら下がり社員や縦割り組織によるセクショナリズムが横行していた。そんな風土を転換するために「従業員は従う人であり、会社に帰属する従業員という発想はやめよう。自ら考えて、自ら行動する社員になっていかなければ会社は成長できない」(冨田人事部長)という理由から生まれたものだ。
しかし、いきなりアソシエイトと言っても社員にはぴんとこない。有志社員によるアソシエイト・スピリッツを制定し、アソシエイトとは何かについて職場単位で徹底的に議論し、認識の共有化を図った。
もちろん精神的風土の改革と並行して「自ら考え自ら行動する」ことを可能にする組織・職場環境の変革も同時に進めなければ意味がない。その一つが徹底した経営情報の公開と「見える化」の推進だ。同社では月初に各職場で「毎月ビデオニュース」が放映される。例えば四半期ごとの決算を経営企画室長が解説したり、国内の工場や海外の拠点でどういうビジネスが展開され、どうなっているかなどビジネスのトピック情報を20分程度のビデオにまとめて全社員と共有している。
「本社や営業拠点では会議室、工場では社員食堂に全員が集まって観ながらコミュニケーションをとっています。工場は3交代ですので3回に分けて放映し、今会社で起きていることをどこにいても全員が理解することができます。管理職など一部の層に限られた情報の壁を排除し、なるべく情報をオープンにすることで一体感の醸成にも貢献しています」(冨田人事部長)
開かれた風土はアソシエイトの主体的行動を促すインフラであるが、人事諸制度においてもそれは貫かれている。自ら手を挙げて新たなキャリアにチャレンジする仕組みの一つがACE(アソシエイト・チャレンジ・エデュケーション)と呼ばれる社内公募制だ。業務の拡大や新規事業などで人材を確保したい部署が募集し、社員は上司や同僚に知られることなく直接人事部に応募するシステムである。
これまで200人以上の応募者があり、約80人が異動した実績を持つ。加えてACEの一つとして08年からBRICsなどの海外駐在員候補生の募集も実施している。基礎的語学力など一定の要件を満たせば部署に関係なく応募できる。昨年は約30人が応募し、7人が合格した。合格者は本社の経営企画室などの担当部門でビジネスや輸出入業務などを学習した後に派遣される。
本来、海外への派遣は業務に精通した部署の社員を指名するのが通例だが、あくまで挑戦意欲を重視するのがテルモ流だ。
「英語ができる、できないというよりもガッツがあり挑戦意欲のある人に手を挙げさせることが重要。とくに南米やロシアに行くとなると、それなりの根性が必要ですし、会社が指名するのではなく、手を挙げた人間を行かせようという考えです」(冨田人事部長)
経営トップと社員が
書生同士のように議論を闘わせる
異動だけではない。将来のテルモの経営を担う次世代経営人材の育成コースへの参加も公募制を導入している。グローバル経営人材の育成を目指したLEO(リーダー・エグゼクティブ・オーガニゼーション)セミナーの定員は約30人。和地会長自ら塾長を務める。04年のスタート当初は30代前半と40代前半の二つのコースに分かれていたが、今は入社3年目以上を対象に一つのコースに統一している。
期間は毎年11月から翌年2月までの約4カ月間。ちなみに今回のセミナーの応募者は約100人。26歳から43歳までの約30人が受講した。一般的に経営人材の育成は会社や部門の推薦による選抜方式をとる企業が多いが、同社はあくまで「機会の平等」にこだわる。また、講義もいわゆるMBA的なスキルを排除し、同社独自のリベラルアーツ教育に主眼を置いている。
「自己啓発やビジネススキルは自分で勝手にビジネススクールに行くか、実務は仕事を通じて学べばいいのです。当社が求める経営人材像を議論したところ、幅広い知識と経験、仕事で培われたリーダーシップ、チャレンジ精神、決め手は人間力という結論に至ったのです。講義ではリベラルアーツを含めた教養に重点を置き、歴史観、世界観を養うことが大局的視点に立つグローバルリーダーを育成することにつながると考えています」(冨田人事部長)
東洋思想、宗教社会学、国際政治の専門家などの講義のほか、グループごとの研究課題をこなす。例えばグローバルに活躍している日本企業を調査して成功要因を分析する。後半では、各グループに執行役員がアドバイザーとして張り付き、これまでの学習や研究成果を踏まえて「テルモが世界で存在感ある企業になるためにどうすればよいか」について経営陣の前で発表する。
「経営に対する提言ですから経営陣も黙ってはいません。会長、社長も厳しい指摘をしてきます。それに対して発表した社員も『社長、私はそう思いません。こうやったほうがいいのではないですか』と平気で反論します。あるいはアドバイザー役の役員が最後に『私が余計なことを言ったばかりに、こんなことになってしまい……』と謝る場面もあるなど結構、白熱した議論も行われます」(冨田人事部長)
経営トップと一社員がまるで書生同士のように真剣な議論を闘わせる企業も珍しい。もちろんこうした自由な雰囲気は決して放縦を許すことを意味しない。人を大切にすることは甘やかすことではないように、機会は平等に与えても「結果は公平」を旨とし、人事制度は年功序列と一線を画している。
賃金・昇格制度は徹底した能力貢献度主義を貫く。同社の社員区分は大きく一般職(組合員層)、主任格、課長・部長格の三つに分かれ、昇格するには登用試験にパスしなければならない。試験は論文と面接が中心だが、主任格から課長・部長格の場合は、さらにアカウンティングの通信教育を修了していることが要件として課される。最も重視しているのは面接であり、面接官は当該部門の役員、人事部長など4人が担当。面接のポイントはずばり「会社を変えられるのかという一点。どんなに真面目にこつこつやっていても期待できない人はだめ」(冨田人事部長)ということになる。
ちなみに07年度の主任格の受験者は240人、合格者124人、合格率52%である。最年少の合格者は30歳、最年長は50歳。課長・部長格の最年少は35歳、最年長は48歳であり、年功序列色は完全に払拭されている。しかも昇格してもその地位は決して安泰ではない。
同社の等級は一般職10等級、主任格5等級、課長・部長格4等級に分かれる。そして年1回実施される能力評価が昇給や昇級の成否に反映されるが、評価しだいでは降格の対象になる。
能力評価の着眼点は・企画立案(企画・構想力等)、・実践行動、・対人組織(リーダーシップ、人材育成)、・自己革新(セルフマネジメント、執着心)の四つ。最終的にE(excellent)、H(high)、M(middle)、L(low)、N(No-good)の5段階で評価される。
主任格の場合、2年連続でLの評価がつくか、あるいはN評価が一回でもあると人事部からイエローカードが発行される。さらに翌年も成長が見られずLまたはN評価を受けると降格の対象になる。実際に過去5年間で60人の降格者を出している。
「役割に見合った能力を発揮していないということで落とします。1ランク落としますが、過去に2ランク落ちた人もいます。もちろん、その後再チャレンジして再び昇格した人もいます」(冨田人事部長)
成果主義導入でも
離職率はわずかに1.3%
昇格しても決して安心してはいられない。降格すれば当然減給となる。常に自身の成長に向けたチャレンジが求められる。昇格・降格だけではない。同社は01年の人事制度改革により、一般職の社員でも全員が一律自動的に昇給する定期昇給を見直し、能力評価によって個人ごとに昇給幅が異なる仕組みを導入している。
能力評価とは別に年2回実施される業績評価は賞与に反映されるが「個人の評価によって支給の幅を相当持たせている」(冨田人事部長)という。
年齢給的要素を排除し、賃金制度でも完全に年功序列色を払拭している。厳格でメリハリのある成果主義的人事制度は運用によっては社員の離反を招く恐れもある。企業各社は制度のマイナーチェンジを実施しているが、やり方を間違えばモチベーションの低下や社員の流出も発生しやすい。
その点、テルモは導入後9年目を迎えるが、増収体質を維持する一方、社員の離職率はわずかに1.3%(08年)と驚異的な数字を誇る。これだけを見ても同社流の手法が奏功していることがわかる。これで安住していてもよさそうだが、冨田人事部長は「まあ、この程度でよいだろうと思った瞬間から、テルモは再び危機に向かうと経営陣は考えている。風土改革に終わりはなく、それを支援する人事制度もその時々の状況に合わせて、常に見直していく必要がある」と手綱を締める。
すでに業績評価制度の評価ツールである目標管理制度の廃止を含めた見直しにも着手している。目標管理制度は期初に上司と相談のうえ、目標を設定し、その達成度を評価する仕組みであるが「自分で勝手に仕事をつくり、ハードルを決めることで、逆に会社にとって意味のない仕事を生むか、あるいは越えやすいハードルを設定するためにチャレンジしなくなる可能性もある」(冨田人事部長)という。
さまざまなチャレンジの仕組みを絶えず生み出していく背景には、社員が成長志向を失えば企業も成長しないとの考えが根底にある。人を切らない経営を堅持する一方、資産としての社員の成長を促すことで会社の発展を図る。同社が創業85年を記念して07年に作成した小冊子の「テルモのこころ」でもこう謳っている。
〈テルモでは、アソシエイトを会社の資産と考えます。資産はそれを活かし、活かされることで新しい価値を生み出します。アソシエイトには、自らの能力を最大限に発揮し、資産としての価値を高めることが求められます。資産であることに安住し、企業の発展に寄与しなければ、それはただの不良資産です。テルモは不良資産の存在を認めません〉
人はコストではなく資産であり、人が成長しないと企業は成長しないとの揺るぎない信念がここにはある。










