自分が育ったような環境を子供にも与えたい

 永島さんが現在の住まいに居を移したのは十数年前のこと。東京近郊の住宅街に家族3人で暮らしている。

──いまのお住まいを建てられる際に、気を配られたことはありますか。

永島 まず、土がある一軒家が第一条件でした。子供がのびのびと遊べる空間が欲しかった。学校から帰ってきたらカバンを放り出して遊びに出る、そんな子供時代を過ごさせたかったのです。
 たぶん僕自身が、自然とともに育ってきたからだと思います。実家は、東京湾のそばで旅館を営んでいました。大家族で、つねにお客さんの出入りがあるなかで毎日楽しく暮らしていました。僕が子供のころの東京湾は、海の幸が豊かで、海苔やカニ、エビがおいしかった。地元の米や野菜もおいしかった。子供にも僕が育ったような環境を願ったのです。

子供部屋は不要大空間を家族で楽しむ

永島敏行氏

永島敏行 俳優。1956年千葉県生まれ。

映画・テレビ・ラジオ・舞台などで幅広く活躍する傍ら、ライフワークで米づくりに参加。農業に強い関心があり、生産者と消費者が出会って交流する場として、毎月第2日曜日、東京国際フォーラムで青空市場を開催している。「永島敏行と青空市場」公式HP(http://www.aozora-ichiba.co.jp/)。

 自分が楽しんだ子供時代と同様の経験をさせてあげたいとの思いが、永島さんの住まいづくりには存分に生かされている。多くのゲストをもてなし、ご近所との関係を大切にする。そんなソフト面のこだわりを、住まいというハードがしっかりと反映しているようだ。

──間取りもこだわったのですか。

永島 狭い部屋が嫌いなんですよ。だから、うちは玄関を入ったら奥までずっと扉がありません。天井も高くして、広々とした空間をつくっています。それから、当初は子供部屋を設けませんでした。

──なぜでしょう。

永島 子供が独りで部屋にこもるとろくなことがないと、自分の経験で分かっていますからね(笑)。子供にはいつも大人の目が届くことが大切だと思うのです。テレビもわが家には1台しかありません。その一方で、子供には両親以外にもいろいろな考え方をする大人がいることを見せたかった。だから、多くの人に訪ねてもらいやすい家にすることも心掛けました。

──玄関から家の奥まで一つの空間ということですから、たくさんのお客様を招けそうです。

永島 キッチンもオープンで、リビング、ダイニング、キッチンの仕切りがありません。料理を担当する僕や妻もお客さんと会話を楽しむことができます。例えば料理する奥さんが一人でずっとキッチンにこもっているなんて、つまらないでしょ。僕はみんなで楽しむことが大好き。だから、たくさんの人ができるだけ楽しい時間を過ごせることを最優先に考えるんです。それに、普段から子供に料理する姿を見せることができますしね。

──いろいろなものをお子さんに見せたいと考えていらっしゃるのですね。

永島 食事にしても、座っていれば出てきて当たり前……ではありません。誰かがつくってくれるから出てくるわけで、そのことを理解し、感謝して食事をいただくようにさせたかった。それには口でやかましく言うよりも、黙っていても分かるように見せることだと考えたのです。

──永島さんの思いのこもった住まいで、お子さんものびのびと成長されたのでは?

永島 そうですね、幼いころは友だちも出入りしやすかったようで、しっかりと遊んでくれました。子供は遊ぶのが仕事ですからね。そうそう、わが家には門扉も塀もないのです。だから親しみやすい、遊びに来やすい家だったかもしれません。

──いまどき、塀のない家とは珍しい。

永島 これも僕の考えですが、役者という仕事は家を留守にすることが多いんですよ。その間、もし自宅で何かあったとき、塀に囲まれていては外から異変に気付いてもらえません。僕が不在でも、家族が安心して暮らせるようにと思って、あえて門や塀をつくりませんでした。

──ご近所とのコミュニケーションも大切になりますね。

永島 自分たちだけで暮らしているわけではありませんからね。引っ越していって一緒に住まわせてもらうわけだから、溶け込むようにしないと。おかげさまで、家族そろって仲良くしていただいています。

食べる楽しみが大切だからキッチンをオープンに

 俳優業の傍ら、永島さんは農業の実践者としても知られる。さらに、地方の生産者と都会の生活者の懸け橋となる「青空市場」の活動も行っている。

──秋田で米づくりを始められたのも、お子さんのことを考えてでしょうか。

永島 役者として東京暮らしが続いていたのですが、人工物ばかりの都会があまり好きになれませんでした。そんななかで、20年ほど前、秋田県十文字町で映画祭を始めたのです。自然の恵みがたいへん豊かな所で、地元の人が輝いて主役になるような催しも一緒にやりたいと。それが農業でした。子育てのこともあわせて考えていたのかもしれません。普段から子供らしく泥だらけになって遊んでほしかったのですが、街中の公園ではたき火はおろか穴を掘ることだってできません。親がそうしたところに子供を連れ出すしかないわけです。米づくりが、いいきっかけになりました。とはいっても、子供は田植えなんか手伝いもせず、そこらで泥遊びをするだけですけれどね(笑)。

──それから農業に視野を広げられた。

永島 農業って食の原点ですよね。食べることを追求していくと、食べ物をつくっている農業に目が向いていくんです。僕は食べることが好きだし、楽しみたい。だから、農業についてもっと知りたくなって、千葉で田畑を耕したり、味噌をつくったりといった活動を東京の人たちと続けています。うまいものを自分たちでつくること、これが文化だという思いですね。

──永島さんにとって、食べることはとても重要なようです。だからこそ、いち早くご自宅にオープンスタイルのキッチンを取り入れたんですね。

永島 生きることは食べることですから。それに料理を家族や仲間と囲む楽しさも他には代えがたい。僕は料理も好きですが、ちょっとくらいの手間がかかっても、おいしいと感じる幸せがあれば手間だとは思いません。産地の人においしい調理法を聞いて、自分なりのオリジナリティーを加えて、といった作業は楽しいものです。

庭でも、室内でも自然の恵みを体感

 行動派の永島さんにとって、散歩も趣味の一つ。近隣環境も大いに気になるところだという。長く住む土地や建物に愛着が増しているようだ。

──お住まいにご自分の部屋はありますか。

永島 書斎はありますが、僕自身はあまり家でじっとしているのが好きじゃないんですよね。セリフを覚えるのも外を散歩しながらです。

──その分、お住まいの立地も大切だったのでは?

永島 環境はいいですね。近くに植物園もあるし、比較的緑に恵まれています。そこを10kmくらい散歩しながら、アイデアを練ったり、セリフを覚えたりするわけです。そうしたなかで、四季の移ろいを感じられるのがいいですね。庭にも果樹を植えて、季節の恵みをもいでいます。

──何を植えていらっしゃるのですか。

永島 柿や梅ですね。どちらも日本の家の庭には欠かせないでしょう(笑)。最近、あまり柿をもがないみたいですけれど、どうしてだろう。実りっぱなしで鳥のエサになっているのは、どうももったいないですね。収穫して干し柿にしてお渡しするとか、商売にならないかなんて考えてしまいます。春には梅に始まって、水仙や沈丁花が咲いて香りも楽しむことができました。ドクダミやシソも植えていますね。

──現在のご自宅に長く住まわれていますが、不自由なところは出ていませんか。

永島 確かに建物として傷む部分も出てきて、その都度修理はしていますが、気に入った家ですから大規模な改修は考えていません。ただ、夏に向けてつる植物を生やして日差しを避けるようにしています。これまでヘチマやキュウリを育てましたが、今年はキウイ棚をつくって日陰を演出する予定です。やっぱり実のなる植物に引かれるんですよね(笑)。

──季節の移り変わりに応じて上手に住みこなされているようです。

永島 自然の風を取り入れたいし、室内に入る陽光も季節に合わせて調整したい。そのためにいろいろと工夫するわけです。そういえば、リビングの窓がとても大きくて断熱の良くないことが気になっていました。最近は複層ガラスなど性能のいいガラスを選べるので、交換しようかとも考えています。新しい技術もうまく取り入れると、より楽しく快適に過ごせるでしょうね。

──永島さんにとって、住まいとはどのようなものでしょうか。

永島 やはり、大切な家族と過ごす憩いの場といったところでしょうか。毎日楽しく暮らしたい。そのための住まいだと思うんです。      ▲▲

 
 
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