ビジネススクール流知的武装講座 [219]
なぜAIGは巨額賞与を
支払わざるをえなかったのか
米国AIGが一人最大650万ドル(約6億2500万円)という
巨額賞与を支払い、批判を集めた。
この真相について、筆者は雇用契約を指摘するが、
その理由と背景にあるものとは。
米国における
人と組織との
短期的な契約関係
米国のAIGにおける巨額ボーナス問題が大きく取りざたされている。ただ、私は、事件についての報道を見ていて、やや奇異に感じる点がある。ロイターの3月18日付記事によると、AIGのCEOは、複雑な金融商品の処理にあたり、専門知識を持つ人材を引き留めるため、賞与は必要だったと主張している。処理すべき金融商品は現在、1兆6000億ドル(約154兆円)になっており、担当幹部が退職すれば、状況はさらに厳しくなるとして、この支払いを正当化している。
確かにそういう面もあるだろう。ただ、こうした問題が現実味を帯びていたとしても、実際問題として巨額のボーナスで退職が防げるとは考えられない。それよりも、ボーナスをもらって、それから退職する確率のほうがよっぽど高いだろう。実際、3月24日付ロイター記事によると、すでに、処理にあたる中核となるフィナンシャル・プロダクツ部門から何人かの幹部社員が、退職したとの報道もある。
私は、今回の巨額ボーナスが支払われなければならなかった真相は、そういう報酬契約だったから、という単純なことではないかと思うのである。通常、米国企業の上層社員は、その多くが複数年の雇用(報酬)契約を会社と結んでおり、AIGの場合も、そうした契約が幹部社員との間に存在し、そのなかでボーナスを払うことが義務付けられていたのではないかと考えるのが自然なのである。
したがって、リサーチをしても、詳しいことはわからないので正確ではないかもしれないが、可能性として、AIGがボーナスを支払わない場合、契約不履行で訴訟が起こり、会社側が負ける可能性が高いので、そのほうがよっぽど大きな損失だと考えたと予想できる。あくまでも私の推測の域を出ないが、いうなれば、契約によって支払わなくてはならなかったというのが最も大きな理由だろう。破たんの危機にあるAIGで、巨額のボーナスで優秀な人材を引き留めることができると考えたから、これを支払ったというのはとても不思議な理由付けなのである。
ただ、私の推論が正しいとして、このことは米国における組織と人との関係について考えさせられる出来事だった。米国においては、いい意味でも悪い意味でも、組織と人との関係は、短期的な契約関係なのである。
したがって、その交換関係が成立しなくなった途端に、その雇用関係も途切れる。特に知的労働に携わる高い能力を備えた人材についてはそうである。米国の知的創造を担う人材の多くが、企業との関係を短期契約をもとにしている。
企業とは「契約の束」か
「信頼関係の束」か
実際、企業という存在をそうした考え方に基づいて理論化しようとする思想が伝統的経済学では、極めて一般的である。そこでは企業とは、「会社を取り巻くあらゆる利害関係者と会社の間の契約の束(a nexus of contracts)」だと捉えられ、取引先との契約はもちろんのこと、株主・債権者・従業員・国・地方公共団体・地域住民など多くの利害関係者との間で契約が結ばれ、その集合体として企業が成立すると考える。
こうした枠組みでは経営者と従業員、さらにはそれが企業内部で幾層にもなった形態(経営者と役員層、役員層と上級管理職、上級管理職と中間管理職など)としての、上司と部下の関係も、すべて契約関係として捉えられ、交換を通じてそれが維持されていくと考えるのである。この契約関係の効果的運用の仕組みについて詳しく議論しているのが、いわゆるエージェンシーの考え方である。
米国の場合、こうした契約思想が、単なる学問の世界だけではなく、実態としても、企業と人との関係の根底にあり、特に企業の上層部にいくほど強い。そして普段は、会社はチームだとか、経営者と従業員のビジョンの共有などと一体感を強調してはいても、今回のAIGのように会社が危機的状況になると、働く人がこうした原則に立ち戻るので、契約履行のプレッシャーが表面に出てくる。いや、こうした考えが根底にあるからこそ、逆に言葉としての一体感の強調が必要なのかもしれない。
もちろん、AIGが金融セクターの会社であり、米国の雇用原則に親近感をもつ従業員が集まっていたということもあるだろうが、ほかの産業のトップの行動を見ていても、この原則への執着は強いように思う。AIGのCEOが本当に恐れていたのは、優秀な人材の流出ではなく、契約意識の表面化(不履行に対する訴訟)であったと考えられるのである。
でも、はたして企業や会社は、契約の束なのであろうか。いや、そう考えることがいいのであろうか。現在、企業を契約の束として見る考え方に対して、もう一つの捉え方が少しずつだが出てきている。それは、企業を「信頼関係の束」(a nexus of trust)として捉える考え方である。
では、信頼とは何なのか。日本(いや、世界の)信頼研究の第一人者、山岸俊男は、信頼を「社会的不確実性が存在しているにもかかわらず、相手の(自分に対する感情までも含めた意味での)人間性のゆえに、相手が自分に対してそんなひどいことはしないだろうと考えること」(『信頼の構造──こころと社会の進化ゲーム』40ページ)であると定義する。いうなれば、状況に不確実な要素があり、それに対応するため、相手は多様な行動をとるが、それが相手の自己利益のためだけに行われるのではないことを信頼するということなのであろう。
そして、山岸は、さらに安心と信頼を区別する。安心とは、上記の定義のなかで不確実な要素が減少することによってもたらされる感情だと考え、対して、信頼とは、そうした行動をとるときの相手の意図に搾取的な要素がないという評価だという。極端にいえば、不確実性の高い状況では、安心は欠如しても、信頼は成立しうるのである。
ちなみに、この定義は、特に経営者に対する従業員の信頼という面から見て、極めて示唆的である。なぜならば、経営者は企業経営のなかで、不確実性がないという意味での安心を従業員にもたらすことはできないからである。またもたらすべきではないのかもしれない。
逆に、上記の意味で、従業員に信頼された経営者は、企業の危機に対応するうえで多様な手段を活用できる。不確実性への対応は、多くの意味で従業員に対して、短期的不利益をもたらすかもしれないからである。それに対して従業員がどこまでコミットしてくれるか。そのことによって経営者がとることのできる選択の範囲が規定される。
例えば、以前にも、このコラムで書いたが、日本の企業がバブル崩壊のなかで危機に陥ったとき、そこから立ち直る過程で大きな資産となったのは、従業員が抱く経営者に対する信頼だったと考えることはできないだろうか。決して、経営者が従業員を効果的に活用するためのインセンティブ契約の適切さではなかっただろう。働く人のコミットメントとか、経営者に対する信頼とか、会社に対する愛着心とか、そうした要素があるからこそ、経営者は従業員に対して、短期的な不利益を受けることを要請できたのである。
リーダーが部下の信頼を得る
三つの道とは
同様のことは、企業の現場でも常に起こっているだろう。上司が信頼されたリーダーであり、また上司が部下を信頼していれば、現場の選択の余地は広がり、多くの試行錯誤やトライアルができる。そのなかから新しい展開が見えてくることは多いだろう。上司と部下の関係が、単なる設定された目標と達成度の評価という疑似契約関係が中心になった職場では、そうした自由度や柔軟性が低くなると考えられる。
どういうプロセスだとしても、組織や企業が、信頼関係の束として構築できている場合と、契約関係の束でしかない場合は大きな違いが出てくると考えられる。どちらがよいかは必ずしも決められないかもしれないが、重要なのは2点だ。一つは、いったん契約関係の束として企業をつくってしまうと、後戻りが難しいことである。契約を裏切ること自体が信頼の喪失につながるので、極めて難しい。ただ、同時に信頼が強ければ、契約を破棄する、履行しない自由度もある程度は確保できるのである。その意味で、現在わが国でも雇用関係に大きく「契約」の要素が増えているのがやや心配だ。もちろん、雇用とはいつでも法律的には契約だった。だが、成果主義や短期雇用の導入によって、雇用関係が実質的に、信頼関係から契約関係に移っていないだろうか。例えば、貢献と報酬を短期的にリンクするという方式は、いまや単に人事制度だけではなく、働く人のマインドに深く根ざしている。本当に「主義」と呼べる成果主義が普及しているようだ。また、雇用関係について、個別契約を明確にしようという動きもある。
もう一つは、当たり前の結論だが、経営者に限らずリーダーにとって極めて重要なリーダーシップ能力は、信頼構築であろうと考えられる。この点では私はあまり実態を知らない。経営者は働く人と信頼関係を築くことに多くの時間と労力を使っているのだろうか。私たちが最近行った(2007年、回答者約2800人)調査によると、「私の会社で経営者は信頼されている」という文章の当てはまる程度が低くなったとする回答者は約25%おり、高くなったとする回答者の約16%より10ポイント近く高い。
ただ、残念ながら、リーダーがどういうプロセスで部下の信頼を獲得するかについては、あまり研究の蓄積がない。数少ない研究から共通要素を拾えば、次のようになるだろうか。一つは自信である。自分ならできると信ずるこころ。二つめは高いコミュニケーション能力である。言葉でも行動でも構わない。人は表に現れたシンボルにしかついてこない。三つめは強い道徳観である。信頼とリーダーシップの関係についてもっと深い議論が必要だが、あまり多くは知られていない。
AIGのトップは、こうした信頼関係を構築していなかったので、ボーナスを払うという手段(と、それが人材の流出を防ぎ、企業再生に役立つという説明)しかなかったのではないだろうか。AIGの場合、信頼関係の欠如が再生への足かせとなるかもしれない。
思い出せば、小泉純一郎元首相は、
「無信不立(信無くば立たず)」と、一時期しきりに言っていたと聞いたことがある。論語の言葉である。










