職場の心理学 [216]
半年で1億7000万食!
「大ヒット納豆」誕生の秘密
容器の中にあるフィルムをはずし、たれの小袋を空けるのが面倒……。
気づいてはいても改良が実現しなかった納豆業界に、革新が起きた。
その裏ではどのような努力があったのだろうか。
家庭でのありふれた光景が
ヒントになった
信じられないことに、高度な買い手市場が成立している日本においてさえ、消費者は依然として、「ストレス」に悩まされ、大袈裟にいえば「忍耐」を続けている。この「ストレス」や「忍耐」からの解放は、新しいフロンティア市場を切り拓くチャンスになる。今回ご紹介する商品は、そんな消費者の抱く心理的負担を取り除くことで大ヒットに結びついた模範例である。
われわれ日本人がよく食べる納豆。この伝統食品には特段、ストレスの入り込む余地はないように思われる。だがこれまで「たれの小袋が開けづらく、指や服を汚すことがある」「はがしたフィルムがベタベタする」などの不快感を覚えたことのない人はいないのではなかろうか。ただ、これらはいわゆる「問題」とはいえない軽微な「面倒」としか見られなかったためか、納豆メーカーは積極的な対応をしてこなかった。
しかしこの軽微な「面倒」を解決すべく、真っ正面から取り組んだメーカーがある。食酢メーカーとして有名なミツカンだ。同社は2008年9月にたれの小袋とベタベタするフィルムを取り除いた「金のつぶ あらっ便利!」シリーズを発売し、09年2月までの半年間で実に1億7000万食を売り上げる大ヒットを勝ち取った。
同社は、納豆事業を始めてまだ10年余り。だがこの事業に入って間もない00年時点から消費者が納豆に抱くストレスを解消する方法はないかと取り組んでいた。当初、シールを引っ張ると納豆の上にたれとからしが落ちるという完成度の高い容器まで試作している。ところがこれはコスト負担が既存のものに比べて6倍超と高く、消費者の満足が得られないということで断念している。
今回の「あらっ便利!」は、06年12月からスタートした「納豆革新プロジェクト」の努力の結晶として誕生したものだ。同プロジェクトでは、研究開発、マーケティング、製造などの選りすぐりの人員が総勢数十名、横断的に組織されている。この強力な布陣で多面的な取り組みがなされたのだ。
まず情報の収集だ。新商品の開発の際に消費者の声で最も参考になるのはクレーム・データである。既存の商品に対する消費者からの体験的問題提起とそれへの対処が、改良型の新商品を生むことがしばしばあるからだ。今回の「あらっ便利!」もそんな改良型ヒット商品といえる。
ミツカンは、「お客さま相談センター」を持っていて、そこに同社の商品に対する苦情・不満や意見などが寄せられる。納豆に関しては前記の通り、これまで小袋の問題やフィルムの問題が多数寄せられていた。これはどこの納豆メーカーでも恐らく同じだろう。重要なことはこれらをシビアな「問題」として認識し、きちんと対処するかどうかだ。
ミツカンではこの問題の所在や程度を深く知るため、大量サンプルによるマーケティング・リサーチを実施している。08年7月に東京・大阪在住の20代から50代の男女800名を被験者としたウェブ調査を行っているのだ。この結果(複数回答)、納豆に関して「イライラする」と感じたこととして、フィルムに関わる問題(「ビニールのフィルムがつくと手が汚れる」64.3%、「ビニールのフィルムに納豆がついたり、糸が引く」58.5%)、および小袋に関わる問題(「たれやからしの小袋を開けそこね、中身が飛び散る」50.1%)などが明確に認識されている。
またこの調査とは別に、商品を市場化する前にトライアル調査を行っている。これは試作品を社外の約100名の被験者に実際に食べてもらって、生の意見を聞くというものだ。実践面では省かれがちなマーケット・テストを「あらっ便利!」の開発過程ではきちんと実践していたのだ。
無論、社外だけでなく、社内からの情報収集にも余念がない。今回インタビューにお答えいただいた製品企画課長の神林弘幸氏は、自身の家庭での体験がこの商品の開発に影響しているという。神林家ではお子さんが納豆を見ると、作りたがる。しかし子供に任せておくとたれやからしで手や服が汚れてしまう。仕方なく取り上げると、子供はワーワー泣き出してしまう。これを見て、主婦は苦労しているなと実感したという。子供のいる家庭ではありふれた光景を目の当たりにし、「それじゃ、変えよう」と神林氏は思い立ったのだ。
結論が出るまでに
100種類以上の容器が検討された
ただ、いくら消費者のニーズを解明し、優れた商品アイデアが浮かんだところで、それを実現するだけの能力(技術)がなければ単なる絵に描いた餅で終わってしまう。そうならずに具現化できたのは、ミツカンがもともと持っていた技術力に依拠するところが大きい。同社は「味ぽん」で有名な調味料メーカーである。食酢は発酵食品。そして納豆も当然、発酵食品である。ここに長年培ってきた「菌の技術」を生かすことができたのだ。
実際、これまで同社は多くの納豆菌をスクリーニングすることで、豆を柔らかくしてしまう菌や、臭いが抜ける菌を発見している。それは00年3月発売の「金のつぶ におわなっとう」、07年7月発売の「金のつぶ 超やわらか納豆とろっ豆」として具体化し、いずれも大ヒットを獲得している。
今回のヒット商品は、この二つの既存ブランドに「あらっ便利!」という新機能を付加したものなので、菌そのものの新発見は見られない。だが、技術力の高さに裏打ちされたイノベーションが随所に見られる。
例えば「とろみたれ」だ。これは旨みと甘みを含んだ独自のたれを煮こごりのようなゼリー状の半固体にしている。これが優れものなのは、箸ではつまめるけれど、納豆に混ぜるとスムーズに混ざるという点だ。「チキソトロピー」という静止状態だと固まって、滑らせるように力を加えると液状化する物質の現象に着目し、これをたれに採用することで小袋をなくしたのである。しかし最適なたれの開発は難渋を極め、実に100種類以上のレシピを作ってようやく完成にたどり着いたという。
また容器の開発には、それ以上の苦労があった。たれはできても、その配置がネックになったのだ。当初は容器の底に溝を切ってたれを溜めておき、ふたを開けてかき混ぜるだけで食べられる超簡便スタイルのものが考案された。だが、たれが豆の発酵に影響を及ぼしたり、逆に豆の菌がたれに影響を及ぼしたりすることがわかり、最終的に一体化は不可能との結論に至った。この厳しい結論にたどり着くまでに渦巻きタイプ、碁盤目タイプなど、トータルで100種類以上のプロトタイプが開発され、検討されたという。神林氏は、「容器って簡単にできるわけじゃないんですよ。金型がないといけないわけで、まず金属の型を全部つくるわけです」と当時の苦労を切々と語る。
そして最終的にセパレートタイプの容器が作られたのだが、これも紆余曲折し、今市場に出回っている三角形のたれスペースと台形の納豆スペースに落ち着くまでには多数のプロトタイプを検討したという。
従来の納豆に対して、たれの小袋以上に消費者がストレスを感じていたのは実は、豆の上に被せてあるフィルムだ。はがすと糸を引いて指がベタベタになり、置き場所にも困るアレだ。この厄介物をなくしたこともこの商品の大きな革新である。しかし、開発当初はこれを残そうという意見もあったそうだ。納豆の乾燥を防止するためには必要だったからだ。
ところが家庭用チルドビジネス副ユニット長兼製品企画部長の加藤秀人氏によると、「担当者は絶対そんなものはいやだ」と、非常に頑固に反対したという。それも強烈で、「そんなことならやめます。このテーマから降ろさせてください」とまで言い切ったというのだ。それで容器の反りを防止できるような構造設計がなされ、ふたの接着度を高めることで、フィルムを入れなくても乾燥しない容器が出来上がったという。ここには、商品開発力の素晴らしさだけでなく、開発担当者のほとばしるほどの商品へのこだわりが見て取れる。消費者の望むストレスフリーを実現できないような中途半端な仕事などできないという気概なのだ。ヒット商品を生み出すには、構成員によるこのような徹底したこだわりと意見を自由に言える組織風土が非常に重要といえる。
自由度の高い組織風土に関しても興味深いお話を伺った。ミツカンでは、商品開発のための内部のアイデア会議はかなり頻繁にやっているという。そしてそれだけではなく、さまざまな部署の個人が発案者となって新商品のアイデアを自由に出せるというのだ。発案者はいわゆる企画担当者となって、技術者とペアを組み、営業活動まで含めてすべてのプロセスを担当する。これによって新商品の開発は各部門ごとでぶつ切りにならず、発案者が最初から最後まで目を行き届かせて、責任を全うすることができる。
この稀有なシステムでは年功も関係ない。昨年発売されたわさび入りの納豆の開発者は、なんと入社1年目の新入社員だったという。
店頭で販売を盛り上げる
着ぐるみ作戦
「あらっ便利!」が大ヒットになった理由は、たれの開発と容器の革新がメーンであった。商品軸を根本から変えるような斬新なアイデアと試行錯誤を繰り返した開発担当者の血のにじむような努力により、驚異の成果が実現できたのだ。しかしどんなに優れた商品が出来上がっても、アピールの仕方や実際の販売が当を得たものでなければヒットには結びつかない。ミツカンでは販売面でも的確な対応をとり、大いなる成果に寄与していた。
同社は、この商品を売り出すに当たってテレビCMのほかに、小売店頭用ビデオ、60×30センチの大型宣材ボード、そして納豆をあしらった着ぐるみまで作り、積極的なプロモーション活動を行っている。
これらの活動を展開するうえで重要なのは「タイミングだ」とチルド営業第一課・課長の吉永智征氏は言う。今回のような戦略商品の場合、大規模なコミュニケーション活動が実施されるが、情報に触れた消費者が最寄りの小売店舗に出向いた際に、目的の商品が目立った場所に置いてなければ実際の購入には結びつかない。
そこで、大々的なCMを流した直後に買い物に来る消費者を想定して、スーパーの面取り(陳列スペース確保)をしておかねばならない。今回は商品を発売した5日後に首都圏でテレビCMを流したという。それゆえ、5日以内に消費者の手の取りやすい場所にきちんと商品を配置しておく必要があった。このような状況で、良い面を取るためには、日頃のつきあいがものをいう。この点について、驚くべき話を聞いた。吉永氏によると、「自分のところの商品、これはもうはずしたほうがいいですという提案もさせていただくことはよくあります」というのだ。これは同社が中長期的なスパンで小売店とのつきあいを考えているからであり、小売店の売り上げアップを第一に考えているからだ。このような相手本意の日頃の対応がいざという場面で、タイミングの合った絶好の面取りを可能にしてくれるのだ。
繰り返すように「あらっ便利!」の大ヒットは主に、消費者の日常的に抱くストレスに着目し、これを解消する商品を開発することによってもたらされた。だがそれだけではなかった。営業担当者による流通業者との日頃のつきあいといった地道な努力もヒット商品を陰で支える立役者となっていたのだ。










