ビジネススクール流知的武装講座 [217]

常識を打ち破る「創造的瞬間」のつかみ方

 
 

不況の時代、経済の構造改革にとって重要なのは
「創造的瞬間」の概念であると筆者は説く。
ダイエー創業者・中内功の創業当時の苦悩から、
その概念を明らかにする。

 
 
流通科学大学学長
石井淳蔵=文
text by Junzo Ishii

1947年、大阪府生まれ。神戸大学大学院経営学研究科博士課程修了。神戸大学大学院経営学研究科教授などを経て、2008年4月より、流通科学大学学長。専攻はマーケティング、流通システム論。著書に『ブランド』『マーケティングの神話』『営業が変わる』などがある。

平良 徹=図版作成
 
 

 

世界に類のない業態
「SSDDS」は
いかに誕生したか


 一瞬の経験を境に、様変わりの躍動を生む。事故で両足を失った人が水に入ったとき、つい足があった頃の動きをして泳ごうとする。しかし、バタ足はできなくなっているので、自由形の泳法では溺れてしまう。そこで、彼に新しい工夫が必要になる。水の中で悪戦苦闘するなかで、横泳ぎに似た横滑りの泳ぎ方を習得する。
 その瞬間は、まさに「創造的瞬間」である。「時間の流れが一瞬止まり、ある空白の時間が流れた後、今まで自分を縛り付けていたフレームの力が弱まり、逆に内的な創造性や連想力が活性化される」(森俊夫「未来の想起」、現代思想、vol25-12)その瞬間だ。われわれにも、考えてみればそうした経験はある。それは、運動面ばかりではなく、思考面においても現れる。
 その例を、わが国に流通革命を起こした中内功に見てみよう。創業当時のつい見逃してしまうような小さい経験、それが「創造的瞬間」となった。
 ダイエーが当初目指したのは、「単品・大量・安売り」、いわゆる単品主義の道だ。中内の言葉を借りれば、「『だしじゃこ』と『スカート』を合わせて一番の販売量を確保しても妙味はない。『だしじゃこ』単品で一番を確保したい」ということになる。店の売り上げがいくら大きくなっても、それが食品や衣料品などの商品の寄せ集めの数字であっては意味がない。「だしじゃこ」という単品で最大の仕入れ量を確保することで初めて、仕入れ先から有利な取引条件を引き出しうるというものである。
 この考えは、当時喧伝された「チェーンオペレーションの基本論理」である。特定品目に絞って、単品ベースで最大の仕入れ量を確保し、仕入れコストを下げる。その効果を十全に得るために、仕入れ機能を本部一カ所に集中し処理する、つまり「本部一括集中仕入れ」方式を採用する。この結果、商品の仕入れは本部が一括担当する。チェーン経営にはアメリカ発のこの論理が絶対不可欠だと、中内を含め、当時の研究者もコンサルタントも実務家も考えた。
 だが、中内は、現実のダイエー経営においては、この論理には従うことはなかった。従うつもりなら、食品チェーンか衣料品チェーンか、限定された商品に絞ったチェーンづくりに特化したことだろう。そうではなく、逆に、総合的な商品の品揃えを図っていったのである。その結果誕生したのが、世界に類のないSSDDS(セルフサービス・ディスカウント・デパートメント・ストア)という業態であった。


抽象的な言葉に昇華させて
経験を理解する


 1958年の神戸市・三宮への出店を嚆矢とし、ダイエーはこれを切り札業態にして、驚くほどの急成長を遂げる。創業15年目の72年には三越を抜いて日本一の売上高に達する。
 このSSDDS業態の成長ぶりを見たとき、アメリカの流通100年の歴史から帰納された「チェーンオペレーションの論理」に染まらなかったのがよかったということになる。翻って見れば、当時、このアメリカ発の論理に従ってチェーン展開を試みた企業は、ことごとく挫折する。そのことを思えば、中内の判断は際だつ。理論を理解しながらもその理論を乗り越えていったわけだが、それに対して、その当時日本経済新聞社の記者であった矢作敏行氏は「現実は理論を超える」と表現した。さて、中内は、いかにして理論を超える契機を得たのか、彼の著作や『中内功回想録』ほかの資料をたぐりよせてみよう。
 中内が「主婦の店ダイエー大阪本店」を千林商店街の一角に出店したのは57年。京阪線千林駅前に、面積はわずか97m2。敷金350万円、開店資金50万円で、主として薬を扱う店として開店した。だが、その場所は、「それまで何の商売をしてもうまくいかず、持ち主もあきらめて、倉庫にでも、…と考えはじめていた…」(『ダイエーグループ35年の記録』16ページ)いわく付きの土地だった。
 その地で、ダイエーは徹底した薬の安売りを目指した。だが、三軒隣の近所に同じように安売りで対抗する薬局があったため売り上げは伸び悩んだ。当時の店員の一人は、「毎日がヒグチとの戦争でした。とにかく、末角店長がたばこを一服して隣のヒグチへ行くと、もう値段が下がっている。毎日の目玉商品というのがあって、紙に書いて貼り出すんですが、朝、開店するときから戦争になるんです」と語る。「やっぱりあかんで。…。あの場所は何をやってもうまくいかんのや」という街の声も聞こえてきたという(『ダイエーグループ35年の記録』)。中内も困ってしまって、店に来るお客さんに「どういうものを買いたいか」と聞いたという。「化粧品を置け」とか「雑貨を置け」とか言われて、置いた。さらに「駄菓子も」と言われて、それも加えた。
 わからないものだ。その駄菓子がヒットしたのだ。どれくらいヒットしたかというと、店の売り場の半分が駄菓子売り場になったという。しかし、準備万端で始めたわけではない。仕入れ先の鶴橋製菓の社長が言うには、「運搬は鶴橋から千林まで約8キロをリヤカー付き自転車2台で1日2回、1台あたり一斗缶を14~16本、荷台に積んで運んできました」というくらいに慌ただしいものだった。
 中内自身、駄菓子の販売を始めた頃の様子を後に次のように語っている。「『ばんじゅう』というガラスのケースに蓋をして、200グラムとか測って売ることを始めた…。それを計りすぎて、220~230グラムぐらい入れておったら、お客さんが、『そんなことをしたらあかん。教えてやる。180グラム入れて、そのあと足して、205グラムくらいになったところで、『まけときますわ』と言って、足して渡しなさい。引くと商売にならん』と教えてくれた。そういうことでいろいろ商売のこつを教えてくれましたな」(『中内功回想録』)
 当初は、お客さんの注文を聞いてそれを袋に詰めて売っていたが、そこで、当時誰もあまり思いつかないちょっとした工夫を編み出した。駄菓子は、当時は量り売りが主。お客さんは、店の駄菓子を一つ二つつまみ、味見をして購入を決める。だが、そこで中内は考えた。「半透明のビニール袋に200グラム単位で駄菓子を詰めてホッチキスで封をする。それらを、あらかじめ積み上げておいて売る」というやり方だ。
 その当時、味見して買うお客さんが多い中、「あらかじめ詰め物にして売る」というやり方は必ずしもうまいやり方ではない。だが、中内のほうには、そうしなければならない事情もあった。「量り売りで販売を始めたものの、一時にお客さんがどっとやってくるので、1日終わると腰を痛めるくらいに対応が大変だったこと」や、「お客さんの来るのはだいたい午後遅い時間なので、それまでの時間、店は暇だったので袋詰めでも」という事情だ。
 だが、それでも、大きい紙に「もし味に不満があった場合には、袋とレシートを持ってきてください。そっくり全額返します」と書いて張り出した。苦し紛れではあったが、今流に言うと「プリパッケージ」と「セルフサービス」、そして「返品可」の商法に踏み込んだわけである。これが大阪のお客さんの心を捉えた。千林の店は押すな押すなの大盛況になった。
 駄菓子をプリパッケージしてセルフサービスで販売する方法を中内は編み出した。そして、こうした試みを「商品化」と呼んだ。中内の優れていたのは、この概念を打ち立てたことにあったと、私は思う。たんにうまくいった、売れ行きが伸びたというにとどまらず、その経験を「商品化」という一つの抽象的な言葉に昇華させて理解したことにあったと思う。


中内が見通した
小売りの本分
「商品化」とは


 彼の言う「商品化」とは、駄菓子の例でもわかるように、生産の論理でつくられ配送されてくる商品を、小売り段階で、消費者のために売りやすく、買いやすく、使いやすい形につくり直すことである。彼は、「小売りの本分はそこにあるのではないか」「小売りが提供するその価値こそが、小売業としての発展を約束するのではないか」と見通したのだろう。その後も、卵の透明パック、牛乳の紙パック、砂糖や米の小パッケージ化といった具合に、商品化を積極的に進めた。
 遡れば、「主婦の店」という名でスタートし、その後も「主婦のための、主婦による、主婦に喜んでいただける店づくり」を掲げてきた。中内の消費者に向けたその思いが、「商品化」の形をとったとも言える。この概念が生まれて以降、プリパッケージとセルフサービスを軸とするビジネスモデルが定まった。その後、「単品・大量型のチェーン経営による規模の経済性」に加え、ワンストップショッピングの経済を追求するやり方へと業態の重心を移していく。外から見れば業態変化だが、中内には商品化概念の発展形でしかなかった。駄菓子のヒットにまつわる「商品化」の概念の話は、回想録やいろいろの識者との対談に、中内の言葉として繰り返し出てくる。中内にとっても、これが自身の人生の転機だったのではなかったか。
 創業者の苦労を、試行錯誤の歴史として記述することが多い。だが、試行錯誤という脈絡のない活動だけで、投資や継続は無理だ。マイケル・ポランニーは、「暗黙の認識」の議論において言う。「たとえその正しさを立証する証拠が手元にないとしても、未来のカギとなる概念を掴み、それが達成される道筋やそれが実現したときの価値についての確信をもつことがある」(石井淳蔵『ビジネス・インサイト』岩波新書、近刊)と。
 世界不況のなか、経済における構造改革が切に望まれる現在、「創造的瞬間」の概念は重要だ。だが、その瞬間の経験が意識下に沈んでしまったり、組織のなかで「思いつき」と言われて陽の目を見ないことがあるのは、残念このうえない。誰もが、これまで、何かの折に経験しているはずの「創造的瞬間」。そうした瞬間がしかと存在することを、わが身にそしてわが組織に問うてみたい。
(文中敬称略)

 
 
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