ビジネススクール流知的武装講座 [213] 石井淳蔵
「誤算の連鎖」と価値創発のメカニズム
日常会話の過程では、話し手の当初の意図には
存在しなかった新しい現実が創発される。
この過程はマーケティングのモデルになりうると筆者は説く──。
共通するコードを
前提としない
コミュニケーション
企業が市場の消費者のニーズを調べ、何か価値を提案する。消費者はそれを受け入れ、そして商品としてヒットする。消費者の気持ちがメーカーに伝わり、それにメーカーが応え、それにまた消費者が応える。そこでは、企業と消費者の間では、ちょっとした思い違いはあってもすぐに修正され、だいたいは正確に互いの意思が伝わり合っている。
これは、企業と消費者との関係の一つのモデルだ。そしてこのモデルは常識にもかなっていて、別段とりたてて違和感もないはずだ。だが、企業と消費者との関係は、そのようなすっきりとした合理的な関係でもって捉えて、本当によいのだろうか。ここでは、それとは異なるもう一つのモデルを提案してみたい。
何かと何かが出会って、一つの価値が生まれる。それとともに互いの姿が変わる。両者にとって未知の姿が現れる。こうしたプロセスは、コミュニケーション・プロセスとして把握することでその性格を理解できる。ただ、留意したいのは、ここで言うコミュニケーションとは、話し手と受け手との間に共通するコードがないままに行われる、そうしたコミュニケーションを指していることである。「共通するコードを前提としないコミュニケーション」という考え方は、伝統的なコミュニケーション概念にはなかった考え方だし、常識にもあまりそぐわないかもしれない。普通は、「コミュニケーションとは、あらかじめ発信と解読のルールが定まっている」と理解されている。モールス信号や手旗信号はわかりやすい例だ。しかし、その種のコミュニケーションはごく限られた範囲でしか成立しない。奇妙に思えるかもしれないが、こんな事例だとわかりやすいだろう。
お父さん「雨が降ってきたようだね」
お母さん 「行くの、やめましょうか?」
お父さん「……、そうしようか……」
お母さん「ええ」
テレビのドラマに出てきそうなシーンだが、解説すると次のようなシーンになる。お父さんとお母さんは、どこかへ出かける予定がある。そして、朝食をとっている。食卓で向かい合わせに座っている。お父さんは、ふと窓の外を見て雨が降ってきたのに気づく。そして、そのことをつぶやく。これが始まりだ。
お母さんはそれを聞いて、「お父さん、出かけるのがイヤなんだ」と思う。で、「行くの、やめましょうか」と言う。お父さんは、それを聞いてちょっと驚く。「そういうつもりで言ったわけではないのに」と。しかし、「お母さんは行きたくないのかも」と、逆にお母さんに配慮して、「じゃあ、そうしようか」と答える。お母さんは、「やはりお父さん、出かけたくなかったんだ」と思ってうなずく。
こんな風景である。私たちの日常の生活においてもこのようなコミュニケーションの行き違い、そして行き違っても一つの秩序が生成する、こうしたことは多々経験していることと思う。だが、あらためて考えると不思議なことが起こっている。
意図を誤解しても
秩序が成立する
三つの不思議
第一に、会話を交わす中で、二人にとって意図しない現実が生まれている。お父さんは、別に「出かけたくない」と思って、雨の話を切り出したわけではない。お母さんは、出かけるつもりでいたのだが、お父さんの言葉を聞いて、「お父さんは出かけたくないのではないか」と配慮する。そして、お父さんの気持ちを打診する。お父さんは、その打診を、お母さんの行きたくない気持ちの表れだと思って受け入れる。二人とも、話を交わす以前は「出かけたくない」という意図はまったくなかったのだ。しかし、現実は、出かけないことになった。両者にとって、当初まったく意図しなかった現実が生成したわけである。
第二。メッセージの意味は、話し手の意図によって決まらずに、受け手の解釈によって決まる。お父さんは「雨が降ってきた」と言ったが、お父さんの意図としては、たんに天気が変わったことを口に出しただけ。だが、お母さんは、その発話を聞いて、お父さんの「出かけたくないという意図」だと察した。お父さんの意図とは関係なく、お母さんはお父さんの意図をそう解釈した。それを受けて、お父さんは、同じように、お母さんの本当の意図がどこにあったかとは別に、お父さんは、それがお母さんの意図だと解釈した。そして、さらに、お母さんは、お父さんの「そうしようか」の言葉を聞いて、自分の解釈が誤りではなかったことを追認した。
いずれの発話も、その発話の受け手の解釈によって意味が定まる。お互いの意図を見通すことができる神様の立場でこの二人の会話を見ていると、ことごとく相手の本当の意図を誤解した、誤解の連鎖であることがわかるはずだ。コミュニケーションにおいては、自分の言ったことを自分(の意図)で根拠づけることはできない。コミュニケーションにおいては、発話者がその発話の意味の根拠を決めるのではなく、受け手の承認の中で決まるほかない。
第三。この会話の中から、お互いに気遣いをもった大人の姿が浮かび上がってくる。このことは、全然、違った状況を想定するとわかりやすい。お父さんが「雨が降ってきた」と言ったときに、お母さんが、居丈高に「出かけたくないのなら出かけたくないと、ハッキリ言いなさいよ」と答えたとしよう。それに応えて、お父さんも、「そんなことはないよ。じゃあ、出かけよう」とちょっとアタマにきて答えるかもしれない。この場合は、いわば両者にとって最初の意図どおりの現実が生まれたことになる。だが、先ほどの「相手を思いやる人格」は影を潜めて、とげとげしい人格が生まれてしまっている。つまり、先の穏やかな会話のときとは違った「私」と「あなた」が、この会話の中で生まれている。
われわれは、何をどう努力しても相手の意図を見通すことができない。言い換えると、互いの意図が伝わり合って現実が生まれたのか、互いに誤解し合って現実が生まれたのかを知ることができるのは、その現実を天上から見ている神様以外にはない。一種誤解の連鎖ともいえるこうしたコミュニケーションのプロセスは、日常生活において普通に見られるものだ。そもそも違った宇宙をもつ他者とのコミュニケーションにおいて、一般的に見られるものなのだ。
発話の意味を決めるのは、発話者の意図ではなく応答者の応答であること。そして、その応答者による応答も、その応答を聞くさらなる応答者の応答によってしか、意味を得ることはできないこと。つまり、そのつどのコミュニケーションの中で何が起きているかは、そのつどのコミュニケーションの進行の中でしか決まらないこと。このことが意味しているのは、コミュニケーションとは、個人の心理や内面には還元されない、次々に新しい展開を可能にする(つまり、創発的な)社会的プロセスだということである。
なぜ価値は
使用と伝達の間で
生成するのか
話は抽象的になったが、述べたいことは単純だ。企業が消費者に向けて行うマーケティングとは、この誤解の連鎖のようなコミュニケーションに擬することができるのではないかというのが、ここでの考え方である。その由縁を明らかにしよう。
商品流通に関わるマーケティングや営業活動が、水道管か空気抜きのダクトにたとえられることが少なからずある。著名な経済学者が、インターネットが流行りだした頃、「これから、ネットを通じての取引が増え、それにより取引コストが低下する。その結果、流通の中抜きが起こってくる」と新聞紙上で語っていた。その事実の是非はともかく、その経済学者の考えのベースには、「流通は、水道管のようなプロセスだ」という理解が潜んでいるということである。水道管であれば、短ければ短いほどよいし、そもそもなければもっとよいということになる。媒介のための有効な技術が出てくると、その管は不要になる。
その経済学者は新古典派の学者だったが、研究の系譜をたどれば、マルクス経済学だってそういう立場をとりそうだ。かれらの理解は、商品の価値は工場や研究所において生まれて、消費者の手元で花開くものだというものである。図に描くと、図1のようになる。
これは、研究所や工場でつくられた価値が、何か水道管かダクトを伝わって伝達されて、使用者の手元に届くというモデルである。マルクスは、この議論を使用価値概念のところで行っている。価値的側面は特定の体制や歴史に依存するが、使用価値的側面は、いつどこで誰にとっても共通した普遍的・超歴史的・歴史貫通的なもの、つまり生産過程から生み出される客観的な製品属性に基づいているとする。
ここで注意したいことは、この「価値→伝達→使用」のモデルは、価値を意図に、そして使用を受け手に替えれば、先ほど述べたコミュニケーションの伝統的なモデル(共通コードが事前に存在するというモデル)と同じである。コミュニケーションの伝統モデルでは、意図(価値)は伝達を通じて相手(使用)にそのまま伝わるというものであった。
だが、先ほど述べたお父さんとお母さんの対話を、このモデルで理解しようとすると無理がある。図1と対照させて図式化すれば、われわれがここで提唱している関係は、図2のように表すことができる。
この図が示しているのは、価値は、使用と伝達の狭間で生成するというものである。先ほどの、お父さんとお母さんの天気についての会話を思い出せば、こうした図式の意味はよくわかるだろう。コミュニケーションのプロセスにおいて、何か当初の意図にはなかった新しい現実(価値)が創発する。私はこれこそが、私たちが毎日見ているマーケティングのモデルになりうるものだと思う。そして、このモデルこそ、流通・マーケティングは、たんに価値の水道管ではなく、価値を創発する存在であることを担保するのである。










