職場の心理学 [199]

マイクロソフト式「200のキャリア別」成長の手引き

 
 

「自分をどう成長させてくれるか」。
そんな期待を持って入社してくる社員に企業は何ができるか。
個人の成長と企業の成長を両立できるキャリア開発はありえるのか。
世界8万人の社員を対象としたキャリア開発システムにそのヒントがある。

 
 
文=溝上憲文  ジャーナリスト
text by Norifumi Mizoue
みぞうえ・のりふみ 1958年、鹿児島県生まれ。明治大学政経学部卒業。経済誌記者などを経て独立。経営、ビジネス、人事、賃金、雇用問題を中心テーマとして活躍中。『年金革命』『隣りの成果主義』など、著書多数。

イラストレーション=高橋常政
 
 

キャリア開発のよし悪しで
企業が選別される時代に


 顧客が商品・サービスを選ぶ「顧客本位」は今やビジネス社会の常識であるが、働く人の世界ではいかに集団を管理するかという「会社本位」の思想がいまだに幅を利かせている。しかし、優秀な人材の確保と定着がビジネスの帰趨を決める今日、働く人に選ばれる「労働者本位」の仕組みに変えていくことが重要な課題になっている。
 その一つがキャリア開発である。企業固有の特殊技能だけではなく、国内やグローバル規模で通用する能力を身につけたいというキャリア志向が近年高まっている。もちろん就職した企業に一生勤めたいという安定志向の学生も少なくないが、例えば中央省庁やメガバンクを蹴ってまで外資系金融機関やコンサルティング会社を目指すキャリア志向の東大生が増えているのも事実だ。優秀な人材を採用したいのであれば、キャリア開発の仕組みをきちんと用意しているかどうかによって企業が選別される時代に入っている。
 とりわけ年間の離職率10%前後と流動性が高いIT業界にとっては人材の確保と定着は至上命題となっている。目下、その課題にグローバル規模で取り組んでいるのがマイクロソフトだ。同社は2006年から「myMicrosoft」と呼ぶ五つのカテゴリーからなる人事改革に全社的に取り組んでいるが、その一つがキャリア開発だ。同社は新卒を含めて毎年400人強を採用しているが、キャリア開発に力を入れるには明確な理由が存在する。
「新卒や転職者は、マイクロソフトで働くことで自分が成長できる、キャリアを伸ばせると思って入ってくる人がほとんどだ。会社が自分の成長のために何を考えてくれるかという期待は大きい。逆にその期待に応えられなければ、ほかの会社に行ったほうが成長できると判断して離れていくだろうし、優秀な人ほど外部に引っ張られてしまう。会社にとっても成長する機会を数多く提供することで、本人が長期的に伸びていけばチームのパフォーマンスも上がるし、リターンも非常に大きい」(四方ゆかり・執行役人事本部長)

 一口にキャリア開発といってもその仕組みは個々の企業で異なる。5年ないし10年単位で“キャリアの棚卸し”と称する外部講師による研修のみでお茶を濁している企業もあれば、必ずしも仕事と直結しない資格取得や趣味の領域に属するスクールの受講を奨励する、単に福利厚生の延長としか思えないものをキャリア開発支援と呼ぶ企業もある。しかし、本来のキャリア開発は、成長したいと願う個人と事業の永続的発展を狙う会社の異なるベクトルを一致させることでしか実現できない。
 マイクロソフトは日々の仕事をベースに本人の成長を促す様々な“仕掛け”を用意している。中心となるのが07年からスタートしたMYCD(ミッドイヤーキャリアディスカッション)と呼ぶキャリア開発面談である。同社の中間期に当たる2月後半から3月までの約1カ月間にわたり上司と部下による一対一のキャリア面談を行う。実施に先立ち、経営トップから面談の趣旨や留意点、スケジュールなどが各マネジャー層に発信される。人事部主導ではなく「例えば営業、マーケティングごとに全世界の責任者である役員からマネジャーとして何をしなければいけないのかといった強いメッセージを直接発信する」(四方人事本部長)という力の入れようだ。
 面談に当たっては、その効果を最大限に発揮するための“仕掛け"がハードとソフトの両面から用意されている。ハードの基本となるのが全世界共通のキャリア開発システムだ。全世界8万人の社員が携わる職務ごとに約200に分類したキャリアモデルを構築。具体的には部下の歩んできたキャリアヒストリー、部下自身のキャリアプラン、それに対する上司の所見などがデータベース化され、それを部下と上司が共有している。
 まず部下は自分が目指すキャリアモデルのどの位置にいるのか、必要項目ごとに分けた能力レベルのセルフアセスメントを実施。自己評価に対し、上司の評価と所見が示されるなどキャリアモデルに沿って能力のアセスメントが上司と部下の間でできるようになっている。次に自分のレベルと職務に何が求められているかを把握したうえで、自らキャリアプランと必要なトレーニングなどの人材開発プランを作成する。上司はそれを見て自ら考えるキャリアプランなり、開発プランを入力するなど常にシステム上で双方向のやりとりができる。
 このツールを使うのはもちろん、マネジャーと部下だけではなく、マネジャーとその上司、さらにその上の上司との間でも行われる。
「最初に部下の自己評価に対し、上司は単にシステム上に書いたものを読むだけではなく、部下の自己評価を聞いたうえで持ち帰り、さらに上司としての能力評価を入力し、それを持って部下ともう一度話し合う場合もある」(四方人事本部長)
 システム自体は全世界共通であり、仮に上司がドイツに赴任していてもやりとりが可能であり、本人が米国本社に異動してもデータベースの持ち運びができる。ただし、これはあくまでもハード(仕組み)にすぎない。仕組みを活性化するためのサポート(ソフト)にも注力している。
 期間中に最初に開催されるのが、全社員が集まり、各分野の責任者が自らのキャリアヒストリーを語る「タウンホール」と呼ぶ会議で、キャリア開発への意欲を高めるための企画だ。会議に出席できない人は画面上で参加する「ライブミーティング」もある。

部下の不満は
評価によって上司に知らされる


 また、「キャリアフェア」と呼ぶ各職種のライブセッションも開催している。営業技術、サポートエンジニア、マーケティング、開発などの職種の部長クラスが仕事の内容や面白さ、キャリアの積み方について説明する。全部で8回程度のセッションがあり、終業時間後に近くのホテルなどを借りて開催する。例えば次はマーケティングをやりたいという社員にとっては興味のある職種を知るうえで参考になる。また、同社では中途採用する際は、部門ごとに募集活動を行っているが、外部からだけではなく同時に社内にも公募する。フェアの開催は社内リクルーティング活動の一環としてのメリットも併せ持つ。
 さらにキャリアコーチングも受けられる。外部のキャリアカウンセラーが担当し、現在の職種に合わないといった上司には相談できない悩みや目指すキャリアに対する客観的アドバイスなどを行う。昨年から始めているが予約がいっぱいになるほど人気が高いという。その他、現在のキャリアをより究めたいという人に対する外部講師によるトレーニングコースや将来のキャリアを見据えたキャリアの棚卸しを目的とする「キャリアエクスプレス」など多種多様なメニューを用意している。
 キャリア開発面談でより重要な役割を果たすのは上司の存在だ。上司の積極的関与を促す仕組みの一つが同時期に行われる全管理職を対象とする「マネジャーフィードバック」と呼ぶ部下による評価である。部下の育成などマネジャーの役割約20項目を部下が評価し、評価結果はマネジャーではなくその上の上司に通知される。例えば評価結果を受け取った部長は「結果をマネジャーに見せるのではなく、本人の強みと弱みを指摘する際に部下はこう見ているよ、といった話し合いをより意味のあるものにするために活用している」(四方人事本部長)。

 上司の言葉を通じてマネジャーに気づきを与えることで効果の高いキャリア開発面談を促すという狙いがある。
 同社ではマネジャーの裁量が大きい。例えば報酬制度自体は全世界共通であるが、評価をどうつけるかという評価権限はマネジャーに委ねられている。「極端に言えば、部下の半分が目標を達成できなければ査定ゼロも可能。あるいは全員が目標を達成したら全員を同じ評価にすることもやろうと思えばできる」(四方人事本部長)。
 権限が大きい半面、部下の不満はマネジャーフィードバックなどを通じて跳ね返ってくる。いかに部下の納得性と信頼性を得るかが人事評価やキャリア開発面談でも問われることになる。
 当然ながらいかに優秀なプレーヤーであっても、マネジメント能力に欠ける人材をラインマネジャーに据えれば職場の不満が高まるというリスクも発生する。必ずしも昇進だけがキャリアステップではないことを示すために、キャリアモデル構築の際に専門職としてのキャリアアップの仕組みを目に見える形で打ち出している。
「例えばキャリア面談の際に、人事のマネジャーになりたいという場合、部下を持つマネジャーに何が必要かという具体的要件がキャリアモデルに出ている。単に上に進みたいといっても部下をマネージし、チームを引っ張ることが難しい人もいる。本人の得意分野を伸ばすほうがいいと思えば、専門職系のキャリアの道を提案する場合もある」(四方人事本部長)

人材採用は
社内外同時に募集をかける


 自らのキャリアを顧みて、大きな仕事にチャレンジしたい人もいれば、新たなキャリアにチャレンジしたいという人も発生する。キャリアチェンジを可能にする仕組みが通常の異動とは別に実施する社内公募である。同社ではある部門で人材を必要とする場合、前述のように外部に募集をかけるのと同時に社内ウェブ上でも募集内容が公開される。ただし応募・面接に際しては事前に上司に相談する必要がある。
 上司に内緒で面接を受け、合格した後に上司に通知が行くという方式が最近は多い。これには上司が本人の希望を阻んでしまうことを防止する狙いがある。しかし、同社ではあえて上司と話し合いをすることを求めている。
「キャリア面談で、部下が3年間営業をやってきたが、次はマーケティングをやってみたいという中・長期のキャリアプランを上司との間で合意していたのであれば、上司も反対する理由はないし、驚かない。また、止めたいと思っても、本人が最終的に行くのをやめますと言わない限り、引き留めることはできない。むしろ応募に関して上司がアドバイスできる部分もあり、キャリア面談が活かされる場面でもあると考えている」(四方人事本部長)
 社内公募は全世界の情報が公開され、海外のマイクロソフトにも応募ができる。公募により米国本社に転籍した社員は昨年度だけで20人以上に上る。
 同社は社員満足度調査を毎年実施している。質問内容は大きく七項目に分かれ、その中には「リアライジングポテンシャル」、つまり自分の可能性を実現していくうえで、上司が自分のスキルと能力を上手に活用してくれる、自分が成長できる機会が確実にある、といった内容の設問がある。
 その中で「上司と私自身が自分のキャリアやプロフェッショナルな人材開発について意味ある面談を行っている」という設問がある。調査では「強くそう思う」「そう思う」の合計が、前年より5%高い75%に達した。また、リアライジングポテンシャル全体では前年より4%高い80%に達した。07年のキャリアディスカッションが終了した時点の調査結果であり、一連の取り組みが奏功していることが数字にも表れている。
 キャリア開発に注力する理由を改めて四方人事本部長に聞いた。
「グローバルに採用活動を展開しているが、とくにインド、中国では過去3年で計約5000人を採用するなど社員も増えている。小さなベンチャーから規模も大きくなるにつれて、マイクロソフトで働く意味とは何か、マイクロソフトに何を期待するのかが改めて問われている。ビジネスが国を超え、社員数もグローバルになっていくなかでもう一度、マイクロソフトが社員にとってどういう価値があるか、マイクロソフトのカルチャーを伝えていくことが重要だと考えている」
 マイクロソフトに限らない。グローバル市場で製品や技術が強い競争力を持つことも重要であるが、同時に世界中の優秀な人材から魅力ある企業として“選ばれる”存在であることもグローバル企業の要件である。

 
 
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