ハーバード式仕事の道具箱 [143]

愛される「鬼上司」になるには

 
 

組織や社会の変化につれ、恐怖をもって支配するリーダー像は
過去のものとなりつつある。
それでも鬼上司でいなくてはならない場合、
果たして彼らは同時に部下からの愛も勝ち取れるのか?

 
 

文=スコット・A・スヌーク
text by Scott.A. Snook

翻訳=ディプロマット

 
 

かの『君主論』で
マキャベリが出した回答とは


 500年近く前、ニッコロ・マキャベリは、かの有名な著書『君主論』の中で、「リーダーは愛されるほうがよいか、恐れられるほうがよいか」という問いを提起した。彼は、もし両方を併せ持つことが不可能なら愛されるよりは恐れられるほうが有効だという結論に達している。実際、この両方になれる人間はほとんどいないのだ。
 そもそも、人間という複雑な生き物は、白か黒かの二分法ですっきり分けられるものではない。人の行動というものはたいてい白と黒の中間、つまりさまざまな濃さの灰色のところにあるものなのだから。にもかかわらず、「恐怖か愛か」という二元的な問いは、歴史を通じ、リーダーたちにとって普遍的なものとなってきた。
 一世代ほど前までリーダーといえば、「恐れられるもの」というのが一般的なモデルだった。例えば、1950年代、60年代には、公立学校においてさえ教師による体罰が広く見られていた。そして、職場は概して階層的かつ専制的な場所であり、ルールに従っているかどうかに基づいてリーダーが一方的に報酬や懲罰を決めていたのである。
 しかし今日、ほとんどの先進国において、生徒を叩いた教師はただちに職を失うだろうし、職場においても、広く受け入れられるリーダーシップ・モデルとは、穏やかさを前面に出すものとなっている。
 世の中のリーダーシップ・モデルのこうした変化は、工業経済から情報経済への移行を反映している。かつて、製造工場では厳しいルールが必要であり、労働者はきわめて単純かつ明確な生産性の測定基準に基づいて報酬を与えられるものであった。
 だが、知識労働者に対してはそのような厳しさはあまり効果がないし、例えば、サービス業に従事する人々が常にリーダーの顔色を窺っていつもびくびくしていたのでは、顧客ににこやかに応対するのは難しいだろう。また、宣伝のような分野では、厳しい管理は社員の創造性や熱心な取り組みを妨げてしまう。
 しかし、先進国にさえ依然として「恐怖」に頼っているリーダーが大勢おり、多くの人々がいまだにそれに耐えているのだ。
 その理由の一つは、議論の余地はあるものの生徒や学生の間でのリーダーシップの一形態といえる「しごき」についてと同様、人々が恐怖モデルを「ここのやり方」として正当化していることだ。
 もう一つの理由は、耐え抜くことそのものにある種の達成感を感じる人間がいることだ。彼らは、きわめて要求の厳しい上司の基準を満たすことに満足感を覚えるのである。
 また、単純にエンパワーメント(権限付与)スタイルより専制スタイルの上司のほうが好きな者もいる。彼らは仕事をどのように遂行するかを自分で決めたいと思わず、単純に何らかのルールの下で行動することを好むのだ。さらに、部下に限界を超える努力を強いるような上司の下にいるほうが、最終的により大きな成功をつかめると信じている者もいる。
 このように、「恐怖型」の上司の下で働ける人間がいるのは悪いことではない。恐怖に基づくリーダーシップが必要な状況も依然として存在するからだ。例えば、原子力発電所などで働く人々を束ねる上司が、危険を防ぎたいというような場合。こういった職場では安全性が何より大切なのだから、行き当たりばったりで指導するのではなく、厳しい管理を徹底する手法が賢明であるといえるだろう。

専制的なリーダーが
愛を勝ち取ることも


 社員たちが、自分に合った会社を選んで入社する傾向があるのと同じように、リーダーも自分の気質に合ったやり方を見つけるべきだ。実際、厳格で専制的であり、さらに野蛮で無礼でさえあっても、人の上に立つのにふさわしいだけの威厳を持ち、自分の下で働く人々のことを心から気にかけているならば、リーダーは、大きな尊敬を勝ち取ることができるはずである。
 歴史上最も成功した大学バスケットボールのコーチの中に、冒頭に述べたマキャベリの発した「恐怖」と「愛」、両極のリーダー像を持つ人物が二人いる。テキサス工科大学のボビー・ナイトとデューク大学のマイク・シャシェフスキー、通称コーチKだ。ナイトは恐れられるタイプで、コーチKは愛されるタイプだったが、二人とも選手の中に熱烈な信奉者を持っている。率直なコミュニケーションと親身な支援を基盤とするリーダーシップ・スタイルをとっているコーチK。その考えに基づいて『Leading with the Heart』という著書を出したほどだ。
 それに対しナイトは、練習のとき選手の首を絞めるなど、彼の厳しい指導ぶりについては枚挙にいとまがないほど、「恐怖」型のコーチ生活を送ってきた。だが、そのようなしごきにもかかわらず、彼は、選手から途方もなく大きな忠誠心、そして親愛の念さえも勝ち得ている。
 これはなぜだったのか。まず、テキサス工科大学の選手は、自分がどのような環境に入るのかを承知でチームに入ってきていた。加えて彼らは、ナイトの激しい気性は彼という人間の切り離せない一部であるが、一方で彼が選手のことを心から気にかけていることをよくわかっていたのだ。
 これは、『君主論』から500年近く経った今でも、マキャベリから学ぶ教訓があることを示した一つの例である。力と脅しによるリーダーシップには確かにマイナス面があることは確かだ。最悪の場合、リーダーは、その地位を追われるだろう。現に、ナイトはその暴力的な行動のために一度、インディアナ大学のコーチの座を追われている。その後、すぐにテキサス工科大学に拾われたとはいえ、彼は、自らの専制的なスタイルを社会規範の変化に適応させることができなかったゆえに一度失敗した。
 しかし、一方で穏やかなリーダーシップが有効ではない場合がある。その場合は、やはり恐怖による支配が必要となってくるだろう。

できる上司ほど、
状況に合わせる


 成功するリーダーは、今自らが置かれた状況から発せられるシグナルを読み取り、それに従って自分のスタイルを適応させるものだ。そして、彼らは同時に自分の適応限界値もよく心得ているのだ。
 リーダーにとって、いわゆるストレッチ・アサインメント(現在の能力より少し上の能力が必要な任務)が、それまで気づいていなかった強みを表に引き出す機会になることもあるだろう。だが、その任務において、そのリーダーの適応力を超える形でのリーダーシップが必要な場合、結果は概して悲惨なものとなろう。

 
 
PRESIDENT 2008年5.5号
PRESIDENT 2008年5.5号
税込価格 650 円
売り切れ
 
PRESIDENT公式twitterアカウント

メールマガジン <プレジデントニュース>

 
 

「プレジデント」編集部員による取材現場でのこぼれ話やビジネスマンに役立つオリジナルコンテンツ、新刊書籍案内などを、週1回のペースでお送りいたします。

メールマガジン申込・登録変更