ビジネススクール流知的武装講座 [190]

次々と偽装を生む「情報の非対称性」のワナ

 
 
経済学者アカロフが用いた「情報の非対称性」という概念。
筆者は、これを偽装問題に応用し、原因を追及する。
 
 
一橋大学大学院商学研究科教授
小川英治 = 文
text by Eiji Ogawa おがわ・えいじ●1957年、北海道生まれ。一橋大学商学部卒業、一橋大学大学院商学研究科博士課程単位修得、商学博士。88年より同大学商学部勤務。ハーバード大学(86~88年)、カリフォルニア大学バークレー校(92~93年)でvisiting scholar。著書・訳書に『国際通貨システムの安定性』『金融経済入門』『金融リスク管理戦略』などがある。
 
 

なぜ偽装問題は
潜在的に起こりうるのか


 2007年は、「不二家」「石屋製菓」「赤福」「船場吉兆」など、食品の偽装問題が次々と顕在化した年であった。これらの偽装問題で驚きだったのは、個 人的には好んで食していたこれらの食品で偽装が行われていたこともあるが、それ以上に、確固たる「老舗」ブランドを築き上げていた企業が偽装問題を引き起 こしたことである。あれほどたくさんの偽装問題が顕在化したのがなぜ07年だったのかといえば、それはたまたま07年だっただけであり、06年でも08年 でもよかった。むしろ老舗企業で偽装問題が発覚したことがマスコミに多く報道され、それに誘発されて、次々と偽装問題が内部告発されることになったにすぎ ない。たまたま07年に、内部告発による偽装問題の発覚が「流行{はやり}」になっただけのことであって、偽装問題は常に潜在的に起こりうる問題である。

 なぜ偽装問題は常に潜在的に起こりうる問題なのであろうか。偽装問題の本質には、表示通りに正しく製品を製造しているのか、製造年月日を正しく表示して いるのか、といったように、生産者の行動が外部の消費者にはわからないということがある。当然のことであるが、生産者の行動は生産者自身がよく知っている 一方、製造に関わらない消費者は生産者の行動を生産者ほど正確には知りえないのである。すなわち、生産者の行動に関する情報について、生産者は自分のこと としてより十分な情報を持っている一方、消費者はあまり情報を持っていない。言い換えれば、製造に関わる情報について、前者は情報優位にあるのに対して、 後者は情報劣位にあるのである。このような状況は情報の非対称性と呼ばれている。
 生産者と消費者との間の情報の非対称性は、「老舗」企業に限った問題ではない。経済学においてこの情報の非対称性の問題を最初に研究対象として取り扱っ たのは、カリフォルニア大学バークレー校のアカロフという学者であった。アカロフは、「レモン」(果物のレモンではなく、中古車を意味する)を例に挙げ て、情報の非対称性の問題を考察した。「レモン」、すなわち中古車は、たとえ過去に事故を起こしていても、きれいに塗装すれば、その過去の事故の傷跡を隠 すことができる。過去の事故によって外装が傷ついただけであれば、塗装することによって元の新車と同様の状況に戻すことができる。しかし、もし事故によっ て車の内部に致命的な傷が達していたとき、それを完全に修理しなければ、将来、大きな事故につながりかねない。ただし、それは外見だけではわからない。見 た目きれいな「レモン」(中古車)であっても、その中身が傷んでいることがあるかもしれないのである。本当のレモンであれば、レモン生産者もその中身が傷 んでいるかどうか、見分けがつかないであろうが、中古車の場合は、少なくとも事故を起こした前のオーナーは知っているはずである。さらに、中古車ディー ラーもプロの目から見て、過去の事故歴を知っているかもしれない。ここに情報の非対称性が存在するのである。
 情報の非対称性が存在するときに、中古車ディーラーは、その情報優位な立場を利用して、情報劣位にある消費者に対して「レモン」(中古車)の中身が傷ん でいることを知らせずに、中身が傷んでいる「レモン」(中古車)を売りつけて、大きな利益を得ることができよう。もしその過去の事故歴を知らせれば、買い 手がつかないか、あるいは、とても安い値段に買い叩かれてしまうだろうから、中古車ディーラーが過去の事故歴に関する情報について口を閉ざしてしまうイン センティブになる。あるいは、この「レモン」(中古車)は、中身が傷んでいないし、むしろ無事故のよい「レモン」(中古車)だと偽って、(あたかも賞味期 限や内容物の表示を改竄するかのように)積極的に売り込みを図るかもしれない。これがまさしく、情報の非対称性の下で引き起こされる偽装の背景なのであ る。


生産者と消費者の
「情報の非対称性」


 製品に関する情報が生産者と消費者との間で非対称的である状況において、もし生産者に倫理(モラル)が欠如しているならば、生産者は、製品に関する情報 を偽っても消費者にはわからないと考え、製品に関する情報を偽って、不良品や欠陥品を消費者に売りつけるであろう。そして、実際にそのような行動が取られ たのが、一連の偽装問題である。
 生産者が情報の非対称性を利用して、このような行動を取ることはモラル・ハザード(倫理の欠如)と呼ばれている。生産者がモラル・ハザードを起こす前提 は、生産者が偽装してもそれが消費者にはばれないと高をくくっていることである。しかし、内部告発がないとしても、偽装、不良品・欠陥品はいずれ消費者の 目に見えるところとなり、消費者からその生産者の偽装を指摘されることになるかもしれない。偽装が消費者に発覚する確率は低いかもしれないが、偽装が明ら かになったときには、将来にわたって売上高に影響するから、偽装のもたらす損失は大きいであろう。もし生産者がそのように認識していれば、生産者のモラ ル・ハザードによる偽装に対して抑制効果が働くはずである。しかし、実際に偽装問題が多発した事実からして、偽装を行った生産者はその損失を過小に評価し ていたに違いない。
 なぜ「老舗」企業は自己の製品に対するブランドを築き上げていたにもかかわらず、そのブランドを失うような偽装問題を引き起こしたのであろうか? ま ず、情報の非対称性が存在するときには、消費者は、製造業者との間の情報のギャップを埋めるために、製品の品質に関する情報収集活動を行わなければならな い。しかし、消費者は、北海道のお土産として「白い恋人」を買うために、あるいは、お伊勢参りのお土産として「赤福」を買うために、実際にどれほどの情報 収集活動を行うであろうか? たかがお土産を買うために、情報収集活動のために多額の費用をかけようとはしないであろう。旅行用ガイドブックを読むぐらい であろうし、お土産を買うためだけの目的で旅行用ガイドブックを購入する人も少ないであろう。このように情報収集活動を節約したいときに、消費者は、ブラ ンドに頼ることになる。その際に、「老舗」であること自体が消費者の目からはブランドとなり、そのブランドを利用することによって、情報収集活動の費用を 節約することができる。
「老舗」というブランドは、定義上、長年にわたって生産活動を続けてこられたことを意味する。「老舗」企業が長年にわたって存続して、生産してきた製品 は、長年にわたって一貫してその品質がよいからだと、消費者は理解しているであろう。消費者は、このような「老舗」ブランドであることを根拠に、「老舗」 企業の製品の品質はよいものだと「信用」することになる。言い換えれば、消費者は、生産者との間の情報の非対称性の下で、前述した製品の品質を見極めるた めの情報収集活動の費用を節約したいために、「老舗」ブランドに頼って、「老舗」の製品の品質はよいものだと期待して、「信用」を「老舗」企業に寄せるの である。したがって、ある生産者が「老舗」ブランドをいったん築き上げると、その「老舗」ブランドそれ自体が消費者を引き付け、「老舗」ブランドでない場 合と比較して、より大きな収益を生み出すのである。その意味で、「老舗」ブランドは、パテントなどのように、それがその生産者に帰属しているという理由だ けでより大きな収益を得ることができる。それはまるで地主が土地を誰かに貸すだけで地代(レント)を稼ぐのと似ている。


「老舗」ブランドが
注意すべき二つの点


 ここで注意しなければならない重要なことが二つある。一つは、「老舗」というブランドは、定義上、一朝一夕には築き上げることができないということであ る。さらに、長年にわたって営業している企業がすべて「老舗」になりえるかというと、そうではない。長年にわたって品質のよい製品を提供し続け、そして、 消費者にそれが評価されない限りは、「老舗」とはなりえないのである。だからこそ、「老舗」というブランドは、価値を持つのである。このように、「老舗」 というブランドを確立するためには長年にわたる企業努力が必要なのである。実際には、「老舗」企業の創業者や先代がそのような努力をしてきたために、「老 舗」ブランドを確立し、現在の経営者は、その「老舗」ブランドから得られる「レント」を享受しているといえる。
 もう一つの重要なことは、ブランドや信用というのは、情報収集活動を節約するために製品選択の根拠にされている意思決定の判断材料であるから、その意思 決定の判断材料が、実はよい品質を表してはいないということを消費者が気づけば、消費者はその判断材料が製品選択の意思決定に利用可能でないと判断して、 利用しなくなることである。ブランドや信用は、それらに基づいて消費者がその製品はよい品質を持っていると期待しているので、その期待を裏切られれば、消 費者は、その「老舗」ブランドは、よい品質ではなくむしろ悪い品質を表していると理解するようになる。すなわち、ブランドイメージが毀損されたことにな る。
 これらの二つの重要な「老舗」ブランドの特徴を考え合わせると、「老舗」ブランドはいったん築ければ「レント」を稼ぐことができるものの、築き上げるに は時間を要するとともに築き上げにくいが、一瞬にして崩れやすいという特徴を持つ。「老舗」企業が、新たな商品開発をせずに、築き上げた「老舗」ブランド を維持して、「レント」を稼いでいるだけならばまだしも、情報の非対称性を悪用して、偽装を行うというモラル・ハザードはそのしっぺ返しとしてこれまで築 いた「老舗」ブランドおよび「老舗」ブランドから将来にわたって得られるはずの「レント」を奪ってしまう。そして、「老舗」ブランドを再び築き上げるに は、最初に「老舗」ブランドを築いたとき以上に、時間と労力を要することになるであろう。あるいは、二度と築き直せずに、永久に消えてなくなるかもしれな い。
 
 
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