ビジネススクール流知的武装講座 [188]
東大の挑戦!
「ものづくりの神髄」を
日本中に広める
筆者の率いる「ものづくりインストラクター養成スクール」では、これら技術の伝道に挑戦する──。
経済成長政策に欠けていた「現場論」
前回、「ものづくりインストラクター」の話をした。少子高齢化する日本が経済成長を続けるには、製造業・非製造業の垣根を越えた、異業種の現場間での「ものづくり知識」の共有化と、それをベースにしたイノベーションの積み重ねが重要である。そうした「開かれたものづくり現場」において、知識の企業間交流、産業間移転、世代間伝承をになうエージェントとなるのが「ものづくりインストラクター」にほかならない。そう論じた。
良い「ものづくり現場」では、「固有技術」と「流れをつくる技術」が車の両輪である。溶接や鍍金など前者の強化は無論必須だが、それだけでは固有技術の離れ小島ができるばかりで、産業は発展しない。国が大規模科学技術に資金を集中投入するのは100年の計としてはわかるが、それのみでは巨大先端技術の離れ小島は群生しても、新産業は生まれない。これらの固有技術・先端技術をつなぎ、顧客へ向かう付加価値(設計情報)の「良い流れ」をつくるのが「ものづくり技術」である。
わが国の技術政策は従来、固有技術偏重、巨大技術偏重の傾向が見られた。これを改め、市場へ向かう「良い流れ」をつくる方向に資源配分をシフトさせれば、これまで孤立していた現場同士がつながり、期待以上の収益を生むようになろう。日本中に眠っている潜在的な設計情報ストックが動き始め、経済価値を生み始めよう。国の経済成長策やイノベーション政策に欠落しがちだったのは、そうした「現場論」だと筆者は考える。
といっても、流れをつくる「ものづくり技術」に巨大な予算を投入せよ、と言っているわけではない。その必要はない。必要なのは、多少の資金と、企業や地域が考案する人材育成の仕掛け、経営者の理解、横展開の知恵、地域の粘り、そして現場人の意地である。それらが大きな相乗効果を生み出す。そこに気づき始めた企業、役所、自治体も少なくない。国のものづくり政策、企業のものづくり戦略は、今が転機である。
東京大学で試行してきた「ものづくりインストラクター養成スクール」は、以上のような考えから2005年度にスタートした、小さな実証実験である。ここで検証したかったのは、現場で何年もやってきた「ものづくり技術」のベテランは、他の現場でも、別の産業でも、異なる世代に対しても通用する、という仮説である。
最初の2年は経済産業省などの助成を受け、企業経由で参加した30人が「ものづくりインストラクター」として修了証を手にした。現在は内外の現場改善などで活躍している。07年度、スクール第三期は、事業としての自立化のため有料化したが、約10社の賛同を得て、07年も主に40〜50代の受講生が全国の現場から集まった。9月から12月の3カ月間、毎週金曜・土曜全日の集中講義、現場実習、成果発表を経て、先日修了式があり、「ものづくりインストラクター」は累計40人を超えた。
東大発インストラクター養成スクールの全容
「スクール」は、企業への募集、簡単な論文形式の入学審査、およびオリエンテーションから始まる。遠くは関西方面からも受講者が集まり、彼らは東京大学21世紀COEものづくり経営研究センター(MMRC)のある本郷界隈で金曜・土曜を過ごす。授業、討議、発表準備は朝から夕刻、さらには夜の飲み屋にまで続く。筆者も約50時間の基礎講義を行う。本来の大学の授業や試験採点も並行するので、10〜12月は事実上、週末も祝日もなく仕事をすることになる。カリキュラムを工夫し受講生を支援する有能なスタッフ陣も、土曜も含め残業が続く。
我々を側面支援する特任講師陣は、60代を中心とする、現場経営の猛者揃いである。元いすゞ自動車専務の佐々木久臣氏は完璧品質で知られる海外工場立ち上げのプロ。元三星電子常務の吉川良三氏は開発支援システム構築の草分け的存在。元トヨタ自動車生産調査部部長の田中正知氏はトヨタ方式の思想を極める伝道者。元アサヒビール専務の高井紘一朗氏は同社品質保証システムの構築者。元ホンダエンジニアリング取締役の伊藤洋氏は本田方式を世界に広げる。元川崎三菱自動車販売社長の田中正氏はものづくり技術のサービス業への展開に尽力。元ブーズ・アレン・ハミルトン日本法人代表取締役の半田純一氏は、現場重視派コンサルタントとして日本屈指と筆者が考える人物。彼ら自身がインストラクターの将来像そのものだともいえる。
スクールの二本柱は、座学と現場改善実習である。筆者の基礎講義は生産管理・開発管理の全領域を網羅することを眼目とする(図)。これに東大教授や特任講師の特別講義が加わる。さらにスクール後半には、異業種混成チームで実際の生産現場での改善を行う「実習」が加わる。本スクールの一つのハイライトである。過去、神奈川県の3社に改善実習の場をご提供いただき、07年は、いすゞ自動車藤沢工場のご厚意により、2本の生産ラインで改善提案を行った。
授業のカリキュラム構成のみならず、こうした異業種現場実習も、手本のない初めての試みであり、試行錯誤となる。が、07年期の現場実習は、いすゞのご協力もあり、一つの型ができたように思う。すなわち、生産トップ(取締役副社長生産部門統括 堤直敏氏、執行役員藤沢工場工場長 佐々木誠氏)のご理解、ご支援のもと、現場提供側である同社の現場担当者が、まず、比較的小さな改善の「宿題」(例えば某ラインでの省人化一人)を出す。スクールの改善実習チームはこれに応え、まずこの小改善に取り組む。こうした事前の意思疎通を通じ、現場提供企業との間に信頼関係を築く。こうして、工場の現場リーダーの皆さんのご協力を得て、現場観察、ビデオ撮影、データの収集・分析、改善提案の構想、発表資料の制作などをチームで進める。
一方、そうした「宿題改善」を行う過程で気づいた問題を起点に、受講生チームは、より視野の広い改善提案も行う。異業種混成チームゆえの多様な視点がここで生きる。実際、発表会で提案される改善の件数は、一チームあたり数十件に達する。事前の意思疎通が十分なら、改善提案実習活動は、現場提供企業にとっても実習チームにとっても、満足度の高いものとなりうる。
受講者は、いずれも企業の生産・開発現場で長年活躍してきた個性派揃いである。07年期は40代から60代まで、年齢がかなりばらつき、その間の世代間ギャップが心配だったが、結果的にはそれが、思わぬ成功を生んだ。世代間に補完的な協力関係が生まれ、絶妙のコンビネーションが見られるようになったのである。
むろん、スクール開講当初は、それぞれの現場で使ってきた言葉が違っているから、意思疎通は簡単ではない。それぞれ会社のプライドを背負っていることもあり、最初のころは、授業をやりつつ、「今年はまとまりが悪いかな」と思ったほどだ。
しかし、ある時期を境に、雰囲気が大きく変わった。例えば、人づくりにも熟達した年配メンバーが気を利かせて、授業後に皆を飲みに誘ったりしたようだ。自主的に、ハンドブック作成活動や改善提案の準備活動を始めるようになり、お互いに気心が知れてくる。そうなれば、一気に打ち解けていい形になってくる。年配者が後方からさりげなく支援し、元気の良い若手が前面に出て、発表会も活気づく。
異業種・異世代改善チームに活躍の場を
かくして、現場実習、チーム発表、および個人ごとの現場改善定石(改善提案を体系的に形式知化する当スクールの知的資産)の発表をこなし、3カ月のスクールを終えた受講生は、めでたく修了式を迎える。打ち上げの飲み会など大騒ぎで、もはや、同じ会社の忘年会よりも意気投合しているのではないかと見えるほどだ。受講生自身が苦労して醸成した、なかなかすごいネットワークが、ここにある。
これだけ多様な異業種・異世代の混成チームが、未知の現場で、短期間に改善提案をまとめていくのは、驚くべきことだ。筆者の想像の域をも超えて、ものづくりインストラクター集団は進化を続けているように見える。
こうして三期42人のインストラクターが世に出た今、我々は、彼らがつくり出す知のネットワークが、日本中でより大きな広がりを持つように、横展開の活動を強化している。
まず、インストラクター間の横のつながりを維持するため、インストラクター実践会、定石研究会などを年に数回のペースで行っている。それは東京大学に集まることもあるし、インストラクターの出身工場を互いに訪問し合うこともある。夜ともなれば近隣の温泉で懇親会、翌日は研修会、といった具合だ。すでにインストラクターの同期会も組織され、横の連絡は盛んである。
ものづくりインストラクターの活躍の場は、むろん自分の会社だけではない。すでに、インストラクターのうち数人は定年を迎えており、今後は他社、他企業での改善活動が増えるだろう。そうした人たちのために我々のスクールは、例えば日本能率協会と連携し、改善活動を希望する企業との橋渡しを同協会にお願いしている。県のレベルでも、地域の中小企業などで改善活動をボランティア的に実施する仕組みができつつあり、すでに、我々のスクールを修了したものづくりインストラクターが数人、チームを組んで某県の企業に出かけている。まだ会社に籍を置いている人は、有給休暇をとっての参加である。「インストラクター」は、会社に戻ってからも、あらゆる機会を見つけて、かつての異業種チームを再結成し、他産業での改善という武者修業を続けるべきだ。我々「スクール」もその橋渡しをお手伝いしていきたいと考えている。
このように我々は、「スクール」での実証実験を通じて、ものづくり知識は産業を超えて共有でき、他産業で通用する「インストラクター」は育成可能だとの確信を持っている。今度は、全国の企業、地域、国などが、そうしたものづくり知識移転の担い手を育成する「スクール」を立ち上げる番ではなかろうか。











