職場の心理学 [185]

頂点のサービスをつくる
「トンボの眼、ダンボの耳」

 
 
「マニュアルを超えたその人だけへのサービス」を顧客に提供するには、
どんな心構えが必要なのだろうか。「接客のカリスマ」と呼ばれる元ホテルマンが、
長年の経験をもとに、感性を磨き顧客の心を捉える方法をお伝えする。
 
 
元ホテルオークラ宿泊部副部長/サービスコンサルタント
蔵田 理 = 談
Osamu Kurata
くらた・おさむ●
1953年生まれ。東京YMCA国際ホテル専門学校を卒業後、ホテルオークラ入社。18年にわたり玄関、ロビーを担当するサービスマンのスペシャリストとして勤務。ホテルマン生活30年間で約3000人の新人指導の実績を持つ、接客のカリスマ。著書に『上客がつくサービスつかないサービス』がある。
中島 恵 = 構成高橋常政 = イラストレーション
illustration by Tsunemasa Takahashi
 
 

マニュアルを超えた
「紙一重上のサービス」とは

 お客さまに満足してもらうために最も大切なことは、お客さまを観察する「トンボの眼」と、お客さまの声を聞きとることができる「ダンボの耳」を養い、サービスマインドを磨くことである。

 ホテルのベルマンは、玄関で誰よりも先にお客さまを目にする。その瞬間に「トンボの眼」で観察すれば、お客さまが重い荷物を持っていないか、足をひきずってはいないか、一番にお客さまの視覚情報を得ることができる。また、情報をキャッチする「ダンボの耳」を持つことで、何気ない一言を聞き漏らさずサービスに生かすことができる。

 たとえば、客室係が廊下を歩いていたときに、お客さまが「いやぁ、昨日空調の効きがあまりよくなくてさ、寒かったな」と、ほかのお客さまと話していた会話が偶然聞こえてきた。そこですぐに「あ、空調が壊れたんじゃないかな」と思いチェックしてみると、確かに温度が上がり切っていなかった。ここできちんと直しておけば、翌日は正常な空調を提供することができる。

 お客さまが直接自分に言ってきたことでなくても、お客さま同士の会話を聞き漏らさずにキャッチしたことで、空調の具合をすばやく直し、そのお客さまは快適に過ごすことができた。もしかしたら、そのままにしていても、お客さまは「たいしたことじゃないから」と思い、わざわざクレームとして言わなかったかもしれない。しかし、もし、会話を聞き漏らしていたら、翌日も空調は壊れたままで、結局お客さまは体調を崩してしまい、苦情となって跳ね返ってくるかもしれないのである。

 私が30年間勤めたホテルオークラでは「紙一重上のサービス」を提供するべく取り組んでいる。それはちょっとした言葉遣いであったり、お客さまに提供する情報であったりする。それぞれのお客さまをよく観察して「今、この人が求めているものはこういうことかな」と情報を探りながら接客することで、お客さまの気持ちや状態を知り、満足していただける。

 いくつか例を挙げてみよう。まず、ベルマンならば、タクシーが到着したときにメーターを見る。だいたいどこからどのぐらいの距離を走ってきたのかという想像がつく。新幹線を降りて東京駅から来たのか。あるいは近場の地下鉄駅から来たのか。その情報を頭にインプットしておけば、いざお客さまから「今日はけっこう道が混んでいてね。時間がかかったよ」と話しかけられたときにもスムーズに受け応えしコミュニケーションできる。

 お客さまの荷物を持つときも、まず名前を確認し、ネームタグがついていれば「○○様、いらっしゃいませ」と名前をつけて呼びかける。また、買い物などでクレジットカードを出された場合は、名前が書いてあるので、「○○様、ありがとうございます」と言えば、画一的なサービスではなく、その人だけへの特別なサービスに変わるだろう。

 こうしたことをやってみるだけでもお客さまの反応を知りワンランク上のサービスを提供できるだけでなく、コミュニケーション力も膨らんでいく。本当のサービスというのは、マニュアルに書かれたありきたりの言葉を超えたところにあり、そこから先の「紙一重」で勝負するものである。

 お客さまが求めている「ニーズ」に応えるのは当たり前であって、本当のサービスは心の奥にある「ウォンツ」をうまく引き出して、それに見合うものを必要なときに提供することである。これはサービス業のみならず、あらゆる仕事に応用できることと思う。

 ある日ロビー近くの売店で「○○新聞をください」「申しわけございません。○○新聞は本日売り切れてしまいました」というやりとりをたまたま通りかかって聞いた。「たしか○○新聞なら事務所にあったな」と思い、事務所に引き返して新聞を取り、ロビーでほかの新聞を読んでいるお客さまに「どうぞ、○○新聞でございます」と差し上げたところ、大変感激していただいた。この出来事以来、このお客さまは私の顧客となり、名前を覚えて指名してくださるようになった。

 またあるとき、レストランで写真をテーブルにおきながら食事をしている初老の紳士がいた。それに気づいたウエーターが「もしかしたら亡くなられた奥さまの写真を見ながら食事しているのかな」と思い、写真たてを用意して喜ばれたというエピソードもある。こういった気遣いは「ニーズ」ではなく「ウォンツ」をうまく引き出した例だといえる。

待たされていると感じる
「30秒ルール」

「目は口ほどにモノをいう」ということわざもある通り、サービスではアイコンタクトも重要である。欧米人にとってアイコンタクトは幼い頃から身についている自然なものだが、島国で育ったシャイな日本人にはどうも苦手なものだ。しかし、アイコンタクトを取れるかどうかで、その人のサービスレベルは違ってくる。気になるのは、レストランで会計のときによく見る光景だ。お客さまが伝票とお金を出して従業員がレジを打ち、おつりとレシートを渡すまでの一連のやりとりのなかで、ひどい場合は一度も顔をあげず眼を見ない従業員がいる。口先では「ありがとうございました」と言っているのに眼は全然相手を見ていない。

 私はレストランの従業員を対象に研修を行う際には「最低3回はアイコンタクトをしなさい」と話している。レジに来たとき、お金をお預かりしたとき、そして、おつりやレシートを渡すときである。また、お客さまを体全体で受け止め、お客さまに骨盤を平行に向け正対すると「なんとなく、この人は感じがいいな」とお客さまが感じるのはこうした微妙なしぐさや立ち位置がきちんとできている場合だ。

 お客さまをしっかり見ていれば、お客さまのMeサインを見逃がすこともない。Meサインとは「私を見てちょうだい」というサインで、「自分を見てもらいたい」「こっちに気づいてほしい」という承認欲求の表れである。それに応えるまでのタイムリミットは30秒。それを過ぎると「待たされている」という感情が芽生えてしまう。待っていただいている30秒以内にアイコンタクトをしたり、「すぐにお伺いします」といった言葉を投げかけたりしておくべきである。「あなたの存在をわかっていますよ」と示すことができれば、お客さまはイライラすることはない。

 Meサインをキャッチし対応することによって、満足を与えることができる。

「指先に眼をつける」ことも重要である。トイレやバスタブを掃除している人はいつも上から見下ろしているので、実際に使うときのお客さまの視点にはなりきれていない。つまり、自分が日頃行っている行動では、見える部分には限りがあり、見えない部分もあるということだ。お客さまがバスタブに浸かって目線が低くなると、ふだんは見えない汚れが見える。高いところにある額縁も、上にたまっている埃はよく見えないが、触ってみるとわかる。

 これは接客業にも当てはまることで、いつも接客する側に立って見るのではなく、お客さまの視点に立って見ることが大切。立場を変えてみることで、まったく違う感じ方や考え方がわかるからだ。お客さまの立場になってみると自分の何が見えるだろうか。表情、身だしなみ、姿勢が見えるのではないだろうか。これはどんな人間関係にもあてはまることである。

感性を磨き
頭を柔軟にする訓練を

 接客業では「お客さまを言い負かしてはならない」という鉄則がある。この場合、「言い負かす」というのはお客さまを全面的に否定することだけでなく、指示をするような口調でもお客さまは気分を害すことがある。たとえお客さまが間違っていたとしても、こちらは一歩も二歩も引き下がって寛大な気持ちで接することが必要であり、言葉は時として相手の自尊心を傷つけてしまうことになる。

「トンボの眼」と「ダンボの耳」で接客のサービスマインドを磨くには、視野を広げる訓練も必要となる。レストランのマネジャーに聞いた話を紹介しよう。

 オーダーを伺うとき、お客さまの心が決まった瞬間にオーダーを取るのが一番よいサービスとされている。では「オーダーが決まった瞬間とはどこですか?」と聞いてみると、大半の人は「メニューを閉じたとき」と答える。でも、メニューを閉じたときはもう心が決まったあとだ。決まった瞬間、メニューを閉じる前にお客さまのところに立つにはどうしたらよいだろうか。

 メニューを見てページをめくっているうちにお客さまの視線が落ち着いて一点で動かなくなる。そのときこそ、オーダーが決まった瞬間だ。お客さまの目の動きを見ているとわかるようになる。一流のウエーターになるとお客さまの背中を見ているだけでもわかる。心が決まった瞬間に安堵感で背中の緊張感がふっとほぐれるからだ。何事も意識して見ようとすることで、よく見えてくるようになるのである。

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 観察眼や感性を磨くのに特別な訓練をする必要はなく、日頃のちょっとした心がけでできる。たとえば、一駅手前の駅で降りてふだんとは違う町並みを散策してみたり、一本違う通りを歩いたりするだけでもいい。他人のちょっとしたしぐさや何気ない動作を見て、「この人は今どんなことを感じているのかな」と想像してみよう。日常生活をマンネリ化させずにちょっとしたことでも敏感になる訓練をすれば、ぐっと感性が磨かれ頭が柔軟になるはずだ。

「要領がいい」という言葉がある。一般には「無駄がなく、手際がよい」という意味と「表面だけはいいように見せかけ、実際には手を抜く」といった、どちらかというと少し悪い意味に使われることもある。

 しかし、このようにも解釈できる。要領がよいとは、要と領がよい、と。これは人間の体で要は腰、領は首筋を意味し、腰から首筋までがきちっと伸びている、すなわち姿勢のよさを意味するのである。これは人間がやる気になったときの姿勢でアスリートを見ているとよく理解できる。フィギュアスケートの浅田真央選手がミスなく演技を終えて「やったー」とポーズを決めたときのすーっと伸びた姿勢や、水泳の北島康介選手がスタート台に立ったときの「さあ、これから」というときの姿勢を想像していただきたい。

 心と体は表裏一体、失敗して落ち込んでいるときは、人間は姿勢が崩れ、自然とうつむいてしまう。そんなときは元気も出ないし、人にもよい印象を与えない。身だしなみと同様、健康でいて、よい姿勢を保つことは相手に信頼感とよい印象を与える。これこそ、体の中から発するノンバーバル・コミュニケーションである。

 私は後輩や新人たちに「サービス業は年間365日、24時間営業だから欠勤はない」と常々伝えてきた。「欠勤」という文字が自分の頭の中にあると、体の具合が悪くなったり、休むようになる。だから「欠勤」という言葉を頭から消してしまい、「あなたの代わりはいないんですよ」と口をすっぱくして言うようにしている。そのようなプロ意識を持てるか否かが重要である。どんな仕事でも楽な仕事はなく、自分の控え選手がいる仕事は少ない。

 どんな仕事でも全員が一軍のレギュラー選手である。その選手が一人でも欠ければ戦力ダウンしてしまい、仕事の質は低下する。一人ひとりが「トンボの眼」と「ダンボの耳」を養って誰にも負けないマインドを持つことが非常に大切なのである。

 
 

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