スペシャル・レポート
病児保育から途上国支援まで、新しい「担い手」たちの横顔
「世直し」を「商い」へ 社会起業家の挑戦
困っている人を助けたり、誰もやりたがらないことをやるための手段は
「チャリティ」である必要はない。「ビジネス」の手法を使って、
持続可能な「世直し」の仕組みをつくるという最先端の動きを追った。
「地球上から貧困をなくす」。そんな壮大な夢を現実に変えつつある人物がいる。バングラデシュのグラミン銀行創設者、ムハマド・ユヌス氏だ。ユヌス氏のように、社会の抱える多様な問題の解決に、事業として取り組む人を社会企業家と呼ぶ。ユヌス氏が昨年のノーベル平和賞を受賞し、今夏、外務省の招きで来日したことで、社会起業家という耳慣れない言葉の認知度も一気に高まった。
今年は「日本の社会起業家・元年」だといわれており、関連書籍が相次ぎ出版、メディアで特集が組まれるなど、ちょっとしたブームが生まれつつある。社会企業家育成を目的とした講座やコンテストも花盛りだ。
そうはいっても「社会起業家とは何か?」との問いに、きちんと答えることは難しい。
社内ベンチャーならぬ、社内NPOの活動に励む会社員、株式上場も視野に入れる起業家など、本稿で紹介するケースも活動の形態はさまざまで、「外部から指摘されるまでは、自分が社会起業家だと意識したことはなかった」と戸惑う人も。社会起業家の定義には種々の解釈がある。
一般的には、営利企業のビジネス・スキルや経営能力を使って、社会貢献のための組織をマネジメントする人のこと。
運営形態は「事業型NPO」のような非営利組織でも、株式会社のような営利組織でもよく、「ソーシャル・ベンチャー」と呼ばれることもある。重要なのは、「キャッシュフローの追求」と「社会問題の解決や、社会変革の推進」の二つの機能を併せ持つ、自律的でサステナブルな組織であることだ。
告発や糾弾だけでは社会問題は解決しないし、従来の多くのNPOのように、ボランティアの善意や寄付、助成金だけに頼っていては、持続することが難しい。ユヌス氏が広めた「マイクロクレジット」のように、社会変革の起爆剤となる、画期的なビジネスモデルの構築が理想的なのだ。もちろん経営力も重要で、たとえば発展途上国の教育を支援する「ルーム・トゥ・リード」のCEO・ジョン・ウッド氏は、前職のマイクロソフトで身につけた経営手腕で活動を拡大し、「マザー・テレサのハートと、スターバックスの拡張性の融合」と喩えられている。
山積する難題への対応には、社会起業家の力が不可欠だといわれる。イギリスでは財政難による福祉の縮小で生じた問題を、社会起業家を育てることで解決しようとした。行政のスリム化に伴い、これまで官が担っていた社会的サービスを民に委ねる動きは、日本でも起こりつつある。環境、福祉、教育など、取り組むべき分野は幅広い。社会起業家への期待が高まるのは時代の趨勢でもあるのだ。
厚生省も注目した
在宅介護のパイオニア
だが、社会起業家という言葉が認知される前から、地道に活動を続けてきた人たちも多い。その代表格が、NPO法人ケア・センターやわらぎ代表理事の石川治江さんだ。
20年前、当時としては画期的な、24時間、365日の在宅福祉サービスを開始。介護サービスを「可視化」するための独自システム「ケース管理業務支援情報システム」を開発した。また、ニーズを把握して最適のケアプランを作成するコーディネーター(介護保険制度ではケアマネージャーと呼ぶ)の育成にも力を入れたのだ。
在宅ケアのノウハウが詰まった「やわらぎ」のシステムは高い評価を受け、2000年施行された介護保険制度のモデルとなったといわれる。「今の事務次官など、厚生省(当時)の担当者がしょっちゅう来てました。で、資料を全部抱えて持って行こうとするから『ダメだ!国からは1円ももらってないんだから持って行くな』って怒ったのよ」と石川さんは豪快に笑う。「でも、うちのシステムを真似て国が制度設計したことは構いません。だってそれで広がっていくんですから」
石川さんは出産を機に国際羊毛事務局を退職。居酒屋を経営していた78年、友人に誘われて、障害者が暮らす施設を訪れた。そこで出会った障害者の人たちと、立川駅にエレベーター設置を要求する運動をはじめたことが、活動の原点になる。「出発点は世間に対して感じた『怒り』かな。ケンカっ早いし、乱暴者で有名なんですよ(笑)」
8年間ボランティアとして障害者の生活を助けた経験から、在宅ケア・サービスを継続して提供できる仕組みづくりの必要性を痛感した。当時の公的サービスは週に18時間の家事援助だけ。頼みの綱はボランティアだが、それでは安定した人手が確保できない。有償のサービスを確立することが最善策だと、「やわらぎ」の立ち上げを決意するのだ。
有償といっても、ケアする人とされる人を仲介する「やわらぎ」は料金をとらなかった。近隣の市からの助成金では運営費をまかないきれず、自分のお金もつぎ込んだが「10年後には見事に貧乏になっちゃった」と笑う。「でも、お金がないから知恵が出る。夢のあとからお金と人はついてくるんですよ」
「これ以上は無理」と判断し、97年に「社会福祉法人にんじんの会」を作った。2000年には「やわらぎ」がNPO法人の認証を取得。現在は社会福祉法人とNPOの両輪で、介護老人福祉施設の運営や訪問介護などの介護保険事業を中心に行う。事業所は立川市や国分寺市など13ヶ所、ヘルパーを含め約630人のスタッフを抱える。合言葉は「介護はプロに、家族は愛を」だ。
有償のサービスに対する批判など、逆風もあったが、「叩かれればファイトが沸く。外敵には強いんです」。社会福祉法人にありがちな“天下り”も断固拒否する。「私から仕事を取ったら何も残らない」というエネルギッシュな団塊の世代だ。
28歳独身の青年が
「病時保育」に風穴
30年前から有機農産物の宅配や共同購入を行う株式会社「大地」の藤田和芳社長など、日本の先駆者には団塊生まれが少なくない。さらに特徴的なのが、“ホリエモン事件”をきっかけに拝金主義のベンチャー企業に失望した20代から30代前半の人たちが、社会起業家や社会貢献に高い関心を寄せていること。実際に起業する例も多い。
「失われた10年」を経て、仕事や成功に対する価値観が変わってきたことの象徴ともとれるが、「人のために何かをやりたいという彼らの発想は、ちょっと卑しいし嘘っぽい。結局は『自分が必要とされたい』という自分の問題でしょう? それを『世の中の役に立ちたい』という言葉に置き換えているだけ」と石川さんは厳しく諭す。「でも、それがきっかけで本当にやりたいことに出会えればいい。そういう意味では応援している。私が若者たちを怒るのは、愛のムチなの」
東京12区で病児保育事業を展開するNPO法人フローレンスの駒崎弘樹代表理事も、石川さんの叱咤激励を受けるひとり。学生時代はITベンチャーを共同経営していたが、2003年、慶応大学卒業後に「フローレンス」を立ち上げて社会起業家に転身した。
28歳という若さと、時代のニーズに合致した従来にない事業モデルが注目され、メディアに引っ張りだこ。若い世代にとっては、彼がひとつの目標になっているようだ。
病児保育を選んだきっかけは、ベビーシッターとして働く母親から、子どもの看病で会社を休んだために勤務先をクビになった女性の話を聞いたこと。仕事と子育てが両立できない社会の現状に衝撃を受けた。
調べてみると、保育園では病気の子どもを預かってくれないことがわかった。病児保育の専門施設はあるが、数が非常に少ない。補助金を受けているために制約に縛られ、経営はほとんど赤字だという。
ニーズはある。ならば「経営が成り立つ事業モデルを作ればいい」と、試行錯誤の結果たどり着いたのが、「脱施設」「会費制・共済型」の運営方式である。施設を持たないことで経費は抑えられる。連絡を受けると、地域の子育て経験者や看護師、保育士などが出向き、自宅や子どもの家で病気の子どもを預かるというシステムだ。
2005年4月からサービスを開始。会費制(子どもの発病率に応じて月5000円~1万円。利用は月1回は無料。二回目からは実費)にすることで、キャッシュフローも安定した。現在の会員は300世帯。今年6月には黒字化を果たしたが、NPOなので銀行からの融資が難しい、需要に対し供給(保育の担い手)が不足するなど課題も多い。
誤算もあった。「みんなに感謝されたい」との動機ではじめた事業だったが、医療や保育業界から激しい反発をくらったのだ。施設型の病児保育を行う“旧勢力”からは、「子どももいないアンタに何がわかる!」などと、相当なバッシングを受けたという。「ほめてもらえると思ったら、9割の人からダメ出しされた。そのうち1割は人格攻撃。『おまえはニセモノだ』と怒鳴られたり、金儲けのための事業だと勘違いされて叩かれたり。他府県なら利用者の奪い合いにはならないのに、学び合おうとしないのも不思議です」と、風当たりのキツさに、つい泣き言がもれる。
厚生労働省に求められるまま、仕組みを説明し、研修マニュアルを見せたところ、数ヶ月後に「フローレンス」のモデルによく似た「緊急サポートネットワーク事業」が立ち上がったことも。これには激怒したが、先の石川さんに「パクられたことを誇りに思いなさい。ケツの穴の小さい男ね!」と諌められた。
マイクロファイナンスの例でも明らかなように、社会起業家の事業モデルは、他の団体、地域へと伝播してこそ、社会変革につながる。目的は社会問題を解決することだと再認識した駒崎氏は、フローレンスのノウハウを公開し、全国の事業者と共有するための基盤作りに注力している。今夏からは、港区の委託を受けて施設型の病児保育にも乗り出した。
「僕たちは砕氷船のようなもの。国や自治体などの大型タンカーが通れるよう航路を作ることが、僕らの仕事だと思います」。周囲に揉まれ、少し成長した彼はそう話すのだ。
熱血「東電マン」が
NPOと二足のワラジ
駒崎氏が「砕氷船」と表現した社会起業家の役割を、こんなふうに語った人もいる。「私たちは市場経済を刺激するボランティアをやっているんです。私たちが小さな成功事例を積み上げることで市場が動けば、本業の方々にバトンタッチできる。そうなってはじめて、社会的な仕組みになるんです」
発言の主は、環境NPOオフィス町内会の事務局代表・半谷栄寿氏だ。「オフィス町内会」は、91年に東京電力を母体として発足。オフィスの古紙を共同回収する仕組みを作り、全国の先例となった。半谷氏の本来の肩書きは東電の事業開発部長である。
環境問題への関心が低かった時代に、古紙分別の習慣を定着させるところからはじめて、会員企業1120社、会員回収会社40社のネットワークを築いた。昨年の回収量は7290トンに達する。成功の秘訣は経済性を重視したことだろう。「企業側が負担する回収コストはゴミ処理の負担金よりも安い。廃業が相次いでいた回収会社にも利点があり、古紙相場が低迷しても回収経費を確保できる。しかも発足以来の黒字経営。事務局が独立採算を保っているから、活動が継続できるんです」と、半谷氏は熱っぽく語る。
もうひとつの特徴は、リサイクル推進に積極的な東電の「ゆるやかなサポート」があったことだ。「経済的には自立していますが、会社の信用力を使わせてもらったメリットは計り知れない。その代わり本来業務もしっかりやりました」。業務に支障が出ないよう「町内会」の仕事は就業時間外や休日にこなした。いわば、サラリーマン社会起業家だ。
紙のリサイクルを完結するには、古紙を使った再生紙の普及が不可欠だと、再生コピー用紙の使用拡大にも取り組んだ。ちょうどよい白さの「白色度70」は、天然パルプ紙に比べて環境負荷が少なく、コストも安い点をアピールしたのである。96年に東京都が「白色度70」を採用したのを皮切りに、自治体での利用が広がり、2001年のグリーン購入法で「白色度70」が特定調達品目に選ばれた。そこまで来れば、本業である製紙メーカーが製造・販売に本腰を入れてくれる。
分別、回収、再生紙利用が社会に定着したいま、次に取り組むのは森林の間伐促進だ。間伐材で作った紙を企業に使ってもらうことで、健全な森林育成を支援しようと意気込んでいる。次々に新しい企画や事業プランを考える、このエネルギーはどこから来るのか。
「報酬はありませんが、無形のものをたくさんもらっています。たとえば小学4年生の息子が社会科で古紙のリサイクルを勉強したとき、僕が出演したNHKの番組を見たらしい。『恥ずかしかった』と言いながらも誇らしく感じているようで……。あれはうれしかったなぁ。それに“もうひとつの社会人人生”を得た醍醐味は、何物にも代え難いですね」
環境ベンチャー
「10兆円市場」に参入
コンサルタントの職を辞し、社会を変えるために起業した33歳の経営者もいる。株式会社「リサイクルワン」の代表取締役、木南陽介氏だ。共に大学時代にITベンチャーを経営するなど、先の駒崎氏と共通する部分もあるが、社会起業家としてはまったく違うタイプといえるだろう。
京都大学で環境政策論を学び、コンサルティング会社・マッキンゼーに入社。2年後の2000年5月、マッキンゼーの同僚らとリサイクルワンを立ち上げた。
同社は、産業廃棄物やリサイクル資源の排出企業と処理企業をインターネット上でマッチングする事業や、土壌汚染対策などの事業を展開し、急成長している。
「社会イノベーションを起こせない事業なら、やっても意味がない。神戸・六甲山の豊かな自然で育ったため、特に環境には思い入れがありました。開発で六甲の自然が破壊されるのを見たことも、関係しているかもしれません。それにマーケットを調べると、大きなチャンスがあることもわかった。廃棄物処理・リサイクル市場は10兆円の規模なのに、小規模な企業がひしめきトッププレイヤーがいない。挑戦する価値はあると判断しました」
売上高は今期18億円。上場も視野に入れており、株主にはベンチャー・キャピタルの名前も並ぶ。営利企業であることは間違いないが、「ビジネスのゴールは金儲けだが、事業のゴールは事業目的を達成すること。我々のやっているのは事業」だと明言する。
NPOを選択しなかったのは、NPOでは人、モノ、金が集まらないから。「NPOではできない規模の仕事がしたかった。30~50年のスパンで社会に大きなインパクトを与えようとすれば、収益的にも成功する必要があるんです」と、長期的な視点で事業に取り組む。社員数は50数人。成長性に惹かれると同時に、「仕事を通じて社会の役に立ちたい」と考えている人が多いという。
木南氏自身も、世の中を変えていると実感できることが励みになると話す。「たとえば、土壌汚染対策に関わることで、結果を自分の目で確認できる。必要とされる分野で働いている充実感がありますね」
日本型資本主義の真髄は
「本業を通じた社会貢献」
ひょっとすると読者のなかには、「世直し」を商売にすることに違和感を覚える人もいるかもしれない。だが考えてみれば、「売り手よし、買い手よし、世間よし」という近江商人の「三方よし」の理念など、日本には古くから社会貢献と利益追求を両立させる思想があった。「道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である」という二宮尊徳の言葉はその好例だ。
日本資本主義の父・渋沢栄一もしかり。500の企業を作ったことで知られるが、それを上回る600もの非営利団体に関与していたという。CSRが喧伝される100年前から、論語と算盤、つまり道徳と経済、武士道精神と商才の両立を説き、それを実行したのである。また事業を興すにあたっては「個人を利すると共に、国家社会も利する事業なるや否やを知ること」が重要だと語っている。
そこで注目されるのが大企業が行う社会的事業である。たとえば、仏食品会社ダノンはグラミン銀行との合弁で、貧困層向けの安価なヨーグルトの製造販売業を立ち上げた。バングラデシュの子どもの栄養補給を助けると同時に、現地に生産拠点を置くことで、雇用も創出する。営利事業だが、社会貢献を重視するため、利益は再投資されるのが特徴だ。
日本の社会的事業では、マラリア予防対策に寄与する住友化学の評価が高い。
年間3億人が感染し、100万人以上が死亡(その9割は5歳以下の子ども)するなど、アフリカにおけるマラリア被害は深刻である。マラリアは貧困問題とも関連しており、その撲滅は国際社会の重要課題となっている。
同社が開発した防虫蚊帳「オリセット・ネット」は、糸の原料である樹脂に防虫剤を練り込むことで薬剤が徐々に染み出すという高度な技術を用いている。洗っても効果が5年以上持続し、人体には非常に安全。耐久性があり、通気性にも優れている。この蚊帳をWHOなどを通じて安価で供給することで、マラリア予防に貢献しているのだ。
「『社会貢献として取り組む』という経営トップの方針を受けてやっていますが、あくまで本業なので、赤字にはならないようにしています」と、オリセットを担当する、ベクターコントロール部の水野達男部長は語る。
生産コストを下げるため、タンザニアのメーカーに技術を無償供与し、2003年から現地で量産できる体制を整えた。また、現地企業との合弁で新会社も作り、今年から製造を開始している。「現地で2000人以上の雇用を生み、地域経済にも大きく貢献しています」と水野氏は話す。専門部署新設に伴い、今年4月に担当になったばかりだが、「正直、仕事は楽しいですね。『お父さんの仕事は世の中の役に立っている』と、家族が喜んでいるのがうれしい」と笑顔を見せる。
マラリア感染が減ることで、医療費が抑えられ生活に余裕が出る。雇用で家計が潤い、子どもが学校に通えるなどの効果もある。この事業がアフリカにもたらしたものは甚大だ。利益は再投資に回すほか、一部を学校建設など現地の教育支援に充てている。
需要がさらに増大するなど、事業としての可能性もある。「WHOの最新の発表では、マラリア対策には年間1億張以上の防虫蚊帳が必要になるそうです。その3~4割のシェアはとっていきたい」と水野氏は意欲を見せる。同社では中国、ベトナムにも生産拠点を設け、今年末で3000万張りを生産できる体制を作った。効果が2、3年しか持続しない他社製品に比べて品質の高さは折り紙付きだが、競合より一ドルほど高いことがネックになっているとか。今後は営業面で費用対効果の高さをアピールする必要もありそうだ。
地球温暖化が進めば、マラリアの感染地域が拡大するとの予測もある。本業を通じた同社の貢献はさらに広がっていくに違いない。
シンクタンク・フィアバンク代表で、社会起業家フォーラム 代表も務める田坂広志氏によれば、社会起業家がこれほど注目されるのは、「資本主義全体の流れが、社会起業家的な方向に向かっている」からだという。非営利組織・営利組織の垣根があいまいになり、やがて両者が融合する。「社会起業家のことを、『ボランティアをやっている奇特な人』といった捉え方をしている企業は、危なくなると思いますよ」と田坂氏は語る。
「非営利の人たちの経営力が問われる一方、エンロン事件などを経て、営利組織は社会責任を重視しはじめた。両者が融合しようとしているのは世界的な流れです。ですが、もともと日本の資本主義は、渋沢栄一の思想のように利益追求と社会貢献をあまり区別していない。欧米の労働は苦役を意味しても、日本人にとって働くとは、『傍』を『楽』にすること。『世のため、人のため』という労働観も根付いている。一時は古いと捨てられた考え方、日本の根本にある精神が、実は世界の資本主義の最先端を走っているんです」
変革の担い手に求められるのは、革新的なアイディアや使命感、そして高い志である。だが、ヒーローの出現を待つのではなく、まずは草の根の活動を広めること。田坂流に言えば「スーパーアルピニストではなく、無数のバックパッカーを育てる」ことが先決だ。そこで田坂氏は、企業がCSRとして社会起業家を支援することを提案する。単なる寄付ではなく「人材に投資する」。ビジネスインフラやノウハウを提供するのもひとつの方法だ。「大企業にいても社会起業家的な生き方はできる。イノベーションを起こすという観点では、企業にとっても社会起業家的な人材を育てることは重要なんですよ」
古くて新しい日本人の働き方が世界を変える。










